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3月25日のソニー・クラークと、プルースト現象

耳にするだけで特定の情景をフラッシュバックさせる曲がある。

ジャズの名盤、ソニー・クラークの「クール ストラッティン」は、私にとってちょうど10年前の2008年3月25日の曲だ。

東京での暮らしがはじまったその日。あやふやな記憶を辿れば、外は小春日和であったと思う。路面を走る都電荒川線の西早稲田駅から徒歩1分。4月から通う大学にほど近い場所にあったそのマンションは、とても騒がしい新目白通りに面していた。

202号室には、まだほとんど何もなかった。あるのは、ベッドフレームが届かずに行き場を失ったマットレスと掛け布団、私物の入ったいくつかのダンボールだけだった。明日には冷蔵庫やテレビが届くはずだから、そうすれば部屋は一気に生活感に満たされる。だからその日だけは、何もない、空っぽの部屋で暮らすことになった。

時刻は16時ごろだっただろうか。荷解きをするほどの量ではないし、棚もないので解いたところでどうしようもないのだが、私はようやく手に入れた自分だけの空間に早く手を施したくて、唯一ダンボールで運んだ家電であるCDコンポを引っ張り出した。小学生の時にクリスマスプレゼントに買ってもらった、ケンウッドの薄緑色のコンポだ。アダプタをつないで電源ボタンを押すと、液晶部分がオレンジ色に光った。

さて、この部屋で最初に流す曲は何にすべきか。私は昔から願掛け、ではないのだが、そういうちょっとした“儀式”のようなものを気にする癖がある。だからこれから聴く曲は、今日からはじまる東京での生活にふさわしい一曲でなければならなかった。

「CD」と黒いマジックペンで雑に書かれたダンボールを引きずり、ガムテープを一気に剥がす。緩衝材としていたバスタオルを追いやって、最初に目に入ったのが、その一枚だった。

ハイヒールを履いた女性の足が写ったモノクロのジャケットは、どこか都会的でとても素敵だ。どうして私がソニー・クラークのCDなんかを持ってるのかというと、親が聴いていたものを「欲しい」とわがままを言って、もらってきたからだ。

ケースを開けてCDを取り出し、コンポに吸い込ませる。再生ボタンをポチリと押せば、小さなスピーカーから曲が流れ始めた。音を吸収するものが何もない部屋は、思った以上にサックスの音色が響いてしまって、私は少し焦ってボリュームを下げた。

東京で初めて聴く音楽がそれだという事実に、少しむずがゆくなった。

18歳の私には、洗練されたそのジャケットも、しっとりと落ち着いたジャズのリズムも、何もかもが魅力的だった。

***

その後も幾度となくソニー・クラークは聴いているはずなのに、いつも2008年の3月25日、あのワンルームの床に腰を下ろし、ぼうっと夕暮れの陽が差し込む窓を眺めていたことを思い出してしまう。

ソニー・クラークを聴く私は、いつまで経っても18歳の垢抜けない学生のままだ。

(2018.3.3執筆)

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