Kちゃんへ。がんになってごめんね。

(気付きにくい、癌というもの存在をわかってもらえれば書いた意味があります。)

 僕は癌になってた。
なんでやろう?
タバコは吸わないし、お酒もたまに飲むくらい。
夜遊びもしないし、規則正しい生活を送っときたいつもりだ。

でも、ガンになった。


 癌には敵が沢山いる。医者や研究者など戦ってくれている。もちろん、僕、患者もだ。
この世に癌というものが見つかってから何年経つのだろうか。
今までのデーターはかなりあると思う。昨年から世界を騒がしてる新型コロナに比べたら、情報量が多い。著書も沢山あるし、治った人も大勢いる。

 僕は入院し、担当医や看護師さん、薬剤師さん達に出来るだけわかりやすく現状態を伝えるようにしているが、一番苦手な事だ。

まだ、癌に対して治療はしてないがこの1週間、検査と痛目止めの薬を調整してきた。合う痛目止めの薬を探すのがこれからガンと共に生きる時に大事だから。

 僕は最初、耳がおかしくなり、耳鼻科通いしてた。10月29日やったかなぁ、歩くというか座れなくなったので、「あっ終わった」と思った。救急車を、呼んで○○病院へ。状態を見て、MRI?CT?を撮ったてもらったようだ。脳には異常はないが気になるところがあるとのことで後日、脳外科へ行くことになった。救急車で運ばれて、点滴などしてもらい、原因は耳からのようで立てるようだったら帰っていいとのことで妻に支えてもらいなんとかかえった。ふらつき、耳鳴り、中耳炎は続いた。 N病院へ紹介で行って通っていたが一向によくならない。
 ○○病院の脳外科へ先生がMRI?CT?をみて動脈瘤があるとすぐではないが処置した方が良いと言われたので早速、手術してもらうことにした。まずは11月に検査入院したが1月14日からカテーテル手術する予定だったのだが新しい術式が導入されるとのことでそっちの方が僕の状態ならよく出来るとのことで2月17日に手術は延期し、再度、確認の為、手術を予定してた1月14日に検査入院することにした。


それが良かった。


 14日、まずCTを撮った。しばらく病室にいてると追加でMRIを
撮るようにと脳外科の先生から指示があったようで撮りに行った。

 夕方、遅めに病室に先生が来られた。

「カテーテルの検査は明日やめましょう。明日、奥さん来られますか?」
10時ごろ来る予定だったので明日、詳しく話しましょうとのこと。
 「何物かわからないのが映ってる」とのことだった。

 えっ⁉️

 妻にそのことをLINEで伝えた。その夜、何となく腫瘍でもできたんかなぁ。
って思ってた。癌にはならないとら思ってた。妻もなんとなく、まさかと思ったようだ。

 翌日、脳外科の先生より話しを聞いた。

『肺ガンで転移してる』とのこと。
最初に撮った画像にはあるかないかわからなかったが今回の画像に明らかに大きく左側頭部に見えた。
そして、肺に原因がおった。


この3ヶ月間、耳鼻科に通い原因分からず辛かったが何故が、その理由がわかり僕の中では少しホッとした。


 妻が泣いてる。

なんでやろう⁇

昨日の妻の予感が当たってしまった。

ステージ4だと言われてた。

まぁ、何となくやばいんやろなぁとは思った。

妻は戦う決心で聞きに来た感じだった。

 まだ、実感がない。

病室に戻った。妻がやたらと触ってくる。普段はそんなことしない。

 えっ、そうか。癌か。

 僕は起きた事に理解できてない。



 ただ、時間を戻せるならお願いしたいかなぁって思った。

無理やし、どうするかは見えないがまずは災厄なことを考え行動していこう。

 前向きと言うか出来るだけの事を無理せず、やっていこう。

 妻は早速、本などで肺がんへ立ち向かう準備をした。
『妻の言うことを聞こう』というか以前からきいてた。1番信頼してるので。

 入院して1週間、以前から痛かった左足股関節。これがかなりきつかった。
MRIやCTなど何回も撮ってもらうが、撮る時は真っ直ぐ寝て足を伸ばして20分ぐらいじっとしないといけない。
 痺れるし最高に痛く辛かったけど、まだ生きてるからしかたない。毎回、妻の思いを感じながら我慢した。
 まず、がん細胞がどいつか調べなあかん。
口から肺に内視鏡とかでがん細胞を取るとの事でやったが位置が悪く取れなかった。これもなかなかきつかったね。

