見出し画像

『それはあなたのお金じゃありません』(トーシャ・シルバー著)あとがきのようなあとがき

 そういえば今回は、訳者あとがきを書かなかった。これまであとがきは、書いてください、と言われたときだけ書いている。
 あとがきはその名のとおり本の最後につくから、読書の最後を訳者のそれでしめくくる人も、少なからずいらっしゃることだろう。そう思うと、数ページ足らずの文章を書くこともやけに重みを帯びてきて、わたしなどは頼まれると、いつもそわそわと落ち着かなくなる。
 だから、「しめしめ、何も言ってこないな」と思っているうちに、「入稿しました」という連絡が無事くると、ひとりホッとする。
 今回もそうだった。
 それなのになぜか後になって、何かあとがきめいたものをネット上で書いてみようという気になった。ネット上の投稿なら本と物理的に離れるせいか、もう少し楽に何か書けるような気がしたからだろうか。あるいは、さほど読む人もいないだろうという、気軽さもあるかもしれない。
 でももしかすると、正式なあとがきを書くことに付随する各種の〝べき〟から解放された状態で、訳後の所感を記してみたかったのかもしれない。

 本書を訳しはじめたのは、コロナ禍が本格化しつつある2020年5月の終わりだったと思う。
 経済活動が止まることを懸念する声が多く聞かれるなか、海や空がきれいになったと喜ぶ人もいれば、経済システムや近代の生活様式が脆くも揺るがされている様子を、どこか嬉々として眺めている人もいるようだった。
 移動が制限されたため、さまざまな分野でそうであったように、世界中のスピリチュアル系の指導者やヒーラーたちも、有名無名にかかわらず、トークやセミナーなど多くをネットで配信するようになったようだった。
 おかげで以前なら海を越えて赴かなければ体験できなかったようなコンテンツにも、自宅で気軽に触れられるようになった。わたしもそういう配信を、棚から牡丹餅を拾うような気分でふむふむと聞いていた。
 すると意外にも、普段は人間の精神や、地球のこれからについて宇宙的な視点で語るような人たちが、このときは経済システムやお金について話すのを何度か聞いた。
 なかには、今の借金ベースの経済は終わりゆくので、現金を持っている人はこれからの何年かに備えて○○や△△に替えるといいなど、具体的に予言するサイキックもいた。
 そこで、直接知っているアメリカの名の知れた霊能者にその話をすると、今の人工的な経済は幻想であり、本当の富は◇◇にあると言われた。(投資ブログのようになるのも違うので、伏字にした)
 なるほど、細かいことはタイムスパンや視点の置き位置によって異なるのだろうけれど、お金システムが今のまま続くことはないのだろう。そして結局のところ、その未来の形はまだ誰にもわからないのではないだろうか。

 本書、『It’s Not Your Money』を訳すお話をいただいたのは、ちょうどそんなことを考えていた頃だ。
 そこで久しぶりにフェイスブックで、その著者トーシャ・シルバーのページをひらいてみると、最新の投稿に、「(本国アメリカでの発売から1年以上経った)今ほど、この本のメッセージが意味を持つことはない」、というようなことが書かれていた。
 そのとおりかもしれない。
 なぜならこの本のテーマは真の豊かさについてであり、世の中の経済状況や自分の口座残高、その他どんな所有物や職業とも関係なく、いかに人生を豊かに満喫できるかを伝えているからだ。
 そして訳し進めるにつれ、トーシャのその言葉は現実味を増していったように思う。各種の経済指標が悪化を示すようになり、経済関係の番組では、「リーマンショック以来の」という言葉も耳にするようになった。
 また本書の原稿が印刷所に行く今現在(2021年2月)、失業率も倒産数も高まるなか日経平均が30年来の高値をつけている。ゲームストップ社の株をめぐって、個人投資家が束になって大手ヘッジファンドに大打撃を与えている。
 何かが軋んでいるらしい。
 そんな不穏とも言える空気を感じてはいたものの、わたしにとっての救いは、自分が経済のことをわかっていない、という自覚があったことかもしれない。(国際政治経済学部というところを出て思い知ったのは、自分には経済学は理解できないということだった)
 だからそのことについて、ありもしない知恵を絞って考えようという意欲も湧かなかったのである。
 しかし何よりもの幸いは、この本を訳すという役割ゆえに、トーシャ・シルバーの思想にどっぷりと浸かり、そんな外側の状況に関係なく、必要な豊かさを人生に招き入れる方法が一言一句、身に染み渡ったことかもしれない。そして日々、その技を楽しみながら、ときにビクビクしながら試してみている。

