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写真を撮るということは静止した美を鑑賞すること

     PresentationとPhoto

芸術と学問のうち、まだまだその過程を楽しめるものがある。それは、presentationであり、 Photoだ。

     presentationの内容

場所;三田協働行政6F キッピーモール
費用;1時間 200円
プレゼン内容;基本情報技術者、応用情報技術者、Python、VBA、MOS、数学、英語、科学

そこで、プレゼンを行うというものだ。というより講義だな、lectureだ。

       Photoの内容

藝術のうちで、数学とピアノは、脳内で同じ部位を使っているそうだ。
このほか、グラフィックメモリー(写真記憶)のように、数学が静止した数を扱う学問であるようであるが、これをフォトにて、やろうと思う。つまり、静止した写真を撮りまくることで、静止した風景などの美を感じ取る能力を養うのが目的である。
ピアノは、音楽だが、運動している数を扱うという点で異なる。かのレオハルトオイラーは、確かに、「数学は、運動している量を扱う」としていたが、これは、中世における分類とは異なる意見だ。つまり、「音楽は、運動する数を扱い、数学は、静止した数を扱う学ものである」と言っているから、その点、「運動している量」なのか「静止している数」なのかその点で異なる。
アインシュタインはこうも言っている。

私たちは、同じものを異なる視点でみている

このようなことがなぜ起こるのか、考えてみたところ、数学というのは、実は、「静止した数」(Photoでそれを美として磨く)と「運動している量」(ピアノやギターで養う力)が同じものなのであるが、異なる視点からみているということも考え得るということだ。そこで、数学とか、物理とか、化学などに使用される計算する能力を磨くのに、このPhoto(静止した美を扱う写真記憶、また、写真からイメージする能力を鍛えること)とplay(運動する美を扱う音楽を鍛えることで、一連の一つひとつの音をイメージしながら、つくっていく音楽のちから)を両方別々の時に、異なる視点から、学ぶということをしてみたいと思ったのだ。

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