 次の日、腰からがん細胞を取るとのことでやってもらった。足の痛さがきつかった。めちゃくちゃ痛かった。
 けど、この戦いは負けれない。

勝ち負けはどっちでもいい方やけどだけど、今回は勝たせてもらいます。😂

細胞、取れた。

これでまた、前進出来る。



2

 この1週間は忙しかった。何度も妻が来てくれてた。

検査、検査ばかり。

 歯を抜いた。虫歯がある。歯医者さんにみてもらい3本は、骨が脆くなるので抜いた方が良いとのことで、翌日、3本いっべんに抜いてもらった。 

2回に分けてぬいてもらっほうがよかったと少し後悔。^_^😅

 噛めなくなったので流動食にしてもらった。

検査は戦いの準備。

すごく大事なこと。

僕自身はメンタル的には問題ないが妻はそうは思ってないようだ。
いろんな本とかの情報で癌と聞かされて落ち込む人がほとんどのようだから。

僕はそう言うのがよくわからない。
バカだから😅

 落ち込んで状態を変えれるなら落ち込むけど、病は気からって言うし、めんどくさがり屋なので回りくどい事はしない。😤

 癌とはなんなのか。体でおきている生きている細胞。
 僕が思うに[世の中が自分の体として、世間では交通事故、火事、自然災害、暴走する人々など色んな悪いことが起きる。]それが癌だ。

ようわからんね。

誰に起きてもおかしくない。普通の事、起きると厄介な奴。


ある程度は排除出来るし、うまいこと行けば復興出来る。ただ、一度起きた事は又起きる可能性がある。定期的に見守ればいい。

兵器の使わない戦いなんですよね。

 入院中の1日の始まりは起床6時30分。
まず、6時30分にナルサスを2錠、朝昼夕寝る前にカロナール錠500を2錠、朝、夕にリリカCD錠を1錠と2錠、アミティザカプセルを朝夕1錠で痛みが強く出た時にナルラピドを服用が入院して1週間で決まった飲み方だ。

 僕が居る病院は心地よい。今いる病室は9階なのでけしきがいい。
田舎なので夜景はしれてます。


去年から病院近くを通ってドライブによく行ってた。家から30分ほどここまでかかるがなんかそこを通るのが良いと思ってた。
色々こじ付けるのが好きなんです。
縁があってお世話になってる気がする。

 入院してまず患者ができる事は日常の状況を伝える事。主治医の先生薬剤師さん看護師さんみんな患者のことを真剣に考えてくれてる。

もちろん、妻にも。感謝。

こんな事、癌にならんと味あわれへんよね。
後、大事なのは食事。僕は歯を抜いたので食べにくかったから柔らかい食事にしてもらい、朝はパン食にしてもらった。
 とりあえず、腹に入れとこ。今は運動出来ない。決まった食事しか出来ない。だから、全て出されたものは腹に入れようと思った。以前から薄味のものを食べてたので味付けは少し濃いなぁって思ってた。
まぁ周りの患者さんが言う通り美味しくはないが食べれた。

僕は退院してから食べたいものがよりいっそ美味しく感じるんじゃないかと楽しみにしている。

薬の副作用で便秘になる。その対策の薬も飲む。薬ってなんなん。あんな粒で人間の体の状況が変わる。

合った薬みつかったら勝てるよ。



3

 いよいよ、放射線治療。今日は下準備でCT取りながら体にマーキング。そのマーク基準に放射線当てて治療する。
足が痛くて一度中断したがなんとか終えた。

初めての体験ばかりでどうなるか楽しみだ。

とりあえず、痛みのある足、股関節周りから攻める。同時に頭の方もいけるなら攻めるつもりだが脳に癌がいたら放射線治療したら開けれなくなるらしく、もう一度CTを撮って検討することになった。

 不安はある。経験したことがないし、病気それも癌やからね。色々な方法を早めに探しておくのがいいとおもう。

 最終的には死ぬ。それは癌なくても。普段生きていて、死を考えることなんてなかなか無い。身近な人が亡くなったりしてもそこまでは考えない。母が亡くなった時でもそれは考えなかった。 

