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2022/03/20

保坂和志『カンバセイション・ピース』を読む。関川夏央はこの小説を小津安二郎の映画になぞらえている。私はこの小説を読み是枝裕和の作品を思い出した。両者の共通点は――私もそんなに熱心に観比べたわけではないが――自分の人生の責任を背負って生きている真面目な人たちが自由闊達に自分らしく己の哲学を語り合うところではないかと思う。『カンバセイション・ピース』でも、彼の過去の作品同様に社会からはじかれてしまった人たちが己の生き方を誇り、語る。私も「社会からはじかれてしまった人」なので、共感するところがあった。実に硬派な小説だ。

小説「青い車」を書いているのだけれど、自分自身の子どもの頃のことを思い出す必要があると思った。それは別段自分がいじめられていた頃のトラウマを思い出すべき、というわけではない。いや、思い出して書いても面白いかもしれないが私はもっとマイルドに(?)自分自身がこの世界と出会って抱いたセンス・オブ・ワンダーについて書きたいと思ったのだった。保坂和志の作品やスピッツの曲に触れて、彼らも同じようにそうしたセンス・オブ・ワンダーを保持し続けていることからそんなことを考えてしまうのかもしれない。

今日は発達障害を考えるミーティングの日だった。コロナ禍のグダグダが続くのでZOOMを使ってオンラインで開催する。私は自分の多飲症と外面のことについて話した。ジュディスさんから「beautiful mind」と言われたことについて、自分はくだらない嘘もつくし煩悩も抱えているのにそう言われてしまうことに罪悪感を抱えている、という話をしたのだった。かつて、両親から「お前は優しい子だから」と言われて、でも周囲の子からは「どこまでひねくれとんじゃ」と言われて、自分が親に嘘をついている気がしてやはり罪悪感を感じたことがあった。思い出される。

他の方が、片付けができない理由についてYouTuberの方の意見を引いて「子どもの頃のつらい体験が尾を引いている場合もある」というようなことを語っておられた。その言葉に、私も自分がひとりで居る時にくだらないことにうつつを抜かすのは子どもの頃のままの自分がまだ残っているからかもしれないな、と思い至った。外に出れば大人の自分として働いたり語ったりするが、ひとりで居る時はしょうもない「働きたくない」とか「一生ベーシックインカムで暮らしたい」という夢想に取り憑かれる。だが、明日になれば私はまた仕事に行くだろう。その程度には成長したとも言えるのだろうと思うのだが、どうだろうか。

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