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最高の恋人(6)手紙

 韓国から帰国した次の日、淳は五ヶ月ぶりに事務所に行った。
 「おはようございます」
 声をかけるとスタッフが一斉に顔を向けた。
 お帰りなさい、と口々に言われ、ドラマの成功と長期海外ロケの滞在を労われた。
 一通り挨拶を済ませ、社長室のドアをノックした。
 「高良です」と言って、ドアを開けた。
 社長の松倉が笑顔で答えた。
 「ああ、お帰り。ご苦労さん、長いロケで大変だっただろう」
 「はい、でも楽しかったです」
 「そうか、それはよかった。まあ、掛けなさい」
椅子を勧められて、向かいの席に座った。
 「韓国は、どうだった? 慣れない土地で大変だったんじゃないか。君にとってはいい経験になると思ったが。よくやっているとあちらのディレクターが褒めてたよ。向こうで人気が出て、花武官とかいうあだ名がついたんだって?」
 「そうみたいです」
 「こっちでも君のことが話題になっている。さすがに韓国人の血をひいているだけあって、とても綺麗な武官姿だと評判だよ。それに君がどんな危険なシーンでもスタントなしに収録したということも高評価に繋がっている。怪我は大丈夫だったのか」 「はい。危険なシーンは何度も打ち合わせをして時間を取って下さいました。皆さん、親切で丁寧に指導してもらいました。飛び蹴りのシーンが多くて、タイミングが難しかったんです。でも上手く撮影してもらえました」
 「そうか、それは良かった。いくつか次の仕事の問い合わせが入っている。今度相談しよう。しばらくゆっくり休みなさい。久しぶりの日本で君もホッとしているだろう」
 社長室のドアを閉めると自然とため息が出た。緊張が一気に取れるような感覚だった。実際、どんな評価が事務所に来ているのか不安だった。ドラマはまだ日本では放送されていない。韓国での評判が今後の仕事に影響するのは必然だった。
 事務所の玄関を出ようとしたら、スタッフの山田が走って追いかけてきた。
 「すみません、渡すのを忘れるところでした。留守中にたくさんファンレターが届いてましたよ」
 淳は礼を言って手紙の束を受取り、鞄に仕舞った。
 疲れた身体と顔のメンテナンスを一刻も早くしたかった。五ヶ月にも及ぶ身体と心の緊張は、すぐに取れるとは思えなかった。韓国から予約を入れておいた行きつけのクリニックに出向いた。クリニックは形成外科と皮膚科、それに専用のエステサロンも併設している。

 「淳さん、お帰りなさい。ずいぶん日焼けされましたね」
 いつも担当してくれるドクターが顔を見るなり言った。
 「ずっと野外での撮影だったのでだいぶ日焼けしました」
 「少し皮膚にダメージがあるようですね。メンテナンスをきちんとしたほうがいい。紫外線はあとからシミやそばかすになるから、きちんとケアしましょう。レーザーで肌を滑らかにしておくといいですね。もともと肌理細かい肌質だから、すぐに戻りますよ」
 淳は、用意されたゲストルームで、顔なじみのスタッフにマッサージを受けた。全身をほぐしてもらい、顔の皮膚にレーザーを当てる処置を受ける。
 最近は、男性でもツルっとした色白の肌が好まれる。もともと色白で体毛も薄いタイプだったが、この業界に入って特に念入りに肌を管理するようになった。
 「昔は肌が綺麗なのは女性の条件だった。最近は男性もツルっとした肌がいいとか言うんだな。僕らの頃は、男は褐色の肌に髭が濃く野性的なのがいいと言われて、わざわざ日焼けサロンに通ったものだったが。時代の違いを感じるよ」
 淳の肌を見ながら、以前、社長は笑いながら言っていた。こんな生活をするようになって四年。身体を触るエステシャンの手が気持ちよくて、いつしか深い眠りに落ちていた。

 マンションに戻り、荷物の片づけもせず、気がつけばベッドに倒れ込んで寝てしまっていた。
 瑠衣とは韓国で別れたきり、メールのやり取りしか出来ていなかった。
 彼女は淳の帰国と入れ替わりにドラマ撮影に入ってしまい、大阪のスタジオにいた。ドラマと同時に映画の撮影も入っていて、何ヶ月も会えそうにない。芸能人同士、恋人になった時からスレ違いはある程度覚悟していたし慣れてもいたが、少し寂しかった。 
 