 まだ時間があるのに、時間がのばせるのに、死を考える機会が出来るってラッキーだとつくづく思う。

検査とかで最初は忙しいが安静にしとくのも大事。普段出来ない、読書や今はスマホがあるのでやりたかったことの検索、退院した後にみんなで出かける為沢山乗れる車探し、この頃を振り返り、スマホに書き込む、まずしない日記、色々な思いを書き入れていくこと。

僕は小学校の時から国語や社会の勉強が嫌いだった。理数が好きだったので出鱈目で読みにくい文書になっているかもしてないが思いを感じながら書いてる。

 入院した当初は1時間おきに目が覚めた。足の痛みで。
入院する前から痛みで寝れなかったがこの1週間で2時間おきに、3時間おき、4時間おきと間隔が開いて睡眠が摂れるようになった。痛みとか体の変化とかなかなか先生達に伝えるのは難しいが色々な方向性で聞いてくれて感じ取ってそれに合わせて薬の種類、量、飲む時間を調整、1週間でこんなに変わるなんてすごい。
これから癌と生きていくのには痛みのコントロールが大事になる。

自分の体の変化を覚えておくのはできないのでスマホでその度に日記メモを書くようにした。

 入院中は検査とかない限り暇だ。昼に寝ると夜寝れなくなるので中々1日の過ごし方は難しい。僕は調子良い時は音楽聴きながら本を読んだり、軽く体を動かしたり、スマホで映画やドラマを見たり、疲れた時は少し昼寝したりして時間を使った。

 妻に読みやすい本を持ってきてもらった。
1冊目は○○エリーさんの自叙伝ぽい話しで面白かった。
2冊目は癌が治った人の話で色んな意味でやはり、ガンになれば即入院、検査をするのがいい。それから出来ることをしていけばいい。


 癌は治らないと僕は思ってた。高校のとき腕を骨折して まだ、腕に施術痕が残ってる。それと同じだと思う。癌は自分の細胞。死ぬまで同居してるってこと。一生、お医者に診てもらわないと完治しても再発もある。MR IやCTで確認できないひそかに悪さしたろうって企んでいる細胞がいる悪さしないよう食事などの日常気よつけていけばガン細胞は眠ったまま最後を共に告げる。

  賢い僕の細胞。

 医者は癌を勘違いさせて減らしてくれる。今の医療はすごいよ。ガン細胞を目覚めさせない日常生活を妻は探してくれてる。一緒に戦ってくれてる。癌になってよかった。こんなたくさん妻に触れる時間ができて。

 1月27日から放射線治療、16時ごろ放射線科に向かった。病棟が離れているので車で移動する。まだ、歩くのが辛いので車椅子ごと乗る。福祉車両に乗るのは初めて。すごく便利、助かる。本館より地下へ移動。奥の方に放射線治療する場所がある。左足のつけ根辺りを2箇所当ててもらった。初日だったので前日、マーキングした箇所から追加マーキングがあったので15分と10分の時間がかかったが先生方が足の痛みを気遣っていただき、なんとか終わった。当たったとき、ジーンと感じた気がする。スゴイ。やっつけてるやん。
治っていく。そう思った。

 1月28日 夕方、入院病棟から本館の放射線科に通うのは負担がかかるから治療の間は本館に引っ越しした。
 そのまますぐに放射線かに治療し、すんなり終えた。
1月29日この日は夜から足が痛く辛かったが朝の薬が効いたのか少しずつ楽になった。薬の調整で飲む時間、量、種類が換わるので看護師さんの方で管理してもらうことになった。11時放射線科の先生の診察で足の放射線治療終わったら次は頭をするのでその準備、副作用の話しを聞いた。その後、放射線治療をした。
手早くしていただけてるので痛みは気にならず終えた。


 入院してから15日目、これだけ仕事休んだのは初めてだ。不安だが仕事の仲間たちが本気で僕の復帰を待ってくれてる。長男も一緒に仕事することを楽しみにしてくれてる。日が経つにつれて。1ヶ月、1年と寿命が伸びている気がする。僕としては4年は欲しい。
出来ればもっともっと欲しい。欲しい。


 昨日、薬のタイミングや薬を変えたのがよかったのかあまり痛みに困らなかった。

1月30日 久しぶりに長く寝れた。8時間近く寝れた。痛みで起きたわけでなく。トイレに行きたくなり目醒めた。その後も起床の6時30分まで寝た。薬のリリカを少し増やして僕の痛みを抑えてくれた。お昼過ぎ痛みが出てきので食後の薬と一緒にナルラピドを飲んだ。

