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#04 21世紀と夜想①

 どうも皆さんこんばんは。こるりです。

 普段は人ひとりの環のなかで理性的な生活を送っているところ、今月の前半は人と夜を明かすことが多くなり、若者らしさが身についてきました。決してどこかから取り戻したわけではなく、新たに習得した過ごし方の一つというのがミソです。

 その場限りの悪ノリから終電を逃してカラオケで友人と語らったり、旅先の繁華街に迷い込み場末のスナックで深夜まで飲んだり、合宿所の居室やホールで夜通し楽器を弾き込んだり。すっかり夏休みのような何かを謳歌しておりました。


 とまあ、めずらしく直近のことを書き並べてみたわけですが。うっすらと気が合いそうな知人ーーおそらく友人かもしれないーーと文章のあれこれについて話したときに、新たな書き方を試みたい気分になったのです。

 私のような市井の人には、川原の石ほどのありふれたことしか起こらないので、偽らずとも飾らざるを得ないと思い込んでいたのです。記憶のうちに留めておいて、あとから思い起こすように書き出すことでその場の過度な熱を払いのけ、面白みを加えるのが正義とすら考えていました。

 盗み見た友人の鮮烈な情緒は、飾り気が無いかわりに適切な温度があって、磨かずとも玉のような艶を持っていたのです。安易な考えから目を背けて繕うよりも、その場ですぐに愛で包んで内側に溜めておくことに羨ましさを感じてしまいました。


 今回は音楽について考えたことを熱が冷めないうちに垂れ流してみます。いずれ別の形で整理はしますが、今夜は21世紀より採れたて新鮮なデジタル・タトゥーをお届けします。刺青の人。

 楽器が好きでおもちゃとして弄っているうちに、音楽を聴くことが好きというもともとの趣味と結びついて、楽器を弾いて音楽を演じたいと思うようになりました。音が出るおもちゃとしてではなく、音楽を表現するための器具として捉えたとき、すべての発音は何らかの意図が生じることになります(もちろん「意図がない」場合もありますが、それも「意図がないという意図」があるものとします)。そう考えると演奏というものは、意味を持ったそれぞれの音が連続的な流れや重層的な構造を成して、有機的に形成される音楽だと言えるでしょう。


 それでは、音楽の「速さ」や「重さ」とは何か。音楽は秤に乗せることもオービスで取り締まることもできないから、単位としての速度や質量をもって捉えることは難しいですね。

 「速さ」を表す音楽上の速度標語で、「速い」ものとしてはPresto、「遅い」ものとしてはLentoが挙げられます。この2つは元のイタリア語でも直接的に速度を表すことができるようです。

 しかし、それ以外にも音楽用語として「速さ」を伴うものは他にもあります。たとえばVivaceは「生き生きとして活発な」様子から、Allegroは「元気が良く快活な」様子から、速く演奏されます。元の形容詞の意味から婉曲的に、慣習として音楽の速さに反映されることもあるのです。


 今度は「遅い」様子を表すものはどうでしょうか。前述の速度的なLentoの他に、英語のlarge(「大きい」)にもつながりを持つ、幅広い緩やかさを纏うLargoや、心地よく安らか(agio)になるAdagioがあります。

 「遅い」方向へと向かうものはさらにバリエーションが豊富で、RallentandoやAllargando、Ritardandoなどが挙げられます。この三つは -andoの語尾から分かるようにジェルンディオで、動詞が変化した形です。速度標語としてはほとんど同じ意味として用いられていますが、元の動詞をたどればrallentandoのrallentareにはlent(o)が、allargandoのallargareにはlarg(o)が含まれています。Rallentandoが単に速度的に遅くなるのに対して、 Allargandoは音楽的な広がりと共に遅くなるのです。

 「遅れる」を意味するritardareが元になっているritardandoは前の二つとは少し趣が異なり、より面白いです。ritardareは遅れるため、能動的に遅くするわけではなく、何らかの外的要因のせいでやむを得ず遅くなってしまうのです。

 皆さんが遅刻する理由は朝起きれないからでしょうか、それとも電車のダイヤが乱れているからでしょうか。音楽的に遅くなる要因のほとんどは、フレーズの質量や情感に速度が耐えきれず、伸びてしまうからだと考えられます。

 演奏家としては音楽のために「遅く」することには代わりありませんが、「音楽そのものを広げる」ためであったり「質量に耐えきれず音価を伸ばす」ためであったりと、意図することは異なります。


 いよいよ「重さ」の話にも絡んできました。音楽に質量が伴うとなると、器楽的な演奏上のアプローチについても触れたいので、次回に持ち越しましょう。

 さて、飾らぬ乱文と生活はつづきます。ハライチ岩井さん同様、私の人生にも事件は起きませんが、平生から浮足立ちます。夜は変わらず眠ります。


 皆さんも健やかにおやすみくださいませ。それではまたいつかの夜にお会いしましょう。

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