見出し画像

じぶん史(学生時代)

前回は家でのわたしについてだったので、

今回は学校での私について振り返ってみます。


ざっくりおさらいすると家での私のキャラは

①超泣き虫

片づけ苦手、だらしない、ドンくさい

家族イチの食いしん坊&屁こきキャラ

と、怒られ役(これは飲んだくれの父と折半)&ピエロ役(私が専任)。


それが、一歩外に出ようものなら、
子供らしさ皆無&ゴリゴリのマジメ&しっかり者キャラ
で、通っておりました。




<保育園~小学時代>

のびのび子どもらしい遊びをした記憶ほぼゼロで、遊びに行くこと自体、母を気にして自粛しがちだった私。
たまに遊べた時も、「こえだちゃんと木のおうち」や「ゲームウォッチ」を持つ友達への羨望と、ごっこ遊びもテレビゲームも「わたしだけ下手くそだ…」という焦りでenjoyできなかったという、
今にして思うとナカナカの「拗らせ女児」でした。

ゲームはまだしも、「ごっこに上手いもヘタも無かろうが!迫真の演技でもするってか?」

って、今なら突っ込んであげたい(笑)

4つ上の兄が「まじめ人間」とあだ名をつけられる程のまじめキャラで、私もそれを踏襲し、そのころの勉強はできる方でした。
更に、上のきょうだい達の受け売りで大人びたことを言って、クラス内で公安ばりに注意しまくってたひねた奴…。

でも、内心は
「逆上がりも二十跳びもできない運動神経ゼロ」
「休み時間、猫ふんじゃったの連弾ひけない」

自分を恥じていたし、
「はないちもんめ♪で最後の方まで売れ残る」
自分にガッカリしてたし、
階段の踊り場で一年生に「うわぁ怪獣だぁ」と言われたシーンがまだ蘇ってくるわ、
もう「コンプレックス」まみれ。

逆上がり・二十跳び・連弾そりゃできたらカッコいいけど、できなくたって困ることじゃないよー。はないちもんめで一位指名されない=人生の落伍者でもないよー。ぶつかりそうになって、驚いただけかもよー。

いまなら、こう言ってあげたいなぁ。

小学生の頃本を読みまくってたのも、純粋な本好き以上に「難しい本でも読めちゃう私が好き」とか、「誘われなくても平気なように休み時間は読書しとけ」的な動機が強めだった気が…
小四で「パール・バックの大地」とか理解できてたんか?わたし??


家では生存のため、自分のとりえ(?)をいかんなく発揮し道化を演じ、
学校では孤立していた訳ではないけれど、コンプレックスをひた隠しにして優等生キャラを演じて、卒アルでも好きな人に「小田和正さん(当時はまだオフコース)」と書き精神年齢の高さをアピールした気になっていた…
そんな二面性のある小学生でした。


<中学時代>


のっぽだからいけるかとバレー部に所属しましたが、オーバーハンドパスのドンくささで己の限界を知り、
「貧血検査に引っかかった」ことを理由に、マネージャーに転身。
部内イチの長身だから、遠目ではエース認定されては、近くでみると🅼のユニフォームという「出落ち」がお約束になってました。
 
中学のころは、兄の受け売りで嫌な「教師には反抗するもんだ」と誤った思い込みを抱いていたこともあり、1年のある時担任が誤解して私を怒ったことをキッカケに、3年の春までレジスタント活動を展開。
しかし、このままでは内申点がつかないとある日急に焦り、懇談会の日に詫びを入れたものの、担任が無反応だった為、翌日進路係に立候補する・・・なんていう、情けないこともしてました。
 
体育の成績はいつも悪かったんですが、一度だけ最高の5をたたき出したことがあります。
創作ダンスのグループ発表の際、私が振り付けとBGMを担当。
他のグループが、はつらつとした振り付けを流行りのBGMで披露する中、
私達だけが「嫉妬」というタイトルで、
兄から借りた、荘厳かつ不気味なドイツだかどっかの知らない前衛バンドの音楽で登場、
しだいに動きがはげしくなり、これまたドイツのハードコアバンドの確か「ゼーレフレンド」とかいう曲で感情を爆発!
といったダンスで、体育の先生にこれだけは称賛されたのを覚えてます。


中学1年時のクラスメートで笑い方に特徴があった女子と、フェミニンな雰囲気を匂わせる男子を生理的に受け付けないと決めつけて(我ながら最低なヤツ)、他の友達に「あの人イヤ」と言って一瞬そんな価値観を広め、途中から形勢逆転し、私が大半の女子から嫌われるという「因果応報」を思い知りました。
 