1月31日 何故か痛みがひどくナルラピドを飲んだが効かなかった。6時30分起床の薬リリカとかを飲んだ。しばらくして痛みは3ぐらいまで落ち着いた。神経的な痛みが強い様だ。点滴による痛み止めに一時的にするように主治医先生から指示があり16時ごろに準備してくれる予定だ。

 僕は最初から自分に合った病院、主治医の先生に出会う事が出来た。僕は人を信じる事から物事を始める。良いのか悪いのかわからないがどこにいっても良い人ばかりって考えがある。たまに理解できない人に当たることもあるが自分にとってはそれが良い場合があると思う。だから、セカンドピニオンとかはしない。癌になり、なんで僕だけがとか思うみたいやけど世界中見たらそんなの大したことない。僕はつくづく思う。癌ってわかってよかった。わけわからず3ヶ月病院通いこのままずっとわけわからんと体の不調とやって行かなあかんと思ったら気がもたない。本当にガンで良かった。なったからにはどうしていくか。まずは、しっかり検査してもらい。その癌が何者かを調べる。そしてそいつをどうすればおとなしく体の中でいてくれるか。ガンは自分のものだから無くすことはできないからね。何故、癌になった人は人生終わったみたいに考えるかわからない。どちらかと言うと、突然死んでしまうことを考えたら死までの日があるそれが3ヶ月だったとしてもいいと思う。だらだら生きていてもやりたかったことを死ぬまでにしたかどうか。たぶんしないしそんなこと考えない。癌になり死を感じることが出来た。ラッキーだと思う。僕は日頃から妻と買い物や外食や色々出掛けて一緒にいたのでもちろん、寝る時も同じベッド。子供らからしたら仲良いなぁって思ってた様だ。だから、癌になったからって余り変わらない。よく、妻ともっと一緒にいたらよかったとかいいけど、はぁ、今更、って感じです。ガンだろうが新型コロナだろうが1日を大切に生きている人はどれだけいるのだろうか?。まぁ結局、死んだら終わり。だから生きているうちは睨み合うより助け合いが良い。僕は仕事先でなんで失敗したヤツ怒らへんねん。怒ったってや。て言われる。怒っても何も変わらないと言うか怒る方も気分悪くなる。だから、失敗したことを反省して次やらないようにと説明した方がいい方向に行くと思う。人間なんでたまにはキレますけど。
精神的にも安定、安らぎが細胞達にも影響を与えると思う。怒りはマイナス。ガンの餌。


4

 ナルデインという点滴の薬で痛みをコントロールすることになった。お腹の皮下脂肪に点滴針を常時刺して昔の携帯電話みたいな機械で管理する。少しずつ薬を体内にいれ痛みを抑えているが痛みがひどく出た時は看護師さんを呼んでボタンを押して貰えば薬が多めに入り痛みが治まるらしい。


2月1日、ナルデインのおかげか、けっこう寝れた。久しぶりに長く寝た。痛みも2から1ほとんどない状態。
この1ヶ月痛みが当たり前にいた。耳鳴りや難聴、などはまだ変わらない。当たり前になってしまって、左耳が聞こえるようになったら聞こえすぎて眠れないかもしれない。このままの方がいいかもと思ってしまう。4人部屋だとイビキとか寝言に独り言。なかなかきつい。
でも、聴力が弱ってるのであまり気にならない。

 もう一度、ステレオの音響を聴きたい。映画の音響、あの迫力を味わいたい。
今は右耳だけのイヤホンでいけてる。

悲しい。

 今日は朝一検尿、採血とレントゲン。昼前に放射線治療で左足をしてもらった。次に頭の放射線治療するために頭の方(お面)を作り行った。CT室へベッドに上向きに寝て顔に70度に温まれたネットを顔に被せ押さえて形にするドライヤーの送風みたいなものでゆっくり冷やして固まり完成。次にお面にマーキングして終わり。約20分ぐらいでしてもらえた。
足の痛みも余りなくてよかった。

 3日から頭も放射線治療する予定。左耳がどう変わるか楽しみだ。
 14時ごろ、妻が来てくれた。今、ファミマでいちごフェアやっててどうしてもいちご大福が食べたかった。1個だけ売ってたので買ってきてくれた。
うまかった。
 寿命が伸びた。他のデザートも、買ってきたのでまた、明日、夜のおやつか!健康な日常が、いかに幸せだったか病気に、なってよくわかる。

