大切な人が新型コロナウイルスに感染して辛い(爆笑問題田中裕二)

私がお笑い好きになったのには、小さい頃の源体験がある。それはポンキッキーズだ。
昔、地上波のフジテレビで放送していた子供番組で確か毎朝やっていた気がする。
斉藤和義の「歩いて帰ろう」
コニーちゃんの「じゃかじゃかじゃんけん」
ガチャピンとムック
りんりんらんらん
トイレの花子さん

大好きだった。

これを見ながら幼稚園へ行くバスを待つというのが当時の私のルーティーン。

そんな中、特に大好きだったのが
「爆笑チュー問題」の「たなちゅー」と「太田ピカリ」だ。

これはざっくり言うと、ネズミに扮した爆笑問題の二人が繰り広げるコント。たなちゅーが家の外で何か物(人間が使う物、鉛筆とか葉書とか)を拾ってきて、天才ネズミピカリに使い方を聞くのだ。
彼らはネズミなのでせいぜい十数センチ。普通の鉛筆も、ネズミの彼らに比べたら自分の背丈と同じくらいに巨大なもの。それをピカリが「そんなことも知らないのか!これは野球のバットだ!」なーんて言いながら振り回すもんだから家の中は大パニック!
みたいな感じ。

これが大好きで大好きで。特にピカリが動けば動くほど、たなちゅーがアワアワする感じや間違ってるのにたなちゅーが納得しちゃう感じとか可笑しくてたまらなかった。

なので私は物心ついたころから爆笑問題が大好きだった。それは今も同じ。毎週欠かさず爆笑問題カーボーイを聴くぐらいには好きだ。

そして、今日。
新型コロナウイルスに田中裕二が感染したという。
https://www.google.com/amp/s/www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2113515/%3famp

大切な人が死ぬかもしれない。そんな思いにかられて、辛くなった。

身近な人が亡くなってしまった、ということを経験したことはある。それがあまりに突然だったこともある。

ただ、心の底から慕っている人、淀みなく大切に思っている人が亡くなったことはまだない。

もし田中裕二さんが亡くなってしまったらどうしよう。そう思うと涙が込み上げてきそうになる。
私は大切な人が亡くなった悲しみに耐えられるだろうか。

特に田中裕二さんはガンを患っていたということを先日カミングアウトしていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2fddd8b4bf6d305a354febf63315e2f5cacf6a28
いくらガンは完治したとはいえ、彼は普通の人よりハイリスクなのでは?
心配ばかり募ってしまう。

好きな本 島本理生「ナラタージュ」
その中に「起きてもない出来事を想像して悲しくなったり苦しくなったりすることは不毛だ」というセリフがある。

本当にその通り。わかってる。


でも、それでもふとしたとき。不毛な想像が止められない。辛い。これが「コロナ疲れ」というものなのかもしれない。みんな苦しんでいる。私だけではない。
でも、だから何?今、私が!辛いんですけど。不毛な妄想がなくならないんだ。

どうしたらいいんだろう。
若林正恭「社会人大学 人見知り学部 卒業見込」
その中では「没頭」を勧めている。

でも今は、違うことを考えて 気を晴らしたいという気分じゃない。
もっと、この悲しい気持ちや辛い気持ちと向き合いたい。突き詰めたい。

でも、苦しい。心が辛い。

あーあ。
でもでも。だって。ばぁーっかり。
ほとほと自分が嫌になる。

しかも、ずーっと自分のことばっかり、考えてる。
今辛いのは、田中裕二さんや周りの人なのにそんなことを棚にあげて。彼のことを考えているようで、本当は自分の事ばかり。
一人で勝手に、悲しくなったり苦しくなったり。病人を置き去りにしてさ。

どうしてあげることもできない。

できることは「待つ」ことだけ。

辛いな。

声に出さない、真の思いを綴ってみました。
ウーチャカが一日も早く、よくなりますように。

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