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安全な場所で文句を叫ぶ卑劣な人間ども

他の動物よりは優れた知能を持っているらしい我々人間は、もしかして、他の種に比べて不平不満を持ちやすいのかもしれない。

当然、わたしも不平不満を持っているし、むしろ不平不満だらけの人間である。不平不満が物質化するのだとしたら、わたしの歩いた軌跡はどす黒い汚物で埋め尽くされているんだと思う。むしろまき散らしたい。

そして、その形のない不平不満をできればこういう場所に捨ておきたいのだけれども、なぜか自由にぶちまけられない自分がいる。なんだろ、いつの間にかわたしの中で、ネットが不自由になってしまったらしい。

それでもわたしは、今日はどうしてもお目汚ししたい気分だ。

わたしは、職場でできる限り不平不満を無意味に述べることは控えている。しかしながら、それを口にする人の多いこと。

それを直接聞いたり間接的に聞いたりする中でわかってきたことは、おおむね次のことだ。

「自分の意にそぐわない」

もうこれに尽きる。これしかない。自分の意にそぐわないから不平不満になる。愚痴ってる。文句いってる。そらそうだわ、って感じ。自分が納得できなきゃ、全て怒りに変わる。

でも、そういう人たちを観察していると、「いや、むしろあなたがおかしいんじゃないか」って言いたくなることがある。きみの見方が偏ってるからこそ、その愚痴が口からはみ出ちゃうんだよ、と。

そして、愚痴をぶちまける人に対して(だいたい、愚痴を聞いてほしいだけだったりするんだけども)、こちらが他の視点から意見を投げかけたりすると大変。「自分のことわかってくれない!」こういう感じになる。

愚痴を愚痴で終わらせず、きちんと建設的に物事を考える人間は、他人の意見に耳を傾ける。自分の不平不満の正体が、自分の凝り固まった思考のせいだと気付く。

それに気付けない人って、もうアレ。アレ。

その人間の、これまでの知識と経験からできあがった枠組みがあり、その外側にある考え方や知識に対して、自分の持っている枠組みの中にどうにか落とし込もうとするから無理がある。

すんなりと、自分の枠組みを広げようとする人間もいれば、その能力がない人間もいる。後者の場合、自分より若い人間だったりすると、「あーこいつダメだ」と、わたしは会話に終止符を打つ。柔軟性云々の問題じゃなくて、その人間の限界なんだね、そこが。知能っていうより、拡張の限界。

この思考の枠組みが狭いと、なんかわけわからん不平不満が多い人間となってしまうわけ。あくまでわたしの観察結果ですが。

あれ、じゃあわたしもそうか、と、書いててなんか落ち込んできました。

こいつバカじゃないか、根拠を示せよ、何愚痴ばっか言ってんだよ感情で物言うなよ、と苛々してるわたしも、当然同じレベルでイラついているだけなのだなぁ。


※本記事は、2018年5月に自サイトにて投稿した文章を加筆修正したものです。

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