 彼女は以前、もしも自分が強くて優秀なスーパーウーマンだったら、この方法にはたどりついていなかった、と書いている。しかし今は、自分の人格上の限界ゆえにこの豊かな生き方を発見できたことに感謝しているという。
 この社会では人に評価され、高いとされる地位につき、ひとかどの収入を得れば良しとされるのが定石らしく、多くの人が、そのシステムのなるべく上のほうを目指してがんばる。
 いっぽうで、そういうあり方を捨てて自分らしく生きるんだと決めると、じゃあお金はどうするの? となる。生活のあらゆる手段や価値がお金で交換可能になっている現代においては、いざ自分の気持ちに正直に生きようと思っても、お金が足枷になることは多い。
 けれどそういう社会のなかでがんばることに疲れたなら、競争や不安のなかで生きるのをやめたいなら、最強で、最愛のあれにゆだねてもいいのだと、そのための方法をトーシャは惜しみなく伝えている。
 その詳細は本文に譲るが、訳者は本書を通じて、彼女のその生き方がまったく揺らいでいないどころか、むしろ深まり、優雅にすらなっている気がしている。

 すでに彼女の前(々)作をお読みになっているかたは、その趣旨がどういうものか、本書のタイトルだけでピンとくるかもしれない。改めてトーシャの思想に触れたい、とくにお金にフォーカスして何を言っているのかに興味をお感じになるなら、ぜひ本書を手にとっていただければと思う。
 また、もしこの「あとがきのようなあとがき」を何かの理由で読んで、初めてトーシャ・シルバーを知ったかたには、いくらかでも本書に関心をお持ちいただけたなら幸いである。
 ともあれ、必要な人のもとにその内容が届くことを、切に願っている。

 ところでタイトルと言えば、訳者と編集者さんのあいだでは、「あなたのお金じゃありません」で一致していたが、出版社の今井社長の強い思いにより、「それは」がついた。このほうが力がある感じがするという。
 言われてみればそういう気がしないでもないし、ないほうがタイトルとしては締まる気がする。どうだろうか。
 でも正直なところ、どちらであっても本書の持つ引力にはあまり影響ない気がしている。言ってみれば、おにぎりの外側がぱりぱりの海苔かひらひらの昆布かくらいの違いで、美味しいおにぎりはどちらにしろ美味しいと思うのである。どちらが好みかは、読者のみなさまにゆだねさせていただきたい。
 本文の校正においても、今井社長にはお力添えをいただいた。原稿が印刷所に行く前夜になって、本文中の表現をできれば変えたいという希望なのか決定なのか、そういう熱いメールを編集者経由でいただいたときには胃がひりひり痛くなったし、結局その部分を変えたのかどうか、訳者は本になるまでわからないというのも、わたしの可哀想な胃には過酷な試練であった。
 けれどその洞察力で、編集者の目をもすり抜けた珍訳を検知するレーダーには、感謝している。
 そして胃はまもなく快復したようで、おにぎりはきょうも美味しい。
 そのほか編集の山本さんをはじめ、多くの方々のご尽力により、訳者のパソコン上の文字列にすぎなかったものが書籍として誕生し、しかるべき人々のもとへと旅立とうとしている。この場を借りて深くお礼を申しあげたい。

 最後に、今こうして自分が書いたものを読み返してみて、紙の本に正式なあとがきを書いたとしても、内容はさほど変わらなかっただろうと思っている。あちらは縦書きなので、気分的に、ですます調にしたかもしれないけれど、内容自体はこんなものだっただろう。それがわかって、正直ホッとしている。
 そもそも私のなかにあった「各種の〝べき〟」は、誰に言われたものでもなく、どこかで読んで得た知識を、自分で自分にルールとして課していただけだったと気づいた。
 また、本書を訳しているあいだときどき現れていた青く紫色の光の存在にも、言葉にならない感謝を覚えている。折にふれては現れ、寄り添っていてくれた。きっとわたしが気を揉むまでもなく、本書はしかるべきように完成し、しかるべき人々のもとに届くのだろう。

https://books.rakuten.co.jp/rb/16655191/