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批評家なんかやめるよ

 映画館に一年以上行っていない。観たい映画がことごとく延期になってしまったし。それに付随して家にいる状態で楽しめるコンテンツが充実してしまったのもある。

 十年ちょい前くらいからものを観る目を養おうと映画にかぶれだした。ライムスター宇多丸や町山智弘のラジオとかの影響もある。映画通、映画オタクと自称するのは流石に気が引けるが、映画に関して人並みの人から詳しいといわれる程度の知識や解説ができたり知っている範囲ならおすすめを紹介できる程度。

 はじめの頃は少しでも教養の糧にしようと闇雲に観ては反芻して作品のテーマや意味を考えたり他人の批評を見ていた。ワナビー的な批評家への憧れもあった。しかしこれがどうにも面白くない。映画自体がじゃない、映画を観る行為が。映画を娯楽じゃなくて無理に自分の何かの足しにするために無理に鑑賞、批評していた。

「この台詞は前半との対比になっている...」
「このシーンは監督の前作品のオマージュ...」
「CG技術は凄いが目新しさはない...」

 あれこれ考え過ぎてしまってあの頃の自分は映画の観方というものを見失っていた。頭空っぽにして観ればいいエンタメ作品に対しても面白がっているはずなのに「あれ? なんで自分はこれに興奮して感動しているんだ? えーと... この表現は...」と、要らぬことを考え始める。それくらい分析しなければ映画を語れないと思っていた。楽しくなかった。

 自分の映画の観方を変えた作品、正確に言えば作品の批評がある

『トロール・ハンター』

 いわゆる『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』的なフェイク・ドキュメンタリーモキュメンタリー。学生が密猟者の取材映像を撮ろうとしたら密猟者の正体は政府に雇われて怪物・トロールが人間に出くわさないように管理しているトロール・ハンターだった...というのを「これは現場で見つかった学生のカメラの映像である」という体で流す内容。

 映画としてはA級未満、B級以上でノリを許容できるならホラーではなく怪獣映画として面白い。端々にナンセンスなブラックジョークも挟まれて好みはあるだろうが個人的には並程度に好き。並程度におすすめ。

 これを知ったのは何気なく読んだ週刊文春の映画レビューだった。週に2本、5人のレビュアーが5点満点でレビューするのだが2,2,2,3,1計10点、かなり低い。評論家のコメントの抜粋がこうである。

「ムーミンやトトロのモデルだというトロールが全然可愛くない。こういうゲテモノ映画を「記録映画」と称してよいのか?」

「本当は☆なんてあげたくありません。完全に駄作です。妖精トロール自体気持ち悪く正視できるものではありません。」

 全員がこういうことを言っているわけではないが両者とも肩書に映画評論家(しかもベテラン)と書かれた人間の一意見である。(ムーミンやトトロのモデルというのは公式ホームページ等に書いてあった文言)

 トロール(トロル)と聞いて多くの人はどんなものを想像するだろう。多分だけどそこそこの割合の人が『ドラゴンクエスト』のボストロールのようなものをイメージすると思う。醜悪で下品、低能そうな巨人の怪物。『指輪物語』『ハリー・ポッター』及びその映画に登場するものもそのように描写される。

 トロールは元々北欧神話・民話伝承・土着宗教の妖精、というより妖怪。変身能力があり姿形は時代や地域で差異があり巨人だったり小人だったり多頭だったりするが多くはデカ鼻で歯並びの悪くて毛むくじゃらの醜い亜人として描かれる。

 有名どころなら童話『三びきのやぎのがらがらどん』でやぎを食べようとする恐ろしい化け物として描かれるが小やぎと中やぎに言いくるめられて大やぎにバラバラにされる。
 古典ならイプセンの戯曲『ペール・ギュント』に登場しグリーグ作曲の劇音楽『山の魔王の宮殿(Hall of the Mountain King)』が有名だろう。

 "宮殿"と訳されているが恐らくは岩窟に作られた棲み処、根城的な意味合いが強いと思う。作中では主人公のペールはトロールの娘と結婚しようとするほどには人間との違いはないようだが尻尾を生やし、家畜の糞尿を飲み食いし、人間とは異なる価値観や文化を持ち、自分らしくトロールらしく生きそれを誇りとしている。土着宗教から生まれた存在なのでキリスト教の鐘によって祓われる。

 『トロール・ハンター』以降だがディズニーの『アナと雪の女王』にも岩に擬態する妖精として登場する。他にもストップモーションアニメ『ボックストロール』やドリームワークスの『トロールズ』でフィーチャーされている。いずれも子供向けにキャラクター付けられているがストレートな可愛さというよりも愛嬌のあるブサかわ、キモかわといった具合だし作中どこか人間との考え方の噛み合わなさがある。

 ムーミントトロのモデル、とは言うが、ムーミンの種族はムーミントロールで妖精なのだが原作者のトーベ・ヤンソンの創作に近いし、トトロは作中でトトロを見てトロールだと推定するに留まっている。この両者が他と違ってトロールとしてかなりイレギュラーなのだ。

 それ以前から足りない教養や個人の好みで物事の良し悪しを口にして馬鹿にされるような批評家にはなってはいけないとは思っていたが、ベテランですら件の様な批評を垂れる。怒りや呆れよりもなんとなく気が晴れた気がした。
 批評家なんかやめるよ。別にそれで飯を食っているわけじゃないし、どんな作品でも素直な気持ちで触れればいいのだ。難しいことじゃない。それまでの積み重ねで自分の感受性に合致するものの傾向がわかってきたし、参考にしていた批評家とも必ずしも考え方が一致するとも限らなくなってきたし。

 世の中ネットショッピングも店舗検索もサブスク配信動画もレビューだらけである程度の指標にはなるが、リテラシーのない人間のコメントや工作やステマ、偏向意見、デマなんかに聴く耳を持ちたくはないし、それよりもやっぱり自分が感じたことが一番だ。

 素直に観たり聴いたりしたことを受信したいし、素直に思ったことを発信したい。自分の好きなことを見つけて自分らしく誇れるように。トロールのように生きたい。糞は食わないけど。


追記: トロールってネットでウザいことする輩に対するスラングだったのを思い出した。じゃあやっぱトロールみたいには生きない。

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