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痔除伝 第十三章 tomorrow

痔瘻の状況と手術によっては即日手術、1日で退院というケースもあるようだが、私の場合は8日間(月曜入院、火曜手術、翌月曜退院)の入院生活となった。

後で聞いたところによると、今回の手術は、「切開解放術」。アヌスを切り開いて、痔瘻の穴を無くしてくれたらしい。

アヌスを切り開くとか、大丈夫なの?括約筋がバカになって、大便漏れ太郎になるんじゃないの?と思うが、私の痔瘻の穴はアナスよりも背中側にあり、括約筋は背中側なら切れても機能が維持できるらしい。

なるほど、素晴らしい知見を得た。私も、今後他人の括約筋を切るときは背中側で切るようにしようと思う。


術後の入院生活で、特殊な決まり事はない。ルーティンとして毎日朝食後に各自で診察室に向かい、診察を受けることくらいである。

他にも1日に数度看護師さんの回診のたびに検温やアヌスチェックがあるくらいで、それ以外は基本的に自由行動である。

黙ってても風呂が沸いて、寝てる間に飯が出てくる。まさに現代の貴族。ただし、入院生活のアヌスケアに関しては、いくつか注意点があった。

1、出来れば毎日排便し、頻度、量、形状などを報告する事

アナスの手術をしたので、当然といえば当然である。しかし、30代のおっさんが、自分よりも若いであろう看護師さんに「あのね!あのね!今日はね、こーんなにいっぱいうんち出たよ!かたちはね、やーらかいの!」などと報告するのは、少し恥ずかしい。

術後からすぐに排便することが推奨されたのだが、術後一発目の排便は、とにかく恐怖だった。


2、トイレットペーパーの使用禁止

トイレットペーパーが傷口にくっついてしまうらしい。そのため基本的にウォシュレットの水圧のみで汚れを落とし、その後は個別に渡されているガーゼでアヌスの水気を拭いたあと、トイレの個室に用意されているサニタリーボックスに捨てるよう指示された。

その時のウォシュレットも、怖かった。

この病棟の患者は殆どが大腸、肛門科の患者と思われ、自身と他人のアヌスに配慮が行き届いており、ちゃんと水圧が1番弱く設定されているのだが、それでもいきなり術後のGスポットを刺激することはできず、毎回アヌスと遠く離れた場所で具合を確認してから徐々にアヌスへスライドさせていた。


3、こまめなガーゼの交換

アヌスは毎日使い、当然その度に汚れるものである。勿論、傷跡から細菌感染が起こらないように抗生物質が処方されているのだが、それでも傷跡は清潔にしなければならない。

看護師さんも、清潔にすればするほど治りが早いと言っていた。また、手術後は傷口から浸出液という液体が出続けている。地獄司教は分泌液と言っていたけれど、本来は浸出液が正しいそうだ。

この浸出液の色味や量などで治癒の状況、程度がわかるらしく、そう言った意味でもガーゼの交換をこまめに行わなくてはならないようだ。

余談だが、この浸出液がとてつもなく臭い。糞便のような臭さではなく、生臭さがある。腐敗臭にも近いかもしれない。

例えるならば、数日放置されて腐ったマグロの刺身のような匂いである。こんなにも臭いので、それこそ細菌感染してアヌスが腐ってるんじゃないの?と思うけれど、これくらい臭いのが普通なようだ。


4、毎日ちゃんと湯船に浸かる事

清潔にしろ、ということの延長なのか、それとも血行を良くするためなのか。意図はよくわからないが、シャワーだけでなく手術の翌々日からは毎日湯船に浸かった上でアヌスをよく洗うように言われた。

風呂自体は好きなので、それは全く苦でないのだが、ただ、アヌスを洗うのが怖かった。石鹸をつけて洗うのなんて考えられない。

ウォシュレットを使っているので大丈夫だと思うのだが、それでも怖い。アヌスに直接手で触れるのも怖いので、浴槽内で手で波を作り、アヌス洗浄をした。

今思うと、複数の患者が似たようなことをしていたと思う。大丈夫なのか?その湯船。どう考えても大腸菌のプールになっている気がする。

……ま、まぁ、腸内フローラの改善のために他人の大腸菌を取り入れるケースもあると何かで見たし、よく考えれば銭湯や温泉だってほぼ同じである。なぁに、かえって免疫力がつく。