 僕のがん細胞の種類egf1らしく薬は無いらしく、抗がん剤で治療しないといけない。でも、遺伝子検査を後2つ結果待ちでその結果どうなるかもうしばらく待たなくてはいけない。
 癌になりどうしていいかわからない。後、どれくらい生きれるのだろうか。痛く、苦しくないか。仕事、家庭などどうしたらいいか。いろいろなことが頭を過ぎる。まずは、癌と向き合い言い方はさまざまですが戦っていくということが、第一。
次に人とかを頼理、信じること。主治医、看護師、医療関係の方々、身内、兄弟、友達、仕事の仲間、そして僕は妻、最高のパートナー。誰にでも人生に関わってきた人たちがいる。癌になったと聞けば大丈夫なんと心配されて治るんかとしんぱいされ、頑張って直せよと応援される。僕はみんなの応援された言葉を大事に戦って行くパワーにする。
全てのことを受け入れてマイナスもプラスに変えややこしいことは考えず。できることを無理せずやっていこう。

さりげないことも、やりたいことリストに書いていった。沢山書きすぎて何書いたかわからんようになってきた。

 リハビリをして行く事になった。骨に転移があると一部折れてるので胸からお腹までのコルセットをつくった。
 黒色のコルセットにした。
 で!

 最初は、腰をねじらずに起き上がり方など骨に負担がかからないように日時を過ごすやり方を聞いた。放射線治療で骨が弱ってるなかで筋力をつける。リハビリの先生がどうしたらいいか考えてみると言ってくれた。ベッドでたまに足上げや握力をつける道具を使ったりしてる。

 2月3日16時45分から放射線治療をした。
この前作ったお面を被せ初日なんでマークを付けて準備をしてくれました。初めての頭の放射線。次にお腹辺りをしてもらいました。
 よなか、少し吐き気がした、左の耳鳴りが大きく「ギィ〜〜」と何重にも重なった音が鳴り続く。

2月4日 夜中から少し頭からの吐き気があった。胸から上にゲップが出そうで出ない感じ。食欲というか食べる気がせず朝昼は食べなかった。吐き気止めの注射をしてもらい少しましになった。
16時15分に放射線治療にいった。すんなり、頭とお腹からの放射線終わった。夜ご飯は食べやすく量を半分にしてもらい8割食べれた。寝てしばらくして気持ち悪くて吐いた。

 2月5日 朝の薬飲んでフラッシュしてもらいなんか気分が悪くなってきた。食欲なく、みかんと牛乳半分のんだ。しばらくして吐いてしまった。 お昼はサラダとリンゴ食べれた。16時15分放射線治療に行きました。頭を当ててる時何が声が聞こえてる気がしていたが今日初めて聞き取れた。「よーなるでーよーなるでー」って繰り返し聞こえた。なんか良くなる気が沸いてきた。左耳の少し音が聞こえるようになってきた。
 吐き気は治らない。頭を放射線やってるからよくあるとのこと。薬が点滴で調子してみる様だ。8日か9日から抗がん剤治療を始める。遺伝子検査の結果はいまいちだった様だ。抗がん剤がどう効くかで今後が見える。
さぁ、僕の命はどれくらいかなぁ。もう一度仕事して、長男に仕事を、引き継いでもらいたかったが時間はあるのか。

