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ましこの陶器市

先日、栃木県益子町の陶器市に行ってきた。

益子町は民芸品の「益子焼」の里として知られ、これまでも5月と11月の年に2回、陶器市が開かれていきた。しかし新型コロナの影響で中止が続き、陶器市が開かれるのは実に3年ぶりという。

益子は栃木県の南東部にあり、見渡す限り田んぼが広がるのどかな地区だ。5月上旬はちょうど田植えが始まる時期のようで、いたるところで田んぼに水が張っていて、地元の農家の方々が田植えをしている様子が垣間見れた。

出発地点は真岡鐵道益子駅。駅の周辺は臨時の無料駐車場があるためか、朝10時頃にはすでに多くの人がいた。真岡鉄道の電車は1車両で、普段はこんなに人でにぎわうことはないだろう。駅から東に向かって歩いていくと、城内坂通りという道につながる。この坂が陶器市の中心部となる。

城内坂の手前には検温スペースが設けられていて、そこには長蛇の列ができていた。手指消毒と検温が済んだら、検温済みの緑のテープを手首に巻いて、いざ、陶器市へ。

目抜き通りの城内坂には、益子焼のお店のほか、所狭しとテントが並び、作家さんが自分の作品を販売していた。お茶碗や湯飲み茶わん、マグカップ、皿など、食器類のほか、大きな壺や花瓶も多く見かけた。同じような見た目のものが大量に焼かれ、大きなかごの中に無造作に積まれたものもあったが、中には美術品のようにひとつひとつ丁寧に飾られているものもあった。

陶器市とはいえ、焼き物だけではなく、古本とか、アクセサリーとか、布製品を販売するテントが入り混じっていて、歩くだけでも楽しかった。焼き物も益子焼に限らず、日本全国からクリエイターが出店していた。

今回、特にびっくりしたのは、若い作家さんが多かったこと。目抜き通りの坂にもともとある益子焼の店の商品は益子焼だとすぐにわかるのだが、ところどころに設置されている大きな広場の中にテントを張って出店しているのは、一見すると益子焼とはわからない、色鮮やかなものや独特な形をしたものが多かった。

益子焼は厚みがあって、土の素朴な質感と風合いが特徴的だ。この特徴を生み出しているのは、益子の土の性質らしい。だから、益子焼はこれまでも日用品として普及してきた。益子焼はこの地に自然発生的に生まれ、愛されてきた、そんな風に解釈していた。

しかし何かが普及するにはそれなりの理由があるもので、この益子焼には濱田庄司という人物が大いに貢献したようだ。彼は戦前、イギリスにわたって作陶の方法を学び、その後もイギリスで学んだことを益子での創作活動に活かしてきた。また、益子焼をはじめとする日用品に「用の美」を見出し、普及しようという民藝活動を続けてきたこそ、益子焼が広く知れ渡るようになったようだ。実はこの人、日本で初めて人間国宝に認定された大物だった。そんな話を知り、素朴さが売りだと思っていた益子焼の意外な奥の深さに感銘を受けた。

少し残念だが、素朴なイメージの強い益子焼は、公のお茶会の場で茶道具として選ばれることはほぼ皆無だ。茶道具は「用の美」とは異なり、繊細さや季節感、凝った技巧が売りだからだろう。
茶道が日常とあまりにもかけはなれているという問題意識を勝手に感じているので、日用品である益子焼をあえて使い、少なくとも私の身の回りでは茶道をより身近なものにしていきたいと思う所存である。そんな理由をこじつけて、陶器市にて若い作家さんが手掛ける素敵な茶碗を色違いで2個購入した。

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