見出し画像

あの子へ贈るプレイリスト

その人に似合いそうな曲を詰め込んだ、彼/彼女専用のプレイリストを作って贈りたい。これは私が、周りの好きな人たちに対してひそかに抱いている願望である。

1. わがつま「犬が通る」

それは隣に住む子に対して、わがつまの曲が似合いそう、と思ったのがきっかけだ。わがつまは2019年から活動をはじめた宅録シンガーソングライターで、彼女の曲はどれも柔らかく、心地の良い単調さを持っている。

そして、私の隣人はきわめて物静かだ。彼女の口調にはほぼ抑揚がなく、わがつまの曲のように淡々としている。けれどもとっつきにくいわけではなく、彼女にはむしろ、ウールやコットンのようにふわりとした独特のやわらかさを感じる。

彼女は文字通り、ぽつりぽつりと声を出す。私は、紡ぎ出された言葉の一つひとつを取りこぼさないように、注意深く耳を傾けたくなる。彼女のゆっくりとした話し方には、そんな不思議な魅力があるのだ。
共通の友人は、彼女からはマイナスイオンが出ていると表現していた。私は彼女としょっちゅうは話さないが、会って話すと心が和むし癒される。わがつまの曲も、毎日聴きたいと思うわけではないけれど、ふと再生するとああ、よかったなと安心するのである。


2. カネコアヤノ「やさしい生活」

彼女とカネコアヤノの曲は一致しないものが大半だ。しかし「やさしい生活」に限って、聴くと私は彼女を思い浮かべる。

彼女は、申し訳なさそうに生きているように見える。ささいなことに対してもおずおずと、「ごめんね」を口に出す。だから、もし少しでも語気を強めると傷つけてしまうのではないかと、たまに私は心配になる。
歌詞にある、「大丈夫になったら」という仮定は、大丈夫ではないことが前提にある。彼女は儚い雰囲気を漂わせていて、不安そうで、いつもすこし寂しそうだ。大丈夫!と言うようなポジティブな一面を、今まで私は見たことがない。もちろんそれを憐れんでいるわけでは決してなく、彼女はもしかしたらこの曲のように考えているのかな、と思ってみただけである。


3. ノンブラリ「凪」

ノンブラリというバンドも、彼女によく似合う。ノンブラリの曲は、晴れた春の昼下がりを連想させる。ぬくぬくとしていて、あちこちに花が咲いていて、嫌なことをとりあえず放って散歩したくなるような日。
春生まれの彼女は、そんな穏やかな春の日のイメージである。

こんなに晴れた日に僕らは
寂しくなるのをやめたのだ

ノンブラリ「凪」(作詞:山本きゅーり)

先ほど書いたように、彼女には儚さがある。
でも同時に、彼女には実は芯があって、「満足ではないが 不足はない」日々の生活を自分のペースで堅実に営んでいるのかもしれないと、彼女の雰囲気に合うノンブラリの曲を聴きながら思う。寂しくなりそうだけれど踏みとどまって、寂しくなるのをやめる、という密やかな自己肯定をしているのではないか。そんな想像をしてしまう。

彼女は群れないし、自分のことを積極的に話さないため、彼女がどのような毎日を送っているのか本当の所はわからない。すべて私が勝手に作ったイメージである。ただ、そういう妄想をしたくなるような余白が彼女にはあるのだ。


彼女はきっとこの三曲のような邦楽を聴かないし、好きではないかもしれない。なにせ彼女は、20歳ながら尾崎豊や沢田研二を敬愛するという、渋い趣味をしている。そのギャップも魅力的だと思う。

私には彼女に、私から見た彼女はどんなものなのかを知ってほしいという欲がある。冒頭にも書いたが、彼女だけではなくて、私の好きな人たちみんなに対してだ。それはおそらく翻って、私の好きなあなたから見た私がどんなものなのか知りたいという欲に起因する。私のことを、比喩や似合う曲によって言語化してほしいと強く願う。可笑しいけれど、だから私も相手にそうしたいと思うのである。

もしも彼女にプレイリストを贈るとしたら、必ずこの三曲が入るだろう。そして、なぜこれを選んだか、私は嬉々として彼女に一曲ずつ説明していくのだ。

好きな人たちの特有の魅力は、自分の言葉だけで表現するのが一番いい。でもそれは難しいし、言葉にできない漠然としたイメージも多分たくさんある。だから手段のひとつとして、プレイリストのプレゼントがあってもいいのではないかと、私はそう思っている。

ちなみに、ここで紹介した私の隣に住む「彼女」は以前もすこし記事にしたことがある。


ここまで読んでくださった方々にも、誰かと曲とをリンクさせたり、逆にこの曲が似合うと言われた経験はあるのだろうか。そんな思い出を懐かしんだり、こっそり教えてくれたりしたらとても幸せです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?