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元・被虐待児は発達障害者になれない

私は過去に虐待を受けていた。
それは記憶にあるだけでも小学2年から中学1年まで、6年続いた。
始めの4年間は実父から、残りは母方の祖父母から。
学校の先生からは理解を得られず、私からすれば心ないことを言われたこともあった。
成人を迎えてから被虐待児とは呼ばれなくなったけれど、”虐待の後遺症”と呼んでもいいんじゃないかと思うことは今も続いている。

ただし、虐待を受けた人が全員こうなるわけではない。
当然、個人差がある。
その差の大きさもそれぞれである。

私はここに、私の話を書いていく。

私は小学5年のとき心療内科にかかり、小学6年のときには児童相談所へしばらく通所し、中学生からは児相に提案された心療内科にかかり始めた。

「発達障害」という言葉を知って調べたとき、当てはまるものの多さに、もしかしたら私は発達障害なのではないかと思った。
ASDやADHDと題される項目にとてもよく当てはまった。
このときの私は虐待に後遺症があるとは知らず、後遺症とはどんなことが起こるのかも当然わからず、ただ周りとどうしても食い違うこれはなんなのか、漠然と不安や恐怖を抱いて過ごしていた。

学生時代に人とは何かが明らかに違うことを突き付けられ続けてきた自分のことを表す言葉が欲しかった。

事実、私の困りごとを人に伝えるときは「ADHDのように」という言葉を使うと伝わりやすい。
中学1年のときに通い始めた心療内科では「高校入学、大学入学のタイミングで発達検査をしましょう」と伝えられていた。

心療内科に通い始めた中学1年の年にも発達検査を受けた。

けれど、「発達障害ですね」とは言われなかった。
「グレーゾーンですね」と言われただけだった。
どうしても気になったので「判断基準は何ですか」と尋ねた。
詳しくは教えてもらえなかったけれど、チェックリストのようなものがあり、発達検査の結果やカウンセリングの内容から判断されるらしい。
私は幼少期から長年にわたり虐待を受けていたので、先天的なものとされる発達障害なのか、虐待によって脳が損傷、委縮した結果、後天的に発達障害にそっくりな症状が出ているのか、その判断をつけることは非常に難しいことなのだと教えてもらった。

虐待を受けた結果、発達障害のような症状を起こすことがあるのか気になり、児童相談所が入っている建物の図書室で情報収集をするため何度か足を運んだ。
そしてある日、運よくその図書室内で虐待によって引き起こされる後遺症について書かれた論文が貼りだされているのを見つけることができたので、目を通した。
その論文によると、心療内科で教えてもらった通り、虐待を受けた脳は委縮したり損傷したりして記憶に関する機能が低下したり、発達障害に似ている症状が出ることもあると書いてあった。
(もう何年も前のことで論文の名前などは忘れてしまったけれど、見つけたら出典としてここに追加する予定)

発達検査は高校入学の歳、大学入学の歳、それぞれ受けたけれど、結果はやっぱりグレーゾーンのままだった。
生きていくため、いろいろな工夫をこらしているうち、なんとか仕事もできるようになった。
心療内科からは「もう社会に出てもやっていける力がついたと思う」と伝えられ、ここは倒れそうになったときのための心のシェルターにして、困ったらいつでも電話をかけておいでね、と通院を卒業することになった。

それでもやはり、周りと違うことは仕事を探すうえでもかなりハンディになる。
もし、私のこれが障害であると認定されて、手帳をもらうことができたら、健常者であるのに働けない人間扱いをされることは少なくなるだろう。


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