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ブランドに「急成長」は必要なのか

アメリカのD2Cバブルが、いよいよ終わりに近づいている。
昨年から一部のメディアでD2Cの失速が囁かれてきたが、Casperの上場時の株価が想像以上に低かったことが最後の一撃となったようだ。

今後、アメリカで「D2C」というワードで資金調達するのは難しくなるだろう。

海外記事の雑感」でも書いたけれど、これは単に今まで必要以上にかけられていた期待が正常な状態に戻っただけとも言える。

この先2、3年で、マネーゲームとして参入してきたプレイヤーは淘汰されていくだろう。
その頃には、ITスタートアップのセオリーを押しつけられることなくヘルシーに成長したブランドが話題になっているかもしれない。

昨秋頃、海外メディアのPodcastで「ユニコーンではなくフェニックスを目指すべきではないか」という問題提起を耳にした。

ITスタートアップ的な急成長ではなく、長く続く「老舗」を目指すべきではないか、という考え方である。

そもそも、リアルビジネスは急成長と相性が悪い。
モノや場所を供給するには膨大な手間と時間がかかるからだ。

たとえ毎月10倍ずつ需要が増えたとしても、そのスピードに供給が追いつかない。
リアルビジネスの成長の鍵は、需要の喚起よりも効率的な供給システムの構築である。

実際、急成長によって供給のシステムが追いつかず、顧客の満足度を著しく落としたニュースが昨年あたりから徐々に増えてきた。

Rent the Runwayしかり、WeWorkしかり、その成長率がもてはやされてきた企業は軒並み同じ壁にぶち当たっている。

もちろんIT企業も成長と顧客満足度のバランスに悩む企業は多いだろうが、たとえばNetflixが契約者全員に新作を配信しはじめるための作業量と、新しいお店をオープンしたり新たなレンタル商品を届けたりすることの作業量は根本的に異なる。

リアルビジネスには、リアルビジネスのセオリーがあるのだ。

一方で、長く安定して稼ぎ続けている企業もある。

いわゆる「老舗」と呼ばれる企業だ。

ユニコーンもフェニックスも伝説上の生き物であり、どちらにせよ簡単に目指せるものではないとはいえ、それぞれの生態を考えればブランドの場合はフェニックスを目指す方が確度が高いのではないだろうか。

なんと言っても、日本には100年以上続く企業が3万社以上ある。

もしフェニックスの定義を「創業100年以上」とするならば、日本にはユニコーンの何十倍、何百倍ものフェニックスがいることになる。

アメリカがユニコーンの生息地だとするならば、日本はフェニックスの生息地なのだ。

先月読んだ「老舗企業の存続メカニズム」によれば、海外における老舗企業研究は「ファミリービジネス」に分類され、日本でいう「老舗」のニュアンスでの研究はあまり進んでいないという。

それもそのはずで、諸外国では長く続く企業の割合が日本ほど高くないため、「老舗」というくくり方で語られることが少ない。

老舗企業を研究する上で、日本以上に適した国はないのである。

では、老舗企業はなぜここまで長く続くことができたのか。
書籍の中では、「基本的な存在根拠」という言葉が出てくる。

老舗企業の長期存続は、基本的な存在根拠を一貫して維持しようとするとともに地域環境に対し組織文化を変えながら対応する試みとの融合によって可能となる

さらに、インタビューでは「創業者の意志が受け継がれているかぎり、企業は存続する」といった主旨の発言が出てきた。

これは、リチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」の中で提唱した「ミーム(meme)」の考え方にも通じるものがある。

生物の体が遺伝子(ゲノム)を残していく生存機械だとするならば、同じように文化や意志というミームを伝え残す生存機械が存在するはずだ。

それこそが企業であり、ブランドである。

企業がミームの生存機械だと考えれば、人間がゲノムを残すために急に身長が伸びたり超能力が使えるようになったりしないように、一代で急激に変化する必要はない。
キリンの首や象の鼻も、何世代もかけて変化してきたものなのだ。

もちろんこれは価値観の問題であって、自分は次世代に何かを残すよりも生存機械としての自分の生を最大限に楽しめればそれでいい、という考え方もあるだろう。

企業の価値観としても、長く続くよりとにかく早く成長してお金を稼ぎ、仲間内で分けあったら解散するという考え方も十分アリだ。

ただ、私たちが遺伝子の乗り物であるかぎり、何かを残したいという感情は本能的なものでもある。
最終的に何を残していきたいのかを考えることは、自分の存在意義にもつながる。

内村鑑三は「後世への最大遺物」の中で、人間が後世に遺すことのできる3つのもののひとつに「事業」を挙げた。

事業とは、すなわち「金を使うこと」です。金は労力を代表するものでありますから、労力を使ってこれを事業に変じ、事業を遺して逝くことができる。金を得る力のない人で事業家はたくさんあります。

遺すべき企業とは、上場するほどの大きさである必要はない。
長く愛される企業としての考え方の基礎や企業文化さえあれば、どこかで飛躍的に成長することもある。
続いてさえいれば、いくらでも「中興の祖」が現れる可能性があることは、徳川幕府の系譜をみても明らかである。

本来、企業にとって成長と顧客満足は二者択一のものではない。

どちらが欠けても、企業を存続させることは難しくなる。

ただ、現代は資本主義の成熟によってともすると成長ばかりに注目が集まりがちであることもまた事実である。

10倍の成長が称えられるのと同じくらい、「続ける」ことも称えられるべきなのではないか。

D2Cバブルの終焉と老舗企業への注目の高まりは、そんな疑問を私たちに投げかけているような気がしている。

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