他にも入浴時のルールなどはあったが、変わったことといえばこれくらいで、後はほぼ日常生活そのもの。

食事は、早い段階からしっかりとした一汁三菜のものが出た。一人暮らしの私は、食事なんて普段から一品料理しか作らない。

外食に行っても大体丼ものだったり、ラーメンだったり、パスタだったりと、主食だけになってしまうのだが、人の手で調理された一汁三菜の食事が出てくると、食べてるだけでなんだか嬉しく、楽しくなる。

私は腸の病気でこれまで何度も入退院を繰り返しているが、腸の病気ゆえに入院初期は長期間の絶食を強いられていた。

食事が取れるようになっても、お粥をさらに薄めたような食事からスタートすることになる。見た目はただの障子のり。

どう見ても一般の成人男性の食卓に並ぶものではなかったので、「おいおい!わしゃ、舌切りすずめか!笑」というツッコミ待ちだったのかもしれない。

退院が近くなって、漸く「噛める米」が出てくるが、それでもお粥。おかずも極めて柔らかく、そのせいで私はアゴが退化して『かぐや姫の物語』の帝のような輪郭になった。

絶食期間が長いことが理由なのだろうが、味も薄味で美味しくないことが多く、私にとってこれまでの入院食は苦行のようなものだった。

しかし、今回の入院では食事が楽しい。味も濃いわけでは無いが、しっかりと塩気や風味が感じられる。外食や家庭料理のような感じでもない、学校給食のような感じに近い素朴な味。揚げ物が出ることもあった。

人間らしい食事が決まった時間に出てくるというのは、結構嬉しいものである。


痛みのほうは、痛み止めを飲んでいても少しだけあった。ジクジクとした痛み。ただ、歩けない程ではなく、むしろ私は他の患者に比べて自由に歩き回ったりしていた方だと思う。

隣の鈴木おさむ似のいびきがうるさいおっさんは、診察の時にもかなり歩きづらそうにしており、見るたびに痛みで顔を顰めている。スタスタ歩く私を見て、

「い、痛くないんですか!?」

と、大層驚いていた。大袈裟な人だなぁと思っていたのだが、その後の看護師さんとのやりとりを聞くと、どうもおさむは痔瘻がかなり悪化していたらしく、予後もあまり良くない状況だったらしい。

傷跡にガーゼが張り付いたり、大量の浸出液が出てベッドを汚していたりと散々なようだった。ちゃんとアヌスを洗えていないと、叱られてもいた。結果、おさむは入院の延期を余儀なくされていた。

斜め向かいの兄ちゃんも、同日の入退院ではあったが割と大変そうにしていた。私が極端に痛みに強い、という自覚はない。私の手術がたまたまスペシャル上手くいったのか、もしくは私の痔瘻があまり大したものでなかったのかもしれない。

仮に後者なのだとしたら、他の痔瘻の人は、日々どれだけのでかい爆弾を抱えて生活をしているのだろうと不思議に思う。


術後生活2日目。朝食後に診察室前で呼び出されるのを待つ。ふと、入院生活で仲良くなったのか、おっさん同士で仲良く喋っているのが聞こえてくる。

「本当に大変だからねぇ。オレなんて再発ばっかで、もう十数回目だよ、痔瘻で手術すんの」

……マジかよ。聞かなきゃよかった。

確かに、痔瘻は繰り返すポリリズムであるという話を、いくつかのWebサイトで目にしていた。けど、それにしても十数回も繰り返す人がいるのか。

お腹を下しやすい男性がよく痔瘻になるとのことだが、私も頻繁にお腹を下す。この会話を聞いてしまったのも、再発した時のための伏線としか感じられない。ドラマや映画だったら、後でエコーがかかって流れるシーンである。

