サリー・エル・ホサイニ『スイマーズ:希望を託して』

サリー・エル・ホサイニ『スイマーズ:希望を託して』を観る。昨今、「スポーツに政治を持ち込むな」という一部の意見がまた話題となっている。私は素朴に(というかアホなので)「スポーツは資本主義や国際政治が絡む行事じゃないのか」と思ってしまう。茶々を入れたいわけではなく、音楽にしてもスポーツにしても私たちの日常的な暮らしにしても、それらを構成するミクロな要素の中にすでに政治的な力学は入りこんでいると思うのだ。例えば私が使っているAndroidだって海外で作られたガジェットだろうし、日々ボーダレス化するネット社会にこうして文を書き連ねているこの行動(上野俊哉的に言えば「身振り」)の中にも政治は入り込んでいる。

『スイマーズ』を観て思ったのは、何だかロールプレイング・ゲーム(以下RPGと記す)のような映画だなという印象だった。本作は空爆で揺らぐシリアで2015年、つまりリオ五輪の前年にそこから脱出してドイツに渡った姉妹とそのハトコの身に起きたことを豊富なディテールで描いた力作である。彼女たちはコーチたる父親に厳しい指導を施されてシリアで水泳で五輪選手になろうとしていたが……いや、顛末を語るのはよそう。起きたことが時系列的に並べられて、その苦難や奮闘ぶりが串刺しにされて展開されていく。2時間超えの作品ではあるが、なかなか飽きさせずに魅せるその手腕は大したものだと唸った。

そのサクサクと進んでいく映画の進行ぶりは、「決して倍速で観させないぞ」という制作者の気合が伝わってくるかのようだ。実際にこの映画でインパクトを持つのは、筋立てだけを整理すれば脱出劇とスポ根の要素として整理を許してしまう(つまり、陳腐な作品として消化できてしまう)、そのような私たちの怠惰な姿勢を許さない数々の映像である。シリアの地から届けられるエスニック風味のポップ・ミュージック、プールの底に沈んだミサイル(?)、海を渡る難民たちの奮闘ぶりといった映像はそれ自体「映える」ものであり、こちらの脳裏に焼き付く何かを残す。このあたり、やはり「リアル」だなと唸ってしまった。

そう考えればこの監督はこれから大成するのではないかとも思う。こうした素材は悪く言えば誰もがその深刻さに称賛せざるをえない類の(平たく言えば「偽善的」である)映画だけに、敬遠する向きもいるだろうと思うのだ。だが、スタイリッシュな作り方やそうしたRPG的な構成の巧さ(悪く言えば「ダレ場」を持たず一本調子で進むとも言えるが)は新人の監督とは思えない堂に入ったものであり、これから世界の悲惨さを射抜いた映画を数々作り出すのではないかとも思う。それこそ「映画に政治を持ち込むな」という拒否反応を清々しい顔で無視して、だ。私としてはその方向性を支持したい。

あとは出演している俳優陣、ことに主人公の姉妹を演じる女性たちのナチュラルな演技がいいなとも思った。深刻な題材だが、彼女たちの佇まいはあくまで凛としていて自然に演じていることが伝わってくる。姉妹とハトコを演じた若者たち、チェックしておく必要があるようだ。こうした映画に触れると、日本で暮らすことの特殊性について考えさせられる。日本で安定した、ある程度堅実な生活を過ごしていれば見えてこない「世界の常識」というものがあることをこうした作品は教えてくれる。いや、アラがないわけではないけれどこれはなかなかの力作に触れたと思った。

こうした難民たちの問題は決して「対岸の火事」ではない。日本と近いところではウクライナの難民たちの問題がある。日本は均質化を好む、あるいは同調圧力の強い土地柄だと言ったのは誰だったか。だが、そんな国民性になじまない移民・難民の受け入れは好むと好まざるとにかかわらず喫緊の課題として向かわざるをえない。そう考えれば、この映画はそんな「リアルな政治」を照らし出したものとして貴重に思われる。ややもすればこの映画、そんな大見得を切ったところばかりが独り歩きしてしまい肝腎の「自分の水泳を泳ぐ」「夢を信じる」というメッセージが見えづらくなるきらいがあるのだけれど。

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