アートって何なんやろか vol.1
こんばんは、お風呂で書いています。
すでに湯船が熱すぎて死にそう。
ここ1週間くらい思うことが多くて連続更新です。
今回はまだ自分の中でまとまっていないので、メモ書き程度に投稿です。
脈絡とか言葉の使い方もあんまり意識してないです、悪しからず。
いきなりですが、最近雨にいじめられてると思います。
この間「自粛に疲れたので超久々に飲みに行こう!」とはりきって10日ぶりに家を出たら、まさかの豪雨。
仕方なくタクシー捕まえて亀戸駅まで直行したのに、店閉まってました。
どういう仕打ちでしょうか?
一昨日もヤバめの雨でした。
JRは止まるし雷はIMAX並の爆音で鳴ってるし。
さらに豪雨の中、超危険運転をするおっさんのタクシーに乗り込んでしまって、本当に死にかけました。
「公道版のJAWS」かと思いました。
それはさておき、
というわけで一昨日、豪雨の中、
武蔵野美術大学の卒展に行ってまいりました。
総じて、右脳が破裂しそうになってめちゃくちゃ“疲れた”。
「歩いて作品眺めてるだけやのに、何で疲れたんやろう」ってお風呂入りながら考えていたら、なんとなく答え見つかったから忘れんように残しておく。
1. 感性と論理の話 (今回)
2. 武蔵美卒展が疲れた理由 (次回 vol.2)
3. 伝えたいコト (次回 vol.2)
1. 感性と論理の話
いきなり宗教感漂うヤバめのタイトルにしてしまったけどそんな話ではないので安心してください。
自分はこれまでアートには全く触れてこなかったから、
そもそもアートって何?っていうのが今現時点で分かってない。
学生時代に興味本位でデザイン思考とかの本読んだりはしていたけど、なんとなくパッとしなかったのもこれが原因で、
そもそもアートって何なのかが分かってないんやなって思ったわけです。
今回武蔵美に行って、これまでアートに触れてこなかった人間が初めて「アートとして展示/紹介されているモノ」を目にして考えて、感じたことがあります。
それは、きっとアートって、
「感性と論理、この2つが、なんかいい感じに重なったり、重ならなかったり、交わったり、交わらなかったりしてできてるもの」
なんじゃないか??ということです。
は?
(何言ってんの?って思った人すまん)
(先に言うけど最後まで読んでも最終的にうまくまとまってません、悪しからず)
ちょっともうすでに何言ってるかわからんと思うけど続けます。
文字数的にも具体例すら入れられません。鬼畜なnoteになりそうです。
すでに嫌な予感がしてます。
はい、本題に戻ります。
たとえば、感性と論理って下の①〜④みたいな感じで“重なり”とか”交わり”とか”独立性”とかがあると思ったんです。
下に書いた①〜④は、クリエイター目線とギャラリー目線両方に当てはまると思いますが、一旦クリエイター目線で何かアート作品をつくるっていう意味合いをメインにして見ていきますね。
①論理的に考えた後、感性を出してく/足してく
これは分かりやすくて、
まずは論理的に、
「何か自分の中で気になったこととか気づいたこと」とか、
「社会で課題とされているもの・課題になりそうなもの」とか、他色々…
に対して徹底的に追求して、1つかいくつか自分なりの答えを出した後に、それをコンセプトとして集約させて、最終的に感性を生かして作品としてアウトプットするパターン
補足(ギャラリー目線)
これはどういう背景・目的でつくられた作品かを考える→自分の感性で解釈、または何かしらの気持ちを感じる
②論理的に考える前に、まず感性を発揮する
①の前段階として、
「何か自分の中で気になったこととか気づいたこと」を発見するためのプロセスとか考え方とか、
「社会で課題とされているもの・課題になりそうなもの」を発見するためのプロセスとか考え方とか、他色々…
に対して何かしらの枠組みとかフレームみたいなものをつくるために、
この段階からまず感性を発揮するパターン(①の一部になり得る)
例えば、「飢餓」をテーマになんか作品つくるなら、飢餓について何かしらのアンケートとったり調べたりするだけじゃなくて、
一旦自分が1ヶ月断食して飢餓を体感してみるとか、さらにそれを踏まえて飢餓状態でしか思いつかんような思考フレームを1から構築したりとか、そういうことです(ごめん意味わからんな、なんで飢餓っていうワードが今出てきたのかも謎やわ)
補足(ギャラリー目線)
ちょっとズレるが極端な話、視覚情報をあえて完全に消して作品を見るとか、あえて早朝に観賞とか、そんな工夫はできるかと思う
前段階として何かの工夫をすることで、作品を解釈する・考える・感じる幅を広げるイメージ
③論理だけで考えてつくってく
きっとアートの世界にこれは無いとは思うので割愛
もしかしたらあるかも
アウトプットに感性要素を含ませないパターン
補足(ギャラリー目線)
自分の感性は足さずに作品を見る(無理かな)
または、作品の背景・目的だけを知って終了(無理やな)
④感性だけで感じてつくってく
①と②は、作品に背景や目的があるパターンでした
④に関しては、そもそも背景や目的もなくただただ無心に何かをアウトプットするというパターン
霜降り明星のせいやが、何の脈絡も無い言葉を永遠に発し続ける行動をよくしてるけど、イメージはそれに近い
↑ イメージわかん人はこれの6:00までを見てください
(せいや本人は6:00までの行為を、①挨拶、②お笑い、③本当のファンを探す、という目的で行ってますが、言葉の1つ1つには全く意味がないので、これはアート作品としては感性だけでつくられたと言ってもいいと思う)
補足(ギャラリー目線)
ただただ無心で鑑賞、できるだけその作品に関する五感情報以外を頭の中から取り除いて鑑賞
ちょっと話戻りますが、
逆に①とか②とかは、多分最終的に下みたいなアウトプットになると思う
すいません、説明は文字数やばくなりそうなので割愛します。
↑ 好きな取組みなので見てください
(まあこれをアートと捉えるのは微妙やとは思うけど、参考にはなるはず)
風呂熱すぎて文章も抽象的で雑くなってきたので一旦ここでカットします。
次回! じゃあなんで自分は武蔵美の卒展に行って、ほぼほぼ初めてちゃんとアートに触れて、①〜④みたいなことを考えて、
アートってきっと、「感性と論理、この2つが、なんかいい感じに重なったり、重ならなかったり、交わったり、交わらなかったりしてできてるもの」やと思ったかを書いていきたいと思います。
アートに触れたことがない人間がアートの話をすると頭がおかしくなりそうです。
美大ってこういうのも4年か6年かけて勉強するんやろうなあ、と思いつつ、
次回も1日で感じたことを気合いで書いていきます。
2021/03/15 かみたに
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