一時、ネガティヴな思考になったが、まぁ、仮に再発するとしても、それまでの間は一切アヌスの事を気にせず生きていられる。それだけでも私の人生に光が差すように感じる。

診察をしてもらい、術後の経過も良好。私の辞書から痔瘻の文字が徐々に消えていくことに喜びつつ、残りの入院生活を満喫した。そう、睡眠以外は。


やはり、寝たい時にうるさくて眠れないというのは、とてつもないストレスを感じる。おさむのいびきがとにかく凄まじい。私も、深酒をした時などはいびきをかく。しかし、おさむのいびきはすごい。

イヤホンをから音楽を流しても聞こえるいびきにより、夜4時頃まで眠れず、日中に寝ようとするも、おさむも似たタイミングで眠りだし、いびきで起こされる。寝る時間のタイムスケジュールを提出してほしい。

何度か、夜中にデイルームに行って眠ろうと試みたが、座ったまま寝ようとするとアヌスに力がかかるのか、痛みが生じて断念。とにかく睡眠不足に悩まされた。

また、このおさむがなんとも人懐っこく、妙に馴れ馴れしいところがある。初日に感じた通り、多分悪い人なのではないのだと思うが、集団診察や顔を合わせる機会がある時に、話しかけたそうにこちらをチラチラ見てくることがある。

たしかに私は中年男性でありながら、橋本環奈ちゃんにそっくりなので、仲良くしたくなるのも仕方がない。


ある日、朝食後の集団診察の際、エレベーターホールであくびをしながら眠そうにしている私に、おさむが話しかけてきた。その発言に、私は耳を疑った。

「環境が変わるとなかなか眠れないですよね。私も寝不足気味になっちゃって」

その場にいた同室の人間全員が、激しい怒りで白竜と小沢仁志の顔になり、病院におよそ似つかわしくないVシネマの空気が漂った。一触即発である。

私はスマホを取り出し、こいつのケツの穴に蒙古タンメン中本の北極を流し込んでやるため、ウーバーイーツに北極の辛さ10倍と、流し込む用の漏斗を注文した。トッピングに、茹で卵もお願いした。

こーのーハゲー!!ちーがーうーだーろー!!違うだろー!!これ以上私の心を傷つけるな!!アヌスに北極を流される方がよっぽど楽だよ!!これ以上私の睡眠を妨げるな!!頼むから!!


あまりの衝撃と怒りで、

「オメーのいびきがうるさくてみんな眠れねーんだよ!っていうか、オメーのいびきがウルセェってことは、オメーは寝れてるじゃねぇか!それでも眠いのは、環境のせいじゃねぇ!睡眠時無呼吸症候群のせいだ!CPAPでも借りろ!」

と、気持ちよく正論ぶつけてドヤ顔決め込みたいところだが、いかんせん私は気弱BOY。お母さんに対して横柄な態度は取れても、知らない人に面と向かって声を荒げることはできない、内弁慶の外地蔵である。いや、もっと酷い。内ズル剥けの外包茎である。

「はは、大変ですよね」

と言って、お茶を濁すことしかできなかった。

なさけない!悔しい!こんな気弱な自分を変えたい!肝を鍛えて恐怖や威圧感に慣れようと思った。何事にも動じず、強気な気持ちを保つには、恐怖への慣れが必要である。

診察後に、血と暴力、裏社会の話で溢れているだろうと思われる「顔面凶器」こと、小沢仁志兄貴のブログを見て肝試しをしたが、食べたご飯の写真ばっかりで、ほとんどの投稿が可愛かった。ほっこりした。でも、2、3日に1回くらいの割合で出て来る顔写真は怖かった。


そんなこんなであっという間に1週間が過ぎ、退院の日がやってきた。入院中の空調管理は、夏なのに完璧と言えるほど不快感がなかったのだけど、退院の日だけは夜中からずっと蒸し暑かった。寝ている間にもうっすらと汗をかくほどだった。