 少し期待していた、合う薬が有ればもう少し長生き出来るかもしれないと思っていたが僕には無さそうだ。通常の癌治療が基礎となる。死が見えた。後悔してることがある。僕は多趣味だその為家中に僕の痕跡がある。妻や子供たちの目に付くところに沢山ある。地味に暮らして置くべきだった。時間が有ればその全てを子供たちに教えておきたいが今はどこまでできるかわからない。気持ちで負けたらあかんのはわかるでもどこまで頑張るか、、、。
体がもう少しだけでいいから普通に動けるように、、、やるしか無い。
 僕は子供頃から死んだらなんも残らないと思ってた。しかし、死を感じて初めて分かった。関わって来た人たちは僕を知っている好きなからず悲しみを与えてしまう。妻、子供たち、義母、孫はまだよくわからんかなぁ。
こんな僕でも沢山の家族が出来た。奇跡だ。クソみたいな子供の頃。母に迷惑かけまくりの中学生。なかなか高校からは大変やったが楽しかった今までの時、可奈子に会えてよかった。人生が変わった。幸せすぎたんかな。
まだ、終わってない。今まで生きてきてかなりの山あり谷ありやった、時間は返してもらうでがんちゃん。
 まず、復活にあたり出来ること。かなり筋力落ちてるので足のリハビリ。僕は骨への転移なので放射線治療でさらに弱ってる。負担をなしにできる方法色々考えてくれた。寝ながら出来る筋力作り方をリハビリの先生から教わった。膝を上げ足先をベットに並行近くまで上げる膝を少しだけ顔の方へ傾ける。これで腹筋にくる。次にふともめ、足を真っ直ぐ伸ばして片方ずつ少し上げ止める。足先の向きを変えて同じようにするとももの違う位置の筋肉に効く。股関節あたりの筋肉、横を向き膝を曲げ上になる膝を上に上げる。ゆっくり。これも効く。後、ベットに座り足を床に垂らして座りそのまま膝から足を上げる。どれも、日常生活中では意味がないかんじだが、毎日、入院でベットに寝てる場合は結果キツい。効果がある。社会復帰した時歩行器なしで歩かなあかんなぁ。これを無理なく骨に負担やっていこう。





2月8日 少し味覚が戻った。朝ご飯のパンを1枚食べれた。果物の酸っぱさや甘さわわかるが塩気がイマイチわからない。元々病院食だから味付けは薄めだがさらに水で薄めた味にしか感じなくなってきた。頭の放射線治療するとこういうことが起こるようだ。味覚が戻ればいいけどとりあえず食べるために妻に出汁醤油、マヨネーズ、梅干し、燻製チーズ、その他薬味をお願いした。

土日開けて放射線治療。頭に当てた。耳鳴りがひどくなった。





5

 2月10日抗がん剤のキートルーダを点滴が、はじまった。

効いてくれるか。

副作用はどう出るかわからないが免疫力を落とさないよう食事をしっかり食べて食べて、出来る範囲のリハビリをしていこう。

2月11日投与2日目、朝から食欲あり。

2月12日投与3日目、15時45分右足の放射線治療がはじまりました。食事はままあまあ食べれてる。夕食後少し咳がでた。お腹が緩くなってきたので翌日から下剤は減らしてもらうようにした。

 本当に治るのか、また、まともに動けるのか、不安だ。今日は耳鳴りがまし、味覚も少しわかるような気がする。足がまともに動かせない。転移が足と腰にあるから弱くなっているので加減しながらのリハビリは難しい。動きたい。

2月13日投与4日目、まだ、お腹がゆるい。朝は耳鳴りがましだったが13時ぐらいから耳鳴りが大きくなった。体はだるい。
トイレに行くだけで疲れる。歩行器無しでは無理。筋力が落ちた。

2月14日投与5日目、食欲がない。ドリンクと果物は食べれた。寝る前の薬を吐いた。
耳鳴りがぐわんぐわんする。気持ち悪い。何もやる気しない。

この後、どこまで回復出来るか。駄々このまま生きるのは辛い。やる気はあるが不安。正常な時のことが思い出せない。昨年の10月末から3ヶ月以上経つが先が見えた気がしてたが不安。

妻が喜ぶのが見たい。

こんなどうしょうもない僕と子供たちを本気で愛してくれた。頑張る。頑張る。頑張る。


死ねばそれで終わる。僕は家族いるから看取ってもらえる。そして、おじいちゃんとしてもっと孫と遊びたい。かわいい孫達に会いたい。色々な知らない所へ行きたい。長男を一人で仕事できるように教えていきたい。僕が居なくなっても妻が安心できる環境をつくりたい。


 2月15日投与6日目 放射線治療右足2回目
食欲がまだないのと薬が飲めないので点滴してもらってる。頭がゴワンゴワンする感じ耳鳴りは夕方から又大きくなってきた。ムカつきはまし、オナラがよくでる。もう、入院してから1ヶ月、足の筋力がない。
ステロイドの点滴したので寝付きにくいのか。
色々なことを考えるが放射線治療にて左足の痛みが消えてきたか。

