勝利条件に遊ばれるな! それは、敗北の条件である
私たちは、日々、何かのルールに束縛され生きている。法学入門書には、こう書かれている。
“法とは、ある目的を遂行するためのルールである”
日々、私たちは、幼子でもない限り、善であり続けるような生き方は、できず誰か、もしくは、自ら、作ったルールに縛られ生きていることになる。目的も、他愛もない幸せ、楽しさ、健康、状態の良さ、目標を達成すること、または、その過程をも含めるときさえあるものだ。
それらの法または、あるルールに縛れ、うまくゆかぬとき、私たちは、このような反応を示す。
・なぜ、安月給で、こんなことをしているんだ。もっと貰っていいはずだ。
・うまくいかぬ原因はなんだろう?なぜ“暗黙”にこんなことをしているのか。
意図していない、ヒューマンプログラムエラーに悩まされる。
このような状況下におきける私なりの提案は、次のようなものである。
“大統領のナプキンをとれ!
そのためには、勝利条件を確認し、整理し、また、新たな勝利条件を作り出せ”
ひとは、なぜこんなにも、あるひとの都合、事情を考慮せず、悪意ある言葉を使うのか。
そこには、認めたくない、どうでもいい、そうした感情が入り乱れている。
流行りのプログラミング的思考をここで考えてみよう。
わたしたちは、プログラミングされており、
“ある出来事は、すべて環境,境遇によって、引き起こされ、必然な出力、結果にとして現れている”
もはや残された道は、以下の2通りしかない。
1.勝利条件を確認し、整理、新しく勝利条件を自らつくる
2.それ以外の対策を講じる
例;距離を置くなど
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?