少し話は変わるが、私は元々髪が伸びることに対して不快感を感じない性格である。むしろ髪を切られることや美容師とのトークが嫌で、美容室嫌いとも言える。

髪を切るのは、あくまで周囲に対しての「一応身だしなみは整えてますよ」というアピールの為だけである。この頃の私は、自粛生活で人と会うことがない為、そんなアピールもしなくていいと開き直り、昔のフォークシンガーみたいに髪の毛が伸びっぱなしになっていた。

朝になり、朝食後に歯磨きをする為洗面台に向かうと、夜間のあまりの湿度で元々癖毛である私の髪がまるでパーマをかけられたかの様にうねっていた。その様はまるで黒髪のアニー。

朝がくればtomorrow
アヌスが塞がるtomorrow明日
湿気で頭が爆発tomorrow

あまりのカール具合に、ベッドに戻ったあと、この後すぐ退院だけどシャワーを浴びた方がいいかなぁと考えたけれど、まぁいいかと思い、荷物の整理をする。

退院後は、何をしよう。久しぶりに美味しい物も食べたいし、そういえば給付金が手付かずで残っている。これは貯めるためのお金ではなく、使わなくてはいけないお金だ。

帰りがけにAirPods PROでも買おうかなぁと想像を膨らませていたところ、清掃員のおばさんが掃除にやってきた。そして、私の顔を見るなり、

「あら、あなた可愛い頭ね!パーマ?」

と、声をかけてきた。私は、急に声をかけられたことに狼狽し、

「あ、すみません、くせ毛なんです」

と、謝る必要もないのに謝った。おばさんは、嬉しそうににっこり笑い、掃除を続けながら私に言う。

「あら、そうなの。あなた、小さい頃いじめられたでしょ」

ドキーーッ!!え?なんでそう思ったの!?ボク、そんなにムカつく顔してますか?それとも、ビクビクしてるところが鼻についたのでしょうか。

確かに私は、山崎邦正の様な「ナメられ顔」をしているけど、だからといって初対面でいきなりそんなこと言うかね!?もしかして、おばさんになると神経が全部死ぬの?

「可愛い髪型」という、相手の機嫌を伺いつつ、油断を誘う初手から、「お前昔いじめられてただろ」と言う怒涛の二手目。二手目でいきなり王手である。

思わぬ強襲にボクの思考回路はショート寸前。窓からは、泣きたくなる様なサンシャイン。なんの返答もできずにモジモジしている私。

今思えば、「なんでそう思ったのですか?」と聞けば良かったのかもしれないし、おばさんもその質問待ちだったのかもしれない。しかし、その時の私はどう答えても不正解な気がした。だったら、どうするか。

沈黙!それが正しい答えなんだ。

私は、冨樫信者だった。

お通夜の様な静寂が私とおばさんを包む。私が沈黙を続けるせいで、おばさんはなかなか続きの一手を出してこない。

それは、そうである。おばさんが放った王手は、諸刃の剣。王自ら敵陣に乗り込んだ自爆テロだったのだ。

彼女自身、私の沈黙(長考)に対して、「ヤバい、かなり失礼なことを言ってしまった!」と気づいたのかもしれない。

私が、「なんて失礼なことを言うんだ!」と怒ったり、「なんで辛いことを思い出させるんですか……」なんて被害者の様なスタンスをとれば、途端に逆王手であり、おばさんを窮地に追い込むことができる。別にそこまでしたいとも思わないが、とにかくこの空気はなんとかしたい。

清掃が終わり、私のスペースから立ち去る直前、彼女はハッと起死回生の一手を思い付いたかの様に、明るく言った。

「ほら、小さい子って、可愛い子をいじめたりするのよ。羨ましいのよね!嫉妬よ!髪型が可愛いから!」

私は、ナイスだ!と膝を打った。

「ああ、そうなんですね〜!」

と、彼女の機転により、お互いに笑顔で別れることができた。

小学生の頃の私は、可愛いどころか、スポーツ刈りのブスで、顔がでかいからビッグフェイスってあだ名をつけられてたけどな!おばさんの言ってることは、半分正しかった。退院したら、まずは給付金の10万円を元手に美容整形だな、と決意した。



もうちっとだけ、つづくんじゃ





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