治る。まだ行ける。

僕は親より早くしないと決めたのを忘れていた。義母がまだまだ元気だから負けてられない。子供として妻と見送るまでは。迷惑沢山すでにかけてるけど、親子やからいいよな。家族達とまだまだやらなあん、やりたいことある。
実母の納骨もまたやし。入れてらんと。
この病室でよかった。東窓から朝日が入ってくる。太鼓の音が響く。つくづく思う、人生は遠回りはない。後悔、あるけど言い出したらキリがない。当たり前やけど。誰もが余命を告げられると当たり前が懐かしく思うやろね。病気は辛いし身近な人にも辛い思いをさせてしまうが人で産まれた時点で人生。感情は厄介や。
なんかよくわからなくなってきてる。


 2月16日投与7日目
朝はパンを少し食べれた。久しぶりのシャワーは疲れた。体力なさすぎ。昼から妻が来てくれた。14時30分から放射線治療へ右足3回目。終わり診察。当ててない部分にも小さな転移はあるがとりあえず後2回で放射線治療は終わり。また、大きくなってきたら当てるかどうか決めましょうとのこと。

順調に行ってる気がする。

部屋に戻り妻とイチゴを食べた。3つで満足した。妻は容赦なしにバクバクたべてる。気の使わないところがいい。かわいい。大好きや。
 軟水の水が飲みにくいのでいろはすを何種類か買ってきてくれた。こっちの方が飲みやすいかも。夜ご飯を食べれる気がしたが一口ぐらいと持ってきてくれたクロワッサンを半分と万田を舐めた。ちょっとやばかったけどなんとかもどさなくてすんだ。夜、吐き気が出たので注射してもらい楽になった。まあまあ寝れた。

 2月17日投与8日目
朝から点滴
放射線治療右足4回目
朝から耳鳴りがましだったが16時ぐらいからうるさくなってきた。

2月18日投与9日目
相変わらず点滴。
お腹が痛くなってきた。
2月19日投与10日目
お腹痛い。
少しずつ食べれるようになってきた。

2月20日投与11日目
腹痛

2月21日投与12日目
腹痛と熱で救急病棟に移動。
39.5℃まで上がった。

2月22日投与13日目
また、朝から熱が上がり点滴。
腸炎のようだ。


先生より話しあり。
まずは腸炎の原因を見つけるとのこと。

そして、肺がん遺伝子は変異のもので珍しく、対応する薬があるとのこと。

えっマジで。あきらめてたのに。
涙した。

少し光が見えた。薬がある。
まだよくわかってないがRSO1とのことでどう治療していくか、また薬の副作用はどうなるのか不安だ。



6

 腸炎になって治療が止まっていたがやっと明日3月3日より朝から飲み薬で癌の治療再開。
食事も2日間、お粥の汁を薄めたのと出汁、リンゴだった。本日よりお粥の汁、出汁、ヨーグルトが朝昼、夜はヨーグルトの代わりにじゃがいもをめっちゃ潰したやつだった。

3月7日リハビリでエレベーター前まで8往復下。だいぶ歩ける様になってきた。

息子達が見舞いに来てくれた。
5分程しか居れないのであっという間。

昼と晩ごはん食べれなかったがイチゴ大福を持って来てくれて夜に食べた。おいしかった。

3月14日 毎日のパターンが出てきた。夕方3時ぐらいから熱が上がり高い時は39度を超える。流石にしんどい。37度台だと平気だが38度台は少し違和感がある。薬で下げて21時ぐらいから落ち着いてくる。
足の痛みは無くなってきた。歩てるとき違和感が出てくる時があるが休み休みなら歩くのも苦ではない。念のため杖を持つことにした。

3月17日 今日も問題なくいきてる?というか昼から必ず熱が上がる。熱覚ましの薬を昼食後に追加で飲み始めたが少し上がる。それ以外は耳鳴りと右耳の違和感。
歩くのもかなり楽になってたまに左足がしびれてくるぐらい。杖なしでいけそうやけど持っときくべきか悩むところだ。退院してからやることが沢山出てきた。まずは家の片付け、長男が帰ってくるので生活スペースが、必要だ。義母使ってれる居間を開けるといってくれてるので義母の部屋を、居心地よく生活できるように1番にしなければいけない。次に車が増えるので出入りしやすいように位置決めをして整理する、兼ねて倉庫整理とか。
仕事が大事だけど、遊びも大事。家族で居れる間の時間を大切にに残したい。妻とキャンプや色々2人で楽しみ、孫たちとロッジに行き一緒に遊ぶ。体がいつまで動けるのが薬がどう効いてくれるのか副作用はどう出るか。読めないから。やれることをすぐにしとこう。60歳ぐらいまでいけるかもしれないしどうなるか分からんから。調子がいいとつい忘れてしまうから。