 目が覚めれば、もう辺りはすっかり夕暮れだ。薄暗い部屋の中、ボーッと今まで何ヶ月にも及ぶ韓国での生活をとりとめもなく思い返した。
 日本に帰ってくると韓国でどれだけ自分が緊張していたのかがわかる。自分には間違いなく韓国の血が流れていて、あの国がなければ今の自分がいないのはわかっている。それでも旅行者として訪れるのと実際に何ヶ月間かでも生活するのとでは大違いだ。もともと親戚も皆無で、母は、孤独な境遇の生まれ育ちだった。父に出会って日本で暮らすようになった。淳にとっては母国だと言われても馴染みのない外国のように感じた。
 
 韓国には自分の努力だけでは越えられないものがいくつも存在しているということを今回知った。
 徴兵制度もその一つだ。男子は誰でも十八歳以上になったら軍隊に行かなければならない。国民の義務である軍隊を経験して初めて一人前の大人として認められる。北朝鮮との戦争は、休戦であって終戦ではない。いつ何が起ってもおかしくない状況に国全体が緊張をしているのだということを彼らの言動の端々から感じることもある。
 ドラマ撮影の途中で召集命令が来て、入隊した俳優がいた。どんなに売れているスターであっても、国の為に約二年間、軍隊に行かなければならないという現実を知った。日本の芸能人とは根本的に全く違うのだ。
 父のおかげで日本国籍を持てた自分は軍隊にいかなくても済む。恵まれていると感じた瞬間でもあった。
 日本に帰ってくると本当に平和だった。日本人であるということがこれほど恵まれていると感じたことはなかった。
 そんなことをつらつらと思っているうちに、再び眠りに落ちてしまった。

 翌朝、マンションのベランダから差し込む光が眩しくて目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
 身体の汗と汚れを落としてさっぱりしたかった。
 ぬるめのシャワーを浴び、ゆっくり湯船につかると生き返ったような気分になった。
 腰にバスタオルを巻いてコーヒーを沸かし、リビングで留守中に届いた郵便物を見た。ほとんどが意味のないダイレクトメール。いらないものを捨て、鞄の中を整理しようとしたとき、手紙の束に気がついた。
 そういえば、留守中にたくさんファンレターが来ていると昨日事務所で渡されたことを思い出した。
 淳は、ファンレターを一通一通、丁寧に確かめながら読んだ。多くは今回のドラマをパソコンで観た感想が書かれている。
 「韓国人の血をひいているだけあって韓服がとても似合っていてカッコ良かった。ステキ、愛してる」
 「ドラマの最後のシーンで号泣するのを見たら、いつのまにか私も一緒に泣いていたわよ。演技上手くなったのね」
 アイドル出身の淳に届くファンレターはどれもミーハー的なものばかりだ。
 「はやく日本で放送されて字幕付きでドラマを観たい。待ってるから」
 「やっぱり歌手のたっちゃんが好き」
 「カッコイイ歌手の活動もして!」
 韓国へ行って知ったのは、韓国では四十代以上の歌手がほとんどいないということ。演歌やロックに僅かにいるものの、いわゆるアイドルと呼ばれる世代、KPOPの歌手はこれから次々と入隊を迎える。二年間、完全に歌や芝居から遠ざかって軍人生活をするのだ。
 年齢制限ギリギリの三十前に入隊し、除隊後は俳優へと転向するか、もしくは芸能界を引退し、他の職種へと転向していく人が多い。そのためか、若いうちから飲食店を経営したり、服飾で自分のブランドを立ち上げたりして事業をしている。アイドルとして若いうちに知名度をあげ、その間に個人事業を確立して、除隊後の経済的安定を考えている。
 兵役もなく、芸能活動を中断される事もない日本。
 四十、五十と、いくつになっても現役で歌い続けることの可能な日本の音楽界とは大違いだった。
 淳も今後のことを考えないことはない。出来ることなら福山雅治のように歌手と俳優の両方をやりたいと思うこともある。
 社長は次のドラマの打診も来ていると言っていた。自分としては、しばらく歌手活動に専念したいと思う気持ちが強かった。ソロのアルバムも一昨年出したきりだ。暇に任せて書き溜めた曲もいくつかある。
 今度、事務所で話してみよう。そう思うのだった。

