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4.景義先生と妻

 私と妻は幼馴染で、かつてはこのすさんだ、というよりは元々荒んでいたのが、少子化により多少すたれ、もはや物悲しくなった学区に住む子供だった。垣根に隣接するようにしてぽつねんとある小さな砂場と、神社へ向かう銀杏並木が、時期になると鮮やかに色を変える広い参道は、健康優良児どもの恰好の遊び場だった。同学年の妻は私より先に景義先生の縁側へ入り浸っていた一人であるが、垣根越しの私によく話しかけていたように思う。景義先生はそんな小さな恋を冷やかすことなく、実情はどうあれ悪意を持って邪魔をする事もなく、こうして結婚するまでに至ったのである。

 電車で少し、あるいはバスの乗り継ぎで、頑張れば徒歩でも行き来出来る程度の、学区が少し離れた場所に家を持った後も、妻と景義先生は茶飲み友達としてよく会っているようだ。よその男にうつつを抜かす、といったものでないのは重々承知の上だし、なにぶん私と景義先生の関係は当たり前に後ろ暗く、妻に何か文句を言うようなことは勿論なかった。これまで景義先生の話題をわざわざ口にする事は、互いになかったのである。

 昨日の夕暮れのことである。仕事が押していて残業になる、と伝えたのち、今日日流行っていないノー残業デーとやらが我が社にも設けられている事を思い出した支社長が、思い付きで社員を社屋から追い出した。なお非正規の面々は対象外のようで、恨みがましい視線を浴びながらの退社である。予定変更を伝えて帰っても良かったが、せっかくの空いた時間なのだから、と立ち飲み居酒屋で駆け付け一杯、だし巻き卵と鶏皮で手軽に済ませ、良い気分で帰ろうとした道で、私は今日も景義先生の庭へ入っていった。火照りが冷めるまでの休憩のつもりだった。

「景義先生、お邪魔します」
生垣の隙間から庭に入るが、珍しく返事はなかった。奥の灯りはついていたので留守ではないだろう。別段会いたいわけでもない。縁側にごろり寝転び、桜の木のちらほらと開き始めた蕾を眺め、うとうと微睡まどろんでいると、向こう側から床の軋む音が近付き、引き戸が開いた。
「あれ、まあまあ、まだ少し寒いというのに。風邪をひいてしまうよ。お布団を敷いてあげるから、入っておいで」
慌てた様子で部屋に戻ろうとする景義先生の足首を掴む。少し転びそうになりながら立ち止まった景義先生の、今度は腕を掴み、引き倒しながら土足のまま居間へ押し入った。綿の厚い座布団へ身を投げ出された景義先生は、わざとらしく瞼をぱちぱちとさせ、それからいつものように妖しく微笑んだ。

 着物を脱がせる事すらせず、無理やりに足を掴んで開かせるとひどく甘い匂いがした。まるでそのために準備したかのようなしっとりと吸いつく肌が、むっちりと手のひらを誘っている。
「もう、お酒はほどほどにしなければいけないよ」
内腿に噛みつき、歯形を残していきながら、より匂いの強い方へと顔をうずめた。熟れきった果物の芳香を漂わす湿り気の内部なかへ指を無遠慮に進めると、果肉はぬるり、と抵抗なく迎え入れる。景義先生の体温は既に熱く、蕩けていた。はあ、と吐息が暗い室内に静かに響く。ぐちゅぐちゅと指先で乱暴なほどに掻き混ぜ、し、ねると、公園に届きそうな短い悲鳴をあげ、いとも簡単に達した。
「あっ、あぁっ……あはぁ……だめ、だめ…………」
そう言いながらも景義先生ははしたなく身を震わせるばかりか、ついには迎え入れるように細く青白い足を腰に絡めた。もとよりその気だった私は片腕でねちねちと愛撫を続け、片腕でずしりと重みを増した陰茎を取り出す。ぽってりとそこで待ち受けている肉穴へ根元まで叩き付けると、がくがくと快楽に身体をわななかせ、それでも景義先生は余裕の残る顔つきで両腕を広げ、より深くまで求めた。

 幾度となく欲望を吐き出し、出し入れする度に己の精液が掻き出され座布団をずいぶん汚した頃、女の歌声が聞こえた。
「せ、先生」
信じられるものか。耳鳴りに似たそれは、紛れもなく妻の声であった。私は心臓を掴まれたように青褪め、辺りを見回すが姿はない。
「妻が来ているのか」
それでもまだはち切れそうなほどに固いを慌てて引き抜く。雁首が腫れぼったい肉に引っ掛かり、粘質な音を立てて離れると、景義先生は、ひ、あ、と名残惜しむように震えた。
「はぁ……そろそろ、きみ、帰る時間、かしら……」
景義先生に慌てた様子はなく、余韻を愉しみながら床にくたりと身を横たえている。
「妻はどうした」
「昨日、水筒を忘れていったでしょう?お台所に洗ってあるからね。……はぁ……ふふっ……」
「おい!」
答えない、というよりは、会話が上手く成り立たない。はぐらかしているふうでもなく、むしろ、私が何か別の言葉を発しているようにも思えてくる。埒が開かずに黙り込むと、景義先生はまだ少し物足りないような顔でこちらを見つめていた。

 そのやりとりのうちに、妻の、歌声だと思っていたそれが嬌声である事に気付く。楽しげに喘いでいる歌っているのだ。そして、その声に紛れるようにして、たった今息を荒げていた景義先生の低く、わるい囁き声があった。しかし目の前の男は口を閉じ、微笑んでいる。──ああ、ああ、先生、先生。妻の切ない声が部屋の中に鳴り響く。私は訳もわからずに、片っ端から景義先生の家の全ての扉を開けていったが、妻の姿は見えないまま声ばかりが盛り上がっていった。もっと、奥を、ねえ、先生、景義先生──。

 家に帰り着いたのは日を跨ぐ少し前の時間だった。遅れて夕飯を食べる私の、正面に座る妻に後ろ暗さはない。──子供は、私に似ていただろうか。目の前のおんなは、潔白の、優しい母親の顔をしている。


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