 3月19日 PM7ごろ先生が病室に来てくれた。ちょくちょく顔を見に来てくれる。この前のレントゲンを見ますか?3月初めに撮ったのと見比べて明らかに原発の腫瘍が小さくなってる。薬が効いたようだ。2週間で大きな腫瘍がほとんど消えた。ただ、安心はしてられない。早くなくなるということその逆もあり得るから慎重に治療して行くと言ってくれた。心強い。栄養の点滴をまず1つ減らしてドリンクに替えて栄養がとれているか採血で確認しながら退院の準備をしていく。内心とても焦ってる。早く仕事して家のこともあるが長男を一人立ち出来るようになって欲しい。沢山の人が待ってくれてる。こんなダメな僕のために。嬉しくて嬉しくて。こんな人生になるなんて。人の暖かさを本気で感じれる。もしかしたら僕は今すごく災厄な状況にいてたかもしれない。生かされた感じがする。命拾いして人のために生き直すとかは僕には無理だけど周りの人達と楽しくやっていきたい。これから癌がどう出るかわからないが無理せず付き合って行こう。

3月22日、退院が4月1日の決まった。長かった。でも、治ったわけではない。骨ももろい。どこまで我慢しながら生活できるか不安だけど、とにかく嬉しい。当面、毎週金曜日に呼吸器内科の外来へ整形外科へ月1回外来。まだまだ先は長いていうか一生付き合わないと行けない。諦めたら終わりやからなぁ。かなり浮かれるので慎重にしていかなければ。

4月14日 退院してから体はましになってるのかよくわからない。リハビリはどの程度すれば良いのか。見た目にはまともにみえるだろう。中身はまだまだ、体のバランスが上手くとれない。耳鳴り、つまり、頭がイマイチしっくりこない。まともやった時の感覚がわからない。味覚も安定しない。食べたいが食べれない。少しずつだが食べれるようになってきた。あせる。早く治して仕事がしたい。ウォーキングマシーンでリハビリ。効果はでてきてる。左耳も聞こえてきた。

5月23日 足の痺れはほとんど出なくなったが違和感は残ってる。食欲はイマイチ。甘いものは食べやすい。動くと頭が耳が気持ち悪くなり体がだるくなる。横になるとまし。体重が60キロから増えない。
息子と仕事に行ったが帰ってきたらかなり体が疲れててしまってる。もう少し、楽になればいいのになぁ。贅沢は言えないけどみんなのおかげでここまで回復できた。

癌になってわかったこと。僕は癌になり不幸だと思ったが逆だ。沢山の人に支えてもらい、僕という存在を受け入れてくれてる。

5月28日、今日は通院日。いつも通り、採血、胸のレントゲンを撮り診察へ。3週間ザーコリを止めてた結果、数値はあまり変わらなかったが栄養良く原発も小さくなりいい状態だった。明日から又、ザーコリを200で再開。副作用があまりでなければいいがとりあえずは安心や。

6月15日 だいぶ、いい感じ。この調子で良くなってくれたらいいのになぁ。
昨日、道路を、横断するのに少し走ってしまった。頭。体。グラグラ。走れない。情けない。でも。退院し約45日。かなりいいと思う。副作用も少なく。昨日はお昼を外食し、ざるそばと稲荷寿司3個食べた。骨は痛むがしっかり食べて元に戻すぞ。
なんか寝れないので書いてますが不安は沢山あるが楽しみはそれより多い。やりたいこと、見守ること。まだまだやるで。
長男頼むで。


8月6日
最近調子がいい日がありついつい仕事をがんばってしまった。無理するとお返しがかなりくる。昔みたいには行かない。1年前とは大違い。つらい。つらい。仕事がしたい。動きたい。焦ったらあかんねんけどついやっちゃう。息子がカバーして先に動いてくれるようになってきた。負担かけるのつらいけど、もう頼らないと何もできないようになった。疲れを取るのは横になることと、食べれる時になんでもいいから食べる。段々と体調管理がわかってきた。無理するとあかんってことや。

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