 順番にファンレターを手に取り、読み進めていくうちに、他の手紙とは、明らかに趣の異なるものがあるのに気がついた。それは、何通もの桜の柄の和紙の封筒に入ったものだった。
 いくつかの封書を開けてみた。
 そのどれもが「たっちゃんへ」の書き出しで始まっていた。
 封書を裏返してみると、「高樹優子 Love学講座課題」とあり、番号と日付が書かれている。
 淳は、手紙を日付順に並べてみた。手紙は、四月から八月まであり、十通以上だった。最初の手紙は、四月二十六日だ。
 淳は、果たしてこれが自分宛にきたものなのどうかもわからなかった。
 宛先は高良淳宛なのに、内容は明らかにファンレターとは違う。
 試しに「Love学」で検索をしてみると、ある国立大学に三年前に開講された社会学の中にある1つの講座ということがわかった。
 担当教授は熊川太郎。恋愛を学問として捉えるユニークさから、話題の人気講座として名前が出ている。
 授業内容を上げている学生のブログを読んでみた。すると、「恋文を一年間書く」という課題が出されたと書かれていた。
 これは課題の手紙なのだろうか。


たっちゃんへ

 今日も表参道のあのカフェに一人でいます。雨が降って窓に水滴がついています。こんな日はあの日のことを思い出す。
 知っていますか? 私はあなたと初めて出会ったあの夏の日から、ずっとあなたが好きだったことを。
 高校になって、あなたをやっと見つけた。
 高校の英語の課題に『ホビットの冒険』が出て、あなたを思い出したなんてことは嘘。本当はずっとあなたに会いたいと思っていたのです。でも遠く神戸と横須賀では、その思いも叶わない。
 中学に入ると、両親は御影に行くことをなかなか許してくれなくなりました。御影へ行けば、私が読書にかまけて宿題すらおろそかになることを知っていたのでしょう。中学受験をしなかった私の原因が読書好きな性格にあるのを知っていた父と母は、御影の祖母の家から私を遠ざけるようにしました。お気に入りの祖母の家の書庫に行けば、私が夏中でも帰ってこないことを知っているからです。
 「もう中学なんだから、そろそろ勉強に本気で取り組まないと、まともな高校にもいけないぞ」と父は言いました。
 塾に入り、クラブ活動をすることは、いい学校への第一歩でした。それに高校生のあなたは、中学生の私をきっと以前のように相手にしてくれないこともわかっていました。それぐらい、あなたは同級生の男の子に比べて大人びていたのです。そんなあなたの面影を思い出しては、私は胸が苦しかった。
 あの頃、口実を作っては、祖母に何度か電話をかけ、あなたの様子をそれとなく聞いたりしました。
 あなたが高校生になっても週末になると祖母の家の書庫に通っては、相変わらず一日中、本を読みふけっているということも聞いていました。
 あなたに会いたかった。
 会っていろんな話がしたかった。
 でも中学生の私にとって、神戸は余りにも遠かった。年末やお盆には、一家で帰省しても、ゆっくり滞在する暇もなく横須賀へ戻っていました。あなたに会えないままでした。
 そんな時でも、祖母にあなたのよく読んでいる本を聞いたりしました。
 あなたが学校の読書感想文のコンクールで金賞を取ったのは、ダンテの『神曲』だったことも知っています。
 あの頃のあなたのお気に入りの一冊ですよね。
 あなたが高校三年の春、お父様の事業が大変なことになって家を処分し、東京へ一家で引越しをしたことを聞きました。この東京にあなたがいる。そう聞いただけで私はあなたへの気持ちが募りました。でも、どうすれば会えるのかわからなかった。なぜなら祖母はあなたの転居先を知らなかったからです。
 一年が過ぎ、もうあなたに会うことを諦めていました。
 私は志望校に入り、両親は祖母の家に行くことをやっと許してくれました。久しぶりに書庫の中で、あの頃、二人で読みふけった本を片っぱしから読みました。そうしたら無性にあなたに会いたくなった。
 やっぱりあなたが好き。そう思いました。
 祖母があなたから正月に年賀状が来ていたと見せてくれました。私はその住所を丸暗記して帰りました。 
 あなたに会いたかったから。

