第27回 第二逸話『ネストル』 最終回
ここでディージー校長は、若者スティーブンにいろいろと説教をするのですが、どれもスティーブンの心に響きません。
「シェイクスピアも言っとる、金は財布にしまっとけ(正確には彼の戯曲『オセロ』)」「それは難しいですね」
”同じ部屋と同じ時間。同じ処世訓。これで3度目。三本の首吊り縄が巻き付いた。それでどうする? その気になれば、今すぐにでも断ち切るさ”
ここはもううんざり、その気になれば今すぐ辞職しよう、という意味か?
格言”老年が欲しいものを若いうち知れば、獲得し且つ蓄えるだろう”
ディージー校長は言う、
「イギリス人が何より誇らしいのは。我々は自分の金で生きたということ。1シリングも借金していない」
ディージー校長は、出身はアイルランドだが、家系はイギリス系。宗派は、スティーブンたち生粋のアイルランド人とは違うプロテスタント。この学校もプロテスタント式の教育に則っている。ディージーは「我々アイルランド人は皆、王の子」と言う。これはイギリスの王、すなわちアイルランドもイギリスの植民地だと言うことを、嫌味ったらしく示唆している…、のかと思ったら、注釈によると、「古代アイルランドのこと」って記してあって、…えぇ〜そうなのぉ、ちょっと残念。
「悲しいことに…」とスティーブン。
いずれにせよ校長室にはイギリス皇太子アルバート・エドワード(1904年時は王)の肖像画が飾ってある。それと、競馬馬の写真。伝説の名馬らしい。ディージーは馬が好き。『オデュッセイア』におけるネストルの「馬を馴らすもの」に対応してる。
ディージーは突然反ユダヤ主義を口走る。
「イギリスはユダヤの手に握られている。ユダヤ商人どもはもうイギリスの破壊工作を始めている」
そしてその場を離れると陽の光の中に入り「奴らは光に背いて罪を犯したのです」
「…ユダヤ人だろうと誰だろうと、安く買って高く売るもの、普通そうでしょ」と冷ややかなスティーブン。
”これが老人の知恵ですか?”
その後、スティーブンが言った「歴史とは、僕がなんとか目覚めたいと思っている、悪夢のようなものです」。…戦争と宗教のことですか?
ディージーが答える「すべての歴史は、一つの大いなる目的に向かって動いているのです。神の顕示に向かって」
神様がいつか我々の前に姿を表す日が来ると言っているの?
するとスティーブンが突然指差した先は、運動場。生徒たちがホッケー興じている。
「※あれが神です。そこいらの風景が」
ただディージーに反撥したかっただけかも知れんが、…とりあえずなんかかっこいい。
「?????」ディージーは憮然とするほかない…。
「※私は君より幸せらしいね。我々はたくさんの罪や過ちを犯しましたよ。一人の女がこの世に罪を持ち込んだせいでね〜」
注釈によるとこれはイブのことらしい。旧約聖書のアダムとイブ、のイブ(否、アダムは神様よりイブへの愛を選び、楽園を捨てたのだ)。
次に、…待ってました!(個人的に嬉しいだけ) ついに元ネタ『オデュッセイア』の話が出てくる。まあ正確には前編『イーリアス』、その導入部。
「ふしだらな女へレネが、夫メネラオスを捨ててトロイアに逃げたため戦争になった。またある女がパーネル(紙幣に印刷されてるくらいの政治家。アイルランド独立運動にも大きく貢献する。ジョイスの他の作品にも度々名前が出る。でも不倫問題で失脚)を失脚させた」
ディージーは反ユダヤ主義で、おまけに女性嫌い(全く最っ低なやつですね)。
「〜しかし※その罪だけは犯しませんぞ。最後まで戦うつもりです」
「アルスター(アルスター地方。プロテスタント派が多数)は戦うぞ!(これは反カトリックのモットーとして広く叫ばれた。これをカトリック系のスティーブンの前で言うのはケンカを売っているようなもの)」
ただ白けているだけのスティーブン。
”…俺もうカトリック教徒でもないし”
「あ、そうだ思い出した」と、ディージーは二通の封筒を取り出す。
中身は「口蹄疫」についての論文。口蹄疫とは牛や馬、動物だけに広まるウイルス性の病気。封筒の中身は、「この病気は治せる。現にオーストリアではすでに治療が進んでいる」そんな内容。ディージーが書いた。これの原文とコピーを新聞の投稿欄に載せたいらしい。スティーブンはダブリンの文学、出版社連中に知り合いがいるから、そのつてで新聞に載せて欲しいと頼む。
ここで、ヘンリー・ブラックウッド・プライスなる人物の名前が出てくる。彼は実在した人物で、ここでの話もやっぱりジョイスのトゥルー・ストーリーが元。ジョイスはブラックウッド・プライスに、下院議員のウイリアム・フィールド氏の連絡先を教え、口蹄疫治療についての手紙が渡る(本逸話ではディージーがフィールド氏にも手紙を送ったと言う設定になってる。フィクションに実在の人物(しかも当時は現存していた)が登場している)。それはアイルランドの新聞『イブニング・テレグラフ』に載った
(注:実はこの病気は今も滅んでいない。現在もモウモウやヒヒィ〜ンがたまに発症し、罹った動物は皆処分される。なのでこの手紙は出鱈目。なのに小説内に何の注意書きもない。他の人が書いた解説書を読まないとわからない。不思議な小説)。
「頼んでみますよ」スティーブンは快く了承する。「ありがとう」
ディージーだって悪い人でもない。間違いとはいえ、口蹄疫を心配してわざわざ手紙を認めるなんて。だからスティーブンも素直に了解した。
”戦うなら、助けるさ”、とスティーブン独白。何だ良い人?
そうそう忘れてた。ディージー校長は、『オデュッセイア』におけるネストルの対応キャラ。テレマコスよろしくスティーブンに、助言らしい言葉を授ける。
「君はいつまでもここに居着く気じゃあるまい? 君は教師ってがらじゃぁない」
スティーブンはディージーにお別れを言い、外へ出る。時刻は多分11時半ごろだと思う…。
「ディダラス君、待ちなさい!」
スティーブンが振り返ると、ディージー校長が慌ててかけてくる。
”おいどうした、何か忘れ物か?”
「はぁはぁ(息を切らし)、言っておきたかったことがあるのだ」「はて、何でしょう?」
「アイルランドはだね。ユダヤ人を唯一迫害していない国だそうだ。なぜかわかるかい?」
スティーブンは突然謎々を出される。第二逸話前半部のスティーブン謎々の対になっている(?)。
「※2答えは、そもそもユダヤ人を移民させなかったからだよ!」
困惑するスティーブン。
「は、はぁ…」
第2逸話『ネストル』おしまい。
※すでに信仰を捨てたスティーブンは、「もはや神は存在しない。何気ない日常、人、モノ、出来事だけが全てだ」と言っているのかな?(しらけ気味に)
そしてディージーは、そんなスティーブンを哀れに思い「君より私の方が幸せだ」と言ったみたい。
※2このディージーの発言は嘘。1904年時点でアイルランドには人口490万人に対し2千人ほどのユダヤ人が生活している。
もちろん作者ジョイスが無知なわけがない。
それどころか、のちにご登場いただくあの人物は他でもない、ユダヤ人です(そしてその元ネタアルフレッド・ハンターも)。
ジョイスは『ユリシーズ』とは、(カトリック系の)アイルランド人とユダヤ人、虐げられた二つの民族の叙事詩だ、と語っている。
…グッとくる!
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