子ども有世帯と子ども無し世帯について

異次元の少子化対策が叫ばれたり、いっぽうで、子持ち様、みたいなことが言われたりと、子供めぐっては様々な議論がなされているように感じる。しかし、そもそもこういった議論を展開している人たちは、真に子供と向き合ったことがる人たちなのだろうか?頭でっかちな耳学問で、「子どもとは」みたいなことをまことしやかに話している人も多いのではないか?

その心は、「私は子供が二人いて」という50代のおじさん、生物学的には親かもしれないけれど、おむつを取り替えたこともなければ、保育園幼稚園の送り迎え、宿題を一緒にやったり、お風呂を一緒に入ったり、そんなことをしたことがない、というケースが多々あるだろう。自分の子供が大きくなるまでに知っているのは寝顔だけ、みたいなケースだ。これは、生物学的には親かもしれないけれど、人間の親、として子供を語る資格はない、と思う。

もう一つのケースは、「女性の代表として」と語るようなバリキャリウーマン。これもまた、上記と同様に主夫任せの場合や、家政婦を雇っているケース、はたまた実は子供がいないケースだってある。性別が女性というだけで働き方は男性、ということだ。

こういった人たちは、世の中で偉くなりやすいので、政策や方針を決める側になる。しかし実態が分からないから、有識者の意見、みたいな感じで話を聞いて、それで知った気になる。人間の頭はそんなに性能が良くないのでしょせん聞いた話は聞いた話、体験したこととは全く違う。そして、異次元の、といいながらはした金を渡して、これで頑張れ、みたいなことになる。

月に数万円もらったくらいで、子育ての労をチャラにする気か?!、と胸倉つかんでやりたくなる気がするのは私だけではないだろう。

子育てはとにかく金がかかる。そしてそれにもまして時間がかかる。そして体力もいるし、子供がもらってくる風邪、病気も移るので健康面だってかなりの負担だ。これらすべて含めて数万円?笑わせるな、と言いたくなる。

子持ち様、の議論だって同様だ。そう、子持ち様なのだ。その子供たちが大きくなって、子供を持っていない、子育てをしていない「子持ち様」と揶揄するお前らが老人になって、何の役にも立たなくなったときに、社会を支えるのだ。せいぜい今のうちに大事にする、というのが正しい姿勢なのではないだろうか。

子育てしていると、仕事を途中で切り上げなければならなくなる、共働きであれば、仕事も家庭も中途半端な状態でやっている自分が嫌になる。たぶんみんなそうだと思う。自己嫌悪といつも隣り合わせだ。
自分がやりたいと思っている趣味だって我慢する。年に一回くらい、と思ってイベントを計画したって、直前の体調不良でなくなる。

子ども無し世帯、独身者にこんな状況を理解することができるだろうか?

当然、会社での評価、社会での評価は子供がいない方が高くなるだろう。会社だって、いつ子供のために帰宅しなければいけないか分からない社員よりも、がっつり深夜まで働いてくれる社員の方がありがたいだろう。だからそういった人ほど出世する。そしてたくさん年金をもらう。しかしその年金の出どころは、評価されず、出世せず、そのため年金もそんなにもらえてない、子育てをした人たちなのだ。

ここが一番是正したほうがいいポイントだと思う。子育ては社会的に評価されていない。社会的価値の創造、と言われているが、一番の社会的価値の創造は、次世代の育成であるにもかかわらず、その担い手である子育て世帯は、精神的にも物理的にも金銭的にも病理学的にも、弱者なのだ。

せめて、直接的に分かりやすい年金制度や保険制度を変えてはどうだろうか?子供が生まれたら、その親の医療費負担は2割にする、とか、年金は子供一人について20%増やす、とか。その分の財源は、子供なしの人の分を減らせばいい。その代わりその人たちは会社で出世する。自分の老後、医療費はがっつり稼いで自分で支えるのだ。それで特段文句が出ることはないだろう。
子どもを持ちたくても持てない人がいる、という意見もあるだろうが、持ちたいと思っていることと、実際に育てることはわけが違う。実際にその負担を背負ったか、そしてその結果として次世代が育成されたか、という点が重要なのだ。

異次元の、とかいいながら小手先のはした金でお茶を濁そうとしている政策ではなく、抜本的な不平等を是正するような政策が、きちんと実施される世の中であってほしい。
そうでなければ、少子化なんて止まることはないだろう。
おそらく、誰も本気で少子化を止めようとしていないから、こうなっているのだと思うが。

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