痔除伝 introduction

思えば、以前から前兆はあった。

ことの起こりは、たしか8年近く前に女友達と秋葉原のメイド喫茶に行った時だとおもう。

接客してくれたメイドさんから、テレビなどで見たことがある、「美味しくなるおまじない」をするように強要され、照れに照れてしまった私は、驚くほどのか細い小声で「美味しくなーれ、萌え萌えキュン……」と呟き、両手で胸の前にハートマークを作った。

私のテンションが伝播してしまい、同行の女の子も顔を真っ赤にしながら、「お、美味しくなーれ、萌え萌えキュン……」と呟く。我々の接客についたふたりのメイドさんは、

「はーい、良くできましたー♡」

といいながら、100点の笑顔でこちらを見ている。しかし、その両目は白目を剥いていた。

多分、メイドさんも、他の客も、そこにいる私たち以外の人間すべてが、恥ずかしがるなら最初から来るんじゃねぇよ、このインポヤロー!と、白目を剥きながら心の中で罵っていた事だろう。

仰るとおり、メイド喫茶とは、喫茶というよりもある種のアミューズメントパーク。こういう場所へは、ちゃんとノリきれる人間しか足を踏み入れてはならないのだ。私たちは深く反省した。

いたたまれない空気感の中、おそらく冷凍食品だろうと思われる、1,200円くらいのオムライスをつついていると、突然肛門にヌルッとした耐えがたい痒みをおぼえた。


どちらかといえば女性の前で肛門を掻かない方がいい、という大人のマナーを知っていた私は、彼女に、
「ちょっと日経平均株価チェックしてくるね」
と告げ、トイレに向かった。

スラックスと下着を膝下まで下ろし、便座に腰掛け、トイレットペーパーを手に取る。一心不乱に、アヌスを削り取る勢いで擦り付けたいところだが、ぐっと我慢する。日々学習に余念がない私は、前日の夜に「必要以上に大きな力でアヌスを刺激してはいけない」と、進研ゼミで予習していたからだ。

心の中で赤ぺん先生に謝辞を述べつつ、紙ナプキンで口元を拭うように、慎重に紙とアヌスをキッスさせる。強すぎず、かつ、弱すぎず。優しいが、それでいてディープなキッス。脳内に、オリジナルラブの「接吻」が流れる。

「甘く 長い 口づけを交わす
深く 果てしなくあなたを知りたい」

アヌスとは、極めて儚い、危険物。もう少し、力を弱める。これを、専門用語でメゾ・ピアノという。

「fall in love 熱く 口付けるたびに
やけに 色のない夢を見る」

田島貴男の歌声のように、粘っこくアヌスをワイプする。


すべての行動には、確認が重要である。痒みの原因はなんだったのか。恐る恐るトイレットペーパーを見ると、明らかに便ではない、膿なのか、はたまた腸内の分泌液なのか、見慣れない粘液のようなものが付着していた。

(なんだ、これは……)

改めて新しいトイレットペーパーを手に取り、拭き取ってみるも、もう粘液は採れなかった。肛門の痒みはすっかりと治り、後には心の違和感だけが残った。

夜、気になってシャワーで念入りに洗い、その後しばらくの間は特に異変が起こることはなく、そういうこともあるだろうさと、この出来事を心の奥へと追いやった。

つづく


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