見出し画像

「本当に大事なもの」は何か?

「本当に大事なもの」は何か?
この問いにすんなりと真っ直ぐに即答できる人が果たしてどのくらいいるのであろう。僕は常々思う。一見すると曖昧にも思えるこの問いこそ、僕たちが全身全霊をかけて日々意識を向けるべきものなのだと。
夜風もだいぶ肌寒くなり、冬物コートを引っ張り出しはじめた11月終盤の秋の夜に、このテーマに関して文章を書いてみたい。

「本当に大事なもの」は言うまでもなく、十人十色である。そして、1つではなく複数ある場合も多いだろう。
父や母やパートナーや子どもといった家族だという人。やりがいのある仕事だという人。週末の趣味だという人。学校生活そのものや取り巻く友人だという人。ドキドキさせてくれる恋人だという人。

これらに異を唱える人はいないだろう。
「家族が大事です」子どもは可愛いですよね
「仕事が大事です」頑張ってください
「友人が大事です」一生の宝ですよね

ただ、「本当に大事なもの」を本当に大事にしている人はどれほどいるのであろうか?こう問いを変えると、言葉につまる人も多いのではないだろうか。
不倫で家庭を崩壊させたり、仕事で手を抜いたり、友人や恋人を自分本位に傷つけたり、そういうことは多々ある。そして、それらを失ってから人々は気付くのだ。もっと大事にしておけば良かった、自分が悪かったと。

失ってから大事なものに気付き、それを糧として自らの礎としていくことは、多かれ少なかれ誰の経験にもある。それ自体は、完璧なロジックを持ったコンピューターではない僕たちにとって避けがたいことだ。

一方で、もっと自分に甘えず先回りして誰よりも早く、「本当に大事なもの」に関する経験と成長を得ようと意識を向けるべきだとも思うのだ。これは、今回のテーマに限らず、僕の基本的な考え方だ。

勉強、受験、就職、仕事、どれにしても、経験と成長を先回りして得ていくことを是として皆が行うのに、どうして「本当に大事なもの」を意識していくことが疎かになるのであろう。

時間は1日24時間と全ての人にとって平等で、健康体の人であれば寿命も概ね平等だ。その時間を、あなたが「本当に大事なもの」を意識した上で割り振っていくのだ。

これは決して何かを犠牲にするということではない。中長期で考えれば、”今”は仕事が大事で時間の80%を注ぎたいとしても、家族や恋人に残りの20%で充分な説明と愛情を注ぐことはできると思うのだ。”今”は子どもが大事であれば、時期を決めて仕事をセーブすれば良いのだ。それが出来るだけの下準備を前もって先回りして実行しておくのだ。

お金で時間を捻出しても良い。通勤が辛ければ、職場の近くに住む。家事をやる時間がなければ、人を雇う。お金が無いのであれば、最大限稼ぐ/捻出する努力をする。世間体や見栄やプライドなど関係ない。あるべき姿、例えば家事をして欲しい男性、するべきという固定観念のある女性、それらも関係ない。

ただ、シンプルな問いだ。

あなたにとって「本当に大事なもの」は何か/何になるだろうか?

今それを大事にすることを疎かにしたら将来後悔しないだろうか?

自分を無理に納得させながら生きることにならないだろうか?

これは、人生を後悔しないための、経験と成長を最速で得るための、努力の問題なのだ。全ては、「本当に大事なもの」を、可能であれば中長期の視野を持ち意識し続けることによって解決される。綺麗事と言われるかもしれないが、問題を解決する努力は少なくともするべきだ。

プロ野球選手を目指して全力で練習する高校球児や、資格試験の合格を目指して必死で勉強する弁護士や医者の卵と同じようなことをすれば良いのだ、なるべく早く。歳をとり、背負うものが多くなり、「本当に大事なものの」を得ることに対する諦めが出て、実際に手遅れになる前に。

もしかしたら僕の考えは甘いのかもしれない。まだ誰に対しても責任を背負ったことのない30歳手前の若造の意見なのかもしれない。

ただ、遠くない将来に自分のため以外にも生きていく可能性のある今こそ、なるべく中長期で「本当に大事なもの」を意識して、今を全力で楽しんでいきたいと、戒めを込めて強く思う。結果として、「本当に大事なもの」を全て得ていきたいと思う。少なくとも、得られると信じて努力を続ける。諦観なく、真っ直ぐに、純粋に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?