見出し画像

評価経済社会って 、ホントにくるの?

『評価経済社会・電子版プラス Kindle版』
 著者:岡田斗司夫 FREEex

貨幣経済社会が終わり評価経済社会へ。
評価経済社会とは。
平たくいうと、フォロワー数や「いいね」の数、あるいはSNSに限らず人からの評価が貨幣を上回る経済価値となる。
んーー、ちょっと乱暴か。

環境破壊につながる近代工業社会から、資源の有限感へとパラダイムシフトしつつある中、インターネットによって人びとの価値観も大きく変化しました。豊かになることが幸福ではなく、大事なのは「今の自分の気持ち」
企業や個人がインターネットで発信した情報には、受け手側が評価を返します。評価の基準は、発信側の価値観や世界観という精神的な満足度です。

今でいうと、クラウドファンディングでの「応援購入」がこれに当たるのでしょう。最近ではもう「応援」というより、単なる通販になってる感がありますが。

こういった評価とは別に個人の経済的、社会的信用度を数値化したシステムもありました。
中国の芝麻(ジーマ)信用が2015年から、すでに始まっています。
個人の学歴や職歴、家族、資産、普段の買い物の中身、交友関係、借金など、それぞれがポイント化され、自分の信用度として表示されます。たとえば、結婚相手をさがすときにも、お互いのポイントを提示し、それも判断材料の一つにされるわけです。
「芝麻」とは信用という小さな胡麻を積み上げるような意味だそうです。

とんでもない管理・監視社会になってしまいます。
誰のため? 何のため? ほんとうに必要なんですか?
そもそも、「評価」って嫌な言葉ですね。
どうも反感を覚えます。この言葉には。
通知票の学校生活が終わったら、給料をもらうための評価査定。こんなものから早く解放されたいと思っていれば、次にくるのは「評価経済社会」。
うんざりだわ。でもいいのかも。

情報溢れる社会で、一つのコトに対して様々な価値観が発生し、コミュニティが形成されます。
自分の中にも複数の価値観ができ、それぞれの価値観に合ったコミュニティに参加し、よって人格も複数できるのです。
著者はこの評価経済社会では、多重人格が現代病になると述べています。
(多重人格って、病気なんですかね?)
多様性は認める、でも人から評価される。きっと矛盾する。

平成元年生まれの作家・朝井リョウさんのインタビュー記事があります。
「自分らしさの多様性が否定される煩わしい世界」

この中で彼の言っていることが、まさに評価経済社会のコミュニティに属している人の状態。
それぞれのコミュニティで人格を使い分けていた、と。
すごいな。

モノやお金、仕事、時間ーーーこれらは昔からあるもので、その価値観は確実に変わってきています。たぶん、いい方向に。
お金がすべてではない、と言われながらもあらゆるものの価値が、金額で表されているのが現代です。会社からの給料は自分に貼られた値札のようなもの。自分でお金を生み出せない以上、仕方ないと諦めるのが今までの貨幣経済社会でした。
インターネットで誰でも情報発信ができ、有益だと思われればそこに価値が発生します。その価値が精神的な充足感になったり、生活の糧にもなるのがこれからの世の中のようです。
インターネットが生活に入ってきて、ほんの四半世紀。
ネットに対する価値観やリテラシーがまだまだ未熟です。
これを乗り越えたら、溢れる情報と便利なツールをうまく使いこなせる時代になるのでしょうか。

むかし、郷ひろみさんがこんな歌を歌っていました。
♪ 処女と少女と娼婦に淑女〜 How many いい顔
 今日はどの顔で誘うのかい〜♪
たしか化粧品のCMソングだったと。
今だったら物議もんでしょ、この歌詞。
ふと思い出してしまいました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?