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自殺決行

とにかく死を全く恐れていなかった私は
どうやったら楽に死ねるのだろう?
と常に考える日々でした。

昔聞いた
「自殺完全マニュアル」
を思い出して検索しました。
特定の酔い止め薬を大量に飲めば死ねると
あり、真に受けた私は早速その薬を
買いに行きました。

でもやはり危ない成分が
入っている薬だからか、
あんまり置いてなかったのです。
次の店に行っても少量でした。

これはちびちび買うしかないと思い、
3軒で集めました。

多いとこだと6箱買えたので
店員に、何人でご使用ですか?
と確認されましたがうまくごまかせて
買えました。

致死量分買えなかったのですが
私は死にたすぎて気にする暇は
ありませんでした。

息子が学校に行ってる間に
袋に全部の錠剤を纏め、
一気にお酒で飲みました。
(お酒が効くと書いてあったので)
そして寝転がりました。

私がやっとでiPhoneのメモに
書いた遺書はこれ


自分が誰かもよくわからなくなりました。
生きていたら迷惑がかかるので薬飲んで
死にます。
どうか看病はしないで放置して下さい。


みずほ銀行はXXXX

○○(息子)を殘してごめんなさい

○○(旦那)は淒く良い人だったのに
私が裏切って最期までひどい事をしました。

どんどんなにもわからなくなって
しまったので
これからもっとわからなくなるくらいなら
死のうと思いました
生きているだけで迷惑のかかる存在、
それが私でした。


気がついたら家に息子が帰って
いました。

私は下半身麻痺の状態になっていて
起きようと思っても、
バタン!
と倒れてしまうのです。
更にはおしっこも漏らしていて。。

家中のものが散乱し、
コップに入ってた牛乳は飛び散り、
元夫の大事なパソコンの上にも
倒れる始末。。

息子は

「ママ、大丈夫?!死なないで!」

と不安げに、私が倒れる先にクッションを
敷いてくれました。

いくらやっても倒れてしまう私に
気丈に振る舞ってた息子は
急に緊張の糸が切れたのか、
ブワッと泣き出しました。
(私は今でも可哀想過ぎて
この光景が焼き付いています)

その時、時刻は夜の8時だったのですが
私は朝の8時と勘違いし、
無理矢理息子にランドセルを背負わせ

「学校に行く時間だから!」

と這いつくばって玄関まで
行きました。

薬の副作用はまだ続き、外に
でても私は1秒も立つ事ができず
コンクリの上にアゴを打ち、
アゴから血を流してもなおフラフラ
し続け。。


そこに1人の男性が通りかかってくれました。

すぐにこの異常な光景に気づき、
警察と救急車を呼んでくれました。

到着した警察と一緒に部屋に連れてかれ、
警察は大量の薬箱の残骸とジプレキサ
(オランザピン)を見て
私を精神病者と特定したのでした。

そしてまずアゴの治療に
近くの病院まで救急車で行きました。
横たわる私の横には息子がいました。。

元夫は帰宅して、荒れた部屋と
私達がいないことで慌てたようでした。

すぐ病院に駆けつけて息子を
連れて帰ってくれました。

そして私はずっと警察署で
待たされました。

警察官の方々は
措置入院出来る病院を一生懸命夜通し
探してくれていたのです。。

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