唯一いまだに続いている大親友は、この干された私を受け容れてくれた人なんですが、
彼女が言うには「中学の時の山ちゃんは、とんでもなく熱かった。音楽の先生にも正面切って『あなたの選曲ミスだ!』って啖呵きって激怒させたりして、私たちがかわりにお詫びにいったりとかしたけど、とんでもなく熱くって憧れてた。良く聞くとヘンテコな理屈も多かったけど、生き様がかっこよかった。」とのこと。

この大親友との出逢いが、中学時代の最大の宝物だったなぁと、改めて感じてます。幼少期から抱き続けてきた異物感や孤立感を溶かしてくれて、本来の素っ頓狂さも受け容れてくれた大切な大切な存在に出逢えたことで、「とんでもなく熱かった」んだと思います。


<高校時代>


が、高校では一転。

一応、地元の進学校に入ったものの、これまでの暗記では通用しない現実に直面。
また、仲間内、女子グループ内では、「毒舌おもしろキャラ」で通っていたのが、特別好きな人でなくても、一部のぶちゃいくグループ(無礼)以外の異性に対してはフリーズしてしまうという「地蔵モード」がこのころから出現。
以降、大学生→社会人とさらに地蔵化に拍車はかかりました
 
部活動は、なりゆきで剣道班のマネージャーで入部したものの仕事がなく、普通に部員に。
ただ、長身にもかかわらずビビりのため、相手に踏み込まれると頭がすくみ相手の面が気持ちよく決まってしまうという有様・・・練習試合で審判をして相打ちになっても、どっちが先かわからない・・・というトホホっぷりでした。
人間関係が良くて、三年間続けたものの、自分だけが補欠&自分だけ剣道オンチ&自分だけ男子とノリがぎこちない…と、勝手に自分のコンプレックスをあげつらって惨めさを募らせるという、もったいない頑張り方をしてしまってました。
 
どんくさいし、要領が悪いというのが、セルフイメージとして強くある一方で、ラッキーというかある意味ちゃっかりなところもありました。
 
部活は私が3年で唯一の補欠だったにもかかわらず、超上手い人のおかげでインターハイ出場。
私は、その経歴をひっさげて、地元大学の推薦入試に応募。センター受験無しに合格。
 
また、小学生の時からどんだけ寝ても、毎時間睡魔に襲われる眠り病だったため、中高の自分のノートは、全ページ「ダイイングメッセージ」箇所があり解読不能。
その為、試験前にはクラス内で板書名人の友達数人のノートを借りまくり一夜漬け。
高校の卒業文集では、その友人の一人で書道部だった彼女に代筆を依頼。
A4縦書き1ページにデカデカと
「居眠りばかりして コピーばかりして ごめんなさい。」 と書いてもらったという鬼畜の所業(汗)
 

 

<大学時代>


初の一人ぐらしを経験。
はじめて母の眼から離れて羽目も外したけれど、それでもバーチャル母は脳裏に存在し、いざとなると外しきれないところが多々ありました。
 
変に完璧を求めては挫折感に打ちひしがれてパタリとやめる…が、パターンの私。
初めての自炊生活をしっかりやろうと気負いすぎて、お料理ノートなるものを作成。
「今夜のチャーハン。パラリと仕上がらない、なぜだ…」と苦悩がつづられ、一週間としないうちに、ノートは廃止しました。
 
当時ミニシアターブームだったこともあり、香港映画やフランス映画などをよく観にいってました。
本当に好きだったというより、「そういうことが好きな自分になりたい」だったかもしれません。
 
高校ではいなかった異性の友人が、サークルで数人できて、その中の一人を好きになり、学部が離れる一年の最後に、人生初告白。
気持ちを伝えてスッキリした私とバトンタッチするかのように、ズーンと沈み込んだ友人の強張った表情を思い出しました。
 
その後、もう一つのサークルの友人と2年の夏から交際。自分から好きというより、「生まれてはじめて自分を好きになってくれたから、好きになった」って感じでしたが、卒業後も遠距離交際を続けてました。
 
経済学部経営学科でしたが、円高も円安も説明できないほど、お金のことは理解できず。イトーヨーカ堂の事例研究など経営のマーケティングとかの話のほうが興味をもって取り組めたものの、それで何か成し遂げた訳ではなく、これまた、飛び級するような頭のいい友達のノートのおかげで卒業できた感じでした。
 
そして就活。当時は「我究」ブームで、自分に向き合おうとしましたが、元来の自己否定に拍車がかかり
自分には何のとりえもない。からっぽだ。何がしたいかも何が天職かもわからない。」と、ただただただただ焦ってました。
 


「じぶん史 ≒ コンプレックス史」


以上、こうして振り返ってみると
私の場合、「じぶん史 ≒ コンプレックス史」になっちゃってんなー。
と、改めて痛感・・・決してそれ一色だった訳じゃない楽しいこともあったのに、私はそっちよりも、コンプレックスとそこから味わうものばかり焦点あてて、コレクションしまくってきてたんだなぁと、改めて痛感しました。
あ~もったいねぇ!!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?