10円玉

 Iさんはよく散歩をする。この話も、そんなふうに散歩をしている際に起きた出来事らしい。

 Iさんがいつものように散歩をしていると、ふと足元で金属の音が聞こえた。視線を向けると、10円玉があった。ついさっき落とされたように、音を立てながら回転し、地面に倒れた。その10円玉はひどく錆びており、全体的に緑がかっていた。Iさんは辺りを見回したが、誰もいない。不思議に感じながらもラッキーだと思い、それを拾ってポケットに入れた。その時だった。
「右」
 誰もいないのに、声だけが聞こえる。再び辺りを見回すも、やはり誰もいない。怖くなったので、Iさんは急いで自宅に帰る事にした。しかし家に向かう間も、声は聞こえ続けていた。
「左」
 声は執拗に方向を指示している。Iさんはさっき拾った10円玉のせいだと思い、ポケットから取り出して遠くに放り投げた。すると、声は聞こえなくなった。やはり、これが原因だったのか。Iさんは安堵した。しかし、少しして再び声が聞こえ始めた。ポケットの中には、なぜかあの10円玉が入っていた。Iさんは、もうこの声に従って進むしかないと思った。

 Iさんは30分ほど、声に従って歩き続けた。着いたところには小さなお堂があった。お堂の中にはお地蔵様が祀られている。手前には賽銭箱もある。
 きっとここに硬貨を入れればいいんだ。Iさんはそう思った。ポケットから10円玉を取り出し、賽銭箱の中に入れる。すると、ピシッと音がした。
 見ると、お地蔵様の顔が割れていた。
 Iさんは気味が悪くなり、急いで家に帰った。道中、もう声は聞こえなかった。

 そのお地蔵様の顔は既に修復され、綺麗になっているらしい。しかしIさんはそこに行く気にはなれないそうだ。散歩もあれからしていないらしい。

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