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女性作家の読書を通じて感じる精神の非近未来化

中村うさぎ「私という病」
アニー・エルノー「嫉妬/事件」
をつい最近読み終えた。

女性作家が並んでいるのはたまたまだ。また、自分の読書スタイルは複数本同時進行型だ。つまり、寝る前の本、電車に乗る時の本、病院で待つ時の本、しっかりと椅子に腰を落ち着けて読む本などとテーマも長さもマチマチの数冊を同時に進行して読むタイプだ。
だから、たまに同時期に数冊が読み終わることもある。

手に取った本の内容に共通性はない。「嫉妬/事件」は書店で「ノーベル賞受賞」の帯が決めてだった。中村うさぎさんは、「新潮45 シリーズ」の編集長の話をネットで読み、その中で中村さんの話を整形などをやってみる、という話に興味を持ってワザワザ取り寄せて買って読んでみた。

時代、国は異なるが、現代に至るまで続く女性が関わる問題として共通項は相変わらずなのかな、と。
科学の進歩が飛躍的でマスコミ、ネットでワンヤワンヤの大騒ぎをしている昨今であっても女性を取り巻く現状は昔から「飛躍的で革新的な」変化が起きているわけではない。ちょこっとの変化、か。社会でのムーブメントがあり、行きつ戻りつしながらも意識の変化があったのは多少なりとも認めてもいいのではないか。

多少の意識改革ができるようになったのは、やはり良くも悪くもメディア・情報(書物・教育)のせい、おかげだと思う。ある人の考えが伝わる手段として伝達手段の発達は世界を狭めた。
進歩は遅いと女性は感じるかもしれないが、マインドの変化は早々変わるものでは残念ながらないのではないだろうか。
戦争然り、殺人然り。差別然り。太古の昔から人が無くなることを祈り、先人の天才たちが考え、所説を唱えてもいまだになくならない。

とはいえ、中村うさぎさんは、自ら行動を起こし、それを文章にするというかつてない行為で世の男性及び男性脳の女性を驚かせ、女性の現状を知らしめた。中村うさぎさんは、この本を女性のために書いたとしているが、しっかりと男性にも届いており、考えさせられている。それが彼女の意図するところであろうとなかろうと。

「嫉妬/事件」についても同じような部分があり、自身の過去の実際の体験を露わに文章にして示し、それが世に問題性を問うという形となっている。時代が異なるとはいえ、依然として考え方が現代でも現代風についてこれない人も大勢世界に入るだろうからこの本の問う意味は大きい。この手の本が未だに出版し続けるということは、意識改革がされていないということであろう。意識改革が進んでいるであろうフランスでさえ。この手の本の出版が陳腐なものに見えてこそ意識改革が進んだ証拠となった証となるのであろう。
日本にあっては、いつのことになろうか。

国境が軽く超えることが出来、情報が簡単に入手できるようになった現在だからこそ、より難しくなったかもしれない。移民問題による異文化の受け入れと彼らの教育問題。宗教問題。一つの国の問題で済む問題でなくなってしまっている。
価値観を強要をするわけには行けない中で他宗教の絶対神を否定はできない。
しかし、価値観が違っても宗教が違っても人として同じ権利を持ち差別を受けない。そんな当然な社会に生きることができる。それは要求してもいいんじゃない?

ま、そのために彼女たちのような表現活動がボディブローのように、我々読者が購入することでボディブローのように、少しずつでも社会に浸透することが大事なのかなと思います。

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