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リチャード・カーティス『ラブ・アクチュアリー』

リチャード・カーティス『ラブ・アクチュアリー』を観る。ありがちな日本(人)批判として「日本は宗教的に節操がなさすぎる」というのがある。正月の初詣を神道で祝い、クリスマスをキリスト教的に祝い、大晦日を仏教的に祝うからというのがその概要だ。言われてみればそうかなとも思うが、なら海外だって食文化に寿司を取り入れたりして(その寿司だって海外風にアレンジされたものだったりして)結構節操がないじゃないかなとも思うので、これに関してはもっと深い議論が必要でしょと言いたくなる……というのはタテマエで私としては「めんどくせー」「楽しけりゃいいじゃん」と思ってしまうのだった。

映画に関しても私は「楽しけりゃいいじゃん」と受け流すフシがあるらしく、名作と誉れ高いこのリチャード・カーティスの映画も今回が初めての鑑賞だったのだけれどなかなか面白いと思ってしまった。いや、感服したと言ってもいい。20人以上のキャラクターが映画の中で恋をし、傷心を抱え、そしてやや予定調和的ではあるにせよハッピーエンドを迎える。空港で始まった映画として、これもベタな「円環構造」ではあるけれど空港で締め括られるという構造が備わっておりリチャード・カーティスという人の才気を見せつけられたような気持ちになる。「お見事」と溜め息をついてしまった。

私の好きな映画監督にエルンスト・ルビッチという人がいるのだけれど、そのルビッチのタッチがこの監督のタッチと似ている気がする。もちろん撮り方は似ても似つかないのだが、ギャグが異様なまでに細かいところに親近感を覚えるのだった。チョイ役なのにその顔の濃さか『Mr.ビーン』効果か強烈なアクセントを残すローワン・アトキンソンの使い方。あるいはジョニ・ミッチェルのCDが作中に登場した後に流れるのがまさにそのジョニ・ミッチェルの名曲「青春の光と影」のカヴァー・ヴァージョンだったり。何かと「ニクい」細部でこちらの目を引く。いや、こんなところに目が行くのはお前さんだけだよ、と言われるかもしれないけれど。

リチャード・カーティスの映画は『アバウト・タイム』と『イエスタデイ』(は厳密にはダニー・ボイル監督の映画だが)を観ていた。なのでこうした細かさもやや予定調和的に力技で「持っていく」ハッピーエンドの構造も読めたつもりではあったものの、改めてこうして形にされて魅せられると言葉が出ない。しかも、この映画はイギリス人気質が強く出た映画のようにも思う。チラリと登場するマーガレット・サッチャーや先述したローワン・アトキンソン、あるいはビートルズといった要素がそうしたイギリス人気質を匂わせているように受け取った。いや、これに関してはもっとこちらが「読む」姿勢が必要ではあるのだけれど。

ところで、社会学者・宮台真司は映画に関して「サリンジャー型」と「アーヴィング型」という2種類の分類を行うことを提唱している。私の言葉でざっくり言えば一人称的というか主人公の思い入れを過剰に語る映画が「サリンジャー型」、そうした思い入れをカッコに入れて映画全体を俯瞰した視点から語り世界/セカイの実相を提示する映画が「アーヴィング型」ということになる。ならこの映画がどちらかというとバリバリの「アーヴィング型」ということになろう。この映画が語ろうとしているのはそうした、愛に満ち溢れた世界のカオスでありこの世界自体が一種の天国の如き場所であるというメッセージなのだと思う。

ならば、そうした「アーヴィング型」の映画は一種危うい賭けを強いられているとも言える。誰に感情移入していいかわからないからだ。強いて言えば世界そのものをカメラアイよろしく神の視点で捉え、各登場人物をそれこそ神の如く私たちが祝福する視点を保持し続けなければならないということになる。この映画を観た後、私は何だか世界に対して優しくなれるように思った。それは多分にそうした(擬似的に)私たちが神の視点に立つことをこの映画が許すからではないかと思った。ならば実にユニークな映画を撮ったものだと思ってしまう。この映画を楽しめるようになった自分自身に関しても興味を持ち、愛することの意味について考えてしまった。

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