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当事者しかわからないこと

3月に鬱と診断された時。

自分がまさかこうなってしまうなんて。という気持ちと、診断されたからこれでゆっくり休めるという気持ち、どちらもあった。

今でも、鬱という診断に懐疑的なところもある。
少し話を聞いただけで、さらっと診断書を書いてくれるのだ。
診断テストみたいなものもして、軽〜中程度ということもあとから伝えられたが、
それでもわたしは本当に鬱なのか。それとも、鬱と診断されたから鬱になったのか。わからない。


どこかで、自分には縁がないものだって思っている気持ちもあった。
心のどこかで、鬱は心の弱い人がなるんだ、甘えなんじゃないかって思ってる部分を持っていたと思う。
ことばには出さなくても。


忘れてしまっていたけど、これまで仕事した仲間の中でも、そういう体調が悪い人が何人かいた。

自律神経の関係とかで、めまいがしてしまったり朝起きられなかったり。そういう感じだったと思う。

お大事にね。ゆっくり休んでね。
口でそういっても心のどこかでは「困ったな仕事回らないな」という自分の都合ばかり考えて、
長期的にどういう対処をしてあげたら良いのか(本人が望んでいるのか)といったところは全く考えていなかった。


人にはいろんな事情がある。
いろんな身体の都合があり、考えがある。
頭でわかっていても、体感しなければ「ほんとうにそうだ」ということはやっぱりわかることはできない。

当事者になってみても、わたしはまだ軽度の方だから症状が重い人のつらさや歯痒さはわかることができないんだと思う。

でも少しは寄り添えるようになっただろうか。
想像力をはたらかせることができるようになってきてるだろうか。

ゆっくり休んでね、無理して働かなくたっていいんだよ、
という友人のことばが沁みつつも、そうじゃない人は気軽にそうやって言うよね、とも思ってしまう自分がいる。

その友人だっていろんなことに悩んだり、もしかしたら体調を崩したりしているのかもしれないのにね。

鬱になったら、実はわたしもそうだったんだ。という人が身近に2人くらいいた。
鬱の人って、思ったよりたくさんいるのかも。と思った。

弱みを開くと、相手も開いてくれることがある。弱さは誰にでも見せられるわけじゃない。

人に弱みを見せられる人になりたい。
分かり合えないことを恐れずに。
人に弱さを見せてもらえる人になりたい。わからなくても寄り添えるように。

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