 あの夏の日、再会したあと、別れ際に雨が降っていました。あのとき、あなたは傘を躊躇なく貸してくれたでしょう?
 私はとても嬉しかったの。だって、これでまた、あなたに会うことができる。傘を返すという口実で連絡を取ることが出来るから。

 今日は、あの日と同じような雨が降っています。

                              高樹優子



 毎日が忙しかった。
 淳は、韓国から戻ってから、休む暇もなくドラマ関連インタビューをいくつもこなした。
 事務所としては一気にここで淳を俳優として売り出し、知名度をあげたいと思っているようだった。
 いくつもの仕事の中から、社長と慎重に相談して新年早々のドラマ出演を決めた。
 「歌手としての活動もしたい」という淳に、社長はこのドラマをこなしたあとは歌手活動に専念することを許してくれた。
 ソロ歌手として二枚目のアルバムの製作も決まっている。ドラマ撮影は十一月末から入る予定だった。
 
 今日は、撮影前の束の間のオフ日だった。
 淳は、好物のレモンタルトが食べたくなった。
 表参道近くにあるカフェ。ここは、高校生の頃、偶然、知った場所だった。
 この場所に来ると、いつも懐かしい思いになる。
 淳は好物のレモンタルトを口に頬張った。
 昔から変わらないレモンタルトの味。
 
 人生はわからない。
 社長に芸能人にならないかと説得されたのも、このカフェだった。あのときもレモンタルトを食べていたっけ。
 いくつもの大切な思い出の中にいつもレモンタルトがあった。
 平日の午後で店内は空いている。
 いつもふらりとやってくる淳の為に、マスターは、カウンターの一番端の席を予約席として空けていてくれる。
 カウンターは窓際に設置されていて、外の様子が見える。快晴の午後だった。窓から晩秋の柔らかい日差しが照りこんでいた。
 「お待ち遠さま」
 マスターが目の前にレモンタルトと紅茶を置いてくれる。
 淳は、フォークで真ん中に切れ目を入れた。右端のビスケットの部分を切り離し、ひと切れ、タルト部分を口に入れる。酸っぱさの中にさっぱりとした風味が口の中に広がった。続けて右端のひと切れを一口で食べる。そして、最後に残ったビスケット部分を噛むとカリッと音がした。
 これこれ! ここのタルトは、ビスケット部分がとても美味しい。多くの店がサクっとした食感に対し、ここのは、しっかりと焼いてあるために、噛むとカリカリと音がするほど歯ごたえがいい。だから、淳は、いつもビスケット部分だけを切り離して、最後に食べていた。ビスケットの食感を味わうために。

 タルトを食べ終わると淳は、鞄から一通の手紙を取り出した。
 桜の封書の名前に心当たりはない。しかし、そこに書かれた風景は懐かしい香りのするものだった。
 高良淳宛のファンレターなのに明らかに中身は違っていた。
 手紙を読みながら何度も感じた違和感。
 そして淳は、十以上ある手紙の中で一番最後に届いた手紙をいつも持ち歩いていた。

高樹優子。
いったい、君は何者なんだ。


たっちゃんへ

 あなたは生きていたのね。
 樹海から抜け出して、別人になって生きていることを知りました。
 あなたは過去も人生も全て捨て、外見も捨てて、高良淳という芸能人になって生きている。
 四年経った今、あなたがくれた手紙でそれを知ったとき、本当に嬉しかった。
 何度、あなたが生きている夢を見たかわからない。
 樹海をどんなに探しても、あなたを見つけることが出来なかった。遺体どころか遺品すら見つけられなかった。
 最後のあなたからの手紙を何度読み返しても、心の奥深いどこかで、あなたがもし生きていたら、と何度思ったかしれない。
 それが現実だったことが嬉しかったの。
 あなたは、許して欲しいと何度も書いていた。私を酷く傷つけたことを許して欲しいと書いてあった。
 でもそんなことはどうでもいいの。
 あなたが生きている。
 それだけでいい。
 それだけで私は生きていける。

                            高樹優子

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