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その教育はおかしい!と言える社会を創る。

僕はいま大分県の人口3000人の小さな町で新たな学校づくりをしています。ここのね 自由な学校という名前です。

どんな学校か、一言でいうと「自立」する場。子どもたちは、自身の興味や好奇心など内発的な動機付けが生まれた時に最も効率よく学ぶ、と考えています。内発的な動機付けに伴う行動によって、深い集中問題解決能力自分の人生を自分で切り開いていく人生のデザイン力が養われると考えています。しかしその環境を作るには大人の一方的な押し付けをやめることが必要です。なので困ったことに「学校」と呼ばれるものには普通あるものが、ここのねには一切ありません。テスト、カリキュラム、チャイム、学年、クラス分け、通知表などがわかりやすい例ですね。

では、この学校を作ってどんな未来を創りたいのか?

それは教育が多様になること。

わかりやすい例でいうといまの幼稚園や保育園ですね。森のようちえんやシュタイナー幼稚園、ヨコミネ式とか、英語教育専門とか、とにかく多種多様で行政もその環境をサポートしている状況です。

そういった環境があるから、初めて親も「近くのところがいいかな?それともちょっと特色があるところがいいかな。この子にはどんな幼児期を過ごしてほしいかな?」と考えられるようになります。

しかし、いまの義務教育課程は必ずしもそうではありません。たまたま住んでいる地区の学校に進学し、同じことを同じペース同じように学んでいくわけです。幼児期まではとっても多様化していた環境はいったい何処へやら。義務教育課程になると急に画一化されてしまいます。

結果として、不登校は16万人を超え、子どもの自殺は年間332人と両者とも過去最高となっています。子どもの社会にひずみができていることには間違いありません。しかしそれは子どもの社会だけではありません。社会全体で見ても毎年自殺者は2万人を超えていて、僕の住む隣町の人口とさほど変わらないと思うとゾッとします。

この原因は「選ぶことができない」にあると思います。いいも悪いも、学校選択自体がガチャガチャのような運任せになっていて、いい先生や環境に出会えればいいが、嫌なところに当たってしまった時には簡単に学校を変えることができない。このような環境でその子の人生の9年間が奪われるのは、本当に非情だなと思いますし、この環境を早く壊して新しいものを創りたいなと思います。

なのでその一歩目として、僕たちは新しい学校づくり、いわゆるフリースクールのような民間スクールを立ち上げようとしています。しかし最初に説明したように私たちの学校の姿は、既存の学校の姿とあまりに乖離しており「その学校で本当に大丈夫なの?」という意見をたくさんいただきます。

例えば、下記にあるnoteはあるイベントでいただいた質問への答えをまとめたものです。

たくさんの意見をいただく中で、それはおかしくないか?という意見を持たれる方がたくさんいます(笑)。その意見が出るとついつい反論したくなるのですが、なんどもなんども話を重ねる中で「あっこの人とはそもそも好みが違うんだ」ということがわかりました。だって教育の話をしていますが、カレーが好きかラーメンが好きかの話と何の違いもないからです。

しかしこれが重要です。料理には中華や和食、フレンチやイタリアンなどその人の好みで料理を選ぶことができますし、その良し悪しを議論することができます。しかし和食しか選べないとなったら、議論はできてもその広がりは途端に狭くなってしまいます。

いまの教育界は「和食を食べるの当たり前だよね?」となっていると思います。だから僕たちは「いいや!フレンチも食べれるようにしようよ!」と意見を出していきます。そうすることで「いやイタリアンだろ!いいや和食がいいの!」と気軽に意見を出せる社会になるのかなと思います。

何も意見が起こらない。つまり選択肢が極めて少ないこと、これが一番危険な状況だと思います。だからまずは積極的に「そんな教育おかしい!」と言われにいこうと思います。

もちろんけちょんけちょんに言われるのはなかなか辛いところもありますし、自分の芯なんてこんなに脆いものなのかと嘆きたくなる日もあります。それでも少しでもわかってくれる人に伝わったらいいな、わかってくれる人が見つかったらいいな、と今日もこの文章を書いています。

辺境の土地からより良い教育とは?を一緒に考えていける仲間が増えたら嬉しいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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