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書くために、生まれてきた。
宮下奈都さんの、「羊と鋼の森」を読んだ。
ピアノの調律をするために生まれてきたかのような主人公(少なくとも私にはそう読めた)の物語で、作中にはピアノを弾くために生まれてきた少女も登場する。
宮下奈都さんご自身も、小説を書くために生まれてきた人だと思った。
「○○をするために、生まれてきた。」
そんな風に言えたら、どんなに良いだろう。
私はずっとずっと、それを追い求めている気がしている。
だけど、ほとんどの人間にとって、そう言えるようになることは困難なことだ。
「文章を書くために、生まれてきた。」
確かに書くことは好きだし、得意なことではあると思うけど、まだそう言い切れるほどの深い確信は私の中にはない。
「文章を書く」といっても、その過程には様々な要素があるから、そのうちの1つに何かがあるのかもしれない。
そう思いたいだけかもしれないけれど。
ただ1つだけ言えることは、それは他人から与えられるのを待っていても、ある日突然天啓がくだることを待っていても、辿り着くことは難しい境地だということだ。
ならば、歩み続けるしかない。
世に出ていなくても、大きな結果や多くの賞賛がなかったとしても、自分が何をするために生まれてきたのかは自分で自由に決めていいはずだ。
だったら、「書くために生まれてきた」と仮定し、そこに向かって努力を続けるしかないじゃないか。
いつか何かが見つかるのか?は、分からない。
希望と、絶望と、また希望と、絶望と。
きっと繰り返しながら、私は生涯書いていくのだろう。
だってこんなに私を満たしてくれて、前を向かせてくれることは他にないのだから。
「書く」っていいよね、楽しいよね。
そう自分を励ましながら、道なき道を、森の中を、進んでいく。
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