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チャールズ・シャイア『ノエルの日記』

チャールズ・シャイア『ノエルの日記』を観る。何というか、「タメ」がない映画だなと思った。すべてがフラットというか、ツルツルとスムーズに語られすぎているのでこちらの心に引っかかるべきところがない。フックがないというか、インパクトを以て残るべきものがないのだ。実際にこの映画を観てみて、さていったいどんな映画だっただろうかと思い返してみてもあっさりした、掴みどころのない印象しか蘇らない。だが、それもまた味と思えるから不思議でもある。この映画、どんな層にウケるのだろう。意外とジャスティン・ハートリーの出世作(?)『THIS IS US』が好きな人には堪らない逸品となるのかもしれない。

ストーリーは簡単だ。若手のベストセラー作家の主人公ジェイクは、実の母の死を聞かされる。そして母の家(かなりのゴミ屋敷だ)で彼を待ち受けていたのは一冊の日記だった。それを何となく彼はゴミの山から救い出し、カバンの中に入れる。そこにレイチェルという女性が訪ねてくる。レイチェルの目的は実の母親を探すことだった。その母探しは、この日記とも関係してくるものらしい。ジェイクとレイチェルは成り行きでささやかな思い出を探す旅に出る。ジェイクはその旅の過程で、父親との確執を乗り越え和解する機会を得る。これがこの映画のプロットである。

映画はこのストーリーを幾つかの切り口から切っていく。1つは日記を書いた主であるノエルを探す過程だ。そしてもう1つはすでに見たようにジェイクと父親の和解。もう1つはジェイクとレイチェルの恋物語。こうして見てみると美味しくなる素材はそれなりに揃っていることがわかる。だが、その素材が上手く生きているとは言い難い。ミステリーとして膨らませることができるノエルの過去の逸話も、ヒューマン・ドラマとして展開させることのできるジェイクと父親の話もどこか食い足りない。もう少しひねりがあってもいいのになあ、と思ってしまって楽しめなかった。

この映画、問題を提示してからそれを消化するまでの間合いの「間」ができていない印象を受ける。もう少しストーリーの中で遊ばせてから伏線を回収すればいいのに、とついついこちらが思ってしまうくらいそそくさと伏線の回収に勤しむのでどうも「この人はいったい何を考えているんだろう」と疑心暗鬼になったりする余地がない。それはつまり、真理を深読みさせられて感情移入を誘われる契機がないということだ。どうもこの映画の登場人物たちが一筆書きのように感じられ、深みを欠いているように感じられるのはそこから来るものなのかもしれない。語り口の問題、ということで片がつくのかなと思う。

そんなところだろうか。蛇足だが、私はこの映画を観ていて自分自身の家庭のことを振り返ってみた。私もまた父親との確執に苦しみ、和解に至った思い出があるからだ。もちろん誰もが家庭においてそれなりに人間関係に苦しみ、確執を背負う定めにあるのかもしれない。そんな普遍的なテーマを描いたということで、この映画はなるほどハートウォーミングな映画である……と弁護できなくもないものの、ならその確執の奥深さというか因縁の強さが匂ってくる映画ともなっていないため、やはり「あっさりしているなあ」で終わってしまう。それを踏まえればこの作品の不十分さは決して俳優陣が大根だったから、という問題ではないとも思った。

まとめれば、予定調和的に進むラブ・ストーリーであり、なおかつミステリアスに進む映画でもあるということになろう。あるいは平熱のテンションで描かれたささやかなロード・ムービーということにもなる。だが、そのどの側面においても突出したものがないため無難に収まりすぎた出来になっているとも思われる。いや、なんだかボロクソに言ってしまったけれどこれが私の正直な評価になるのだから仕方がない。クリスマスを祝う映画は数多とあり、ネットフリックスオリジナルでも制作されているようだ。この映画はその果敢な試みが外れた例として大事にしたいと思った。

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