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社会逸脱者が居場所作りにもがく「ベイビーワルキューレ」を観たが、同様な悩みを抱える人はもっと真剣に見よう。

どうも偏見的な思い込みからか日本映画のアクション系には苦手意識が強く、観るのをためらってしまう。
作られたアクション。
一生懸命さがでるアクション。
練習した感がでるアクション。
それらが透けて見えるとストーリーを一旦逸脱し、そのアクションの白々しさに付き合わないといけない一瞬にタマラナイ居心地の悪さを感じてしまい嫌になるのだ。

女性アクションとなると、これは日本映画に限らないが、女性の無双の強さを持った無敵の人が如何に小さい頃からの英才教育を受けたからと言って、相手の男性もそれなりの格闘教育を受けている多数の人数の連中を一発ずつでノックアウトしていくのは、爽快だがリアリティに欠ける。
アクション映画に何を求めてんだ、って話だが、アクションが限りなくリアリティに近い方が共感も生まれるだろうし、映画全体が引き締まる。

さて、本作に話を戻そう。
二人がどうやってこのように無双の力を得たかの説明はされていないが、「ザ・ファブル」的なものかなと勝手に想像するしかない。
格闘シーンで素晴らしいと思えるのは、金髪の子が体重が軽いなりに不利なところは不利に、でもそれを俊敏さで補い、強い相手ではディフェンスで補いつつ最後は工夫と知恵で勝ち抜くという、何が何でも格闘技で勝つのではなく、そこは生と死をかけたところで変な矜持を張った方が負けるという結末が良かった。(男性は格闘技に自信があり、相手が女性であったから銃器を使用しないと決めていたかのように思える)

この映画のいいところの一つは、無駄な説明をしないところだ。
しかし、してほしい。w
ドッチやネン、って感じ。
殺人遺棄処理が大金払って、挙句河原で遺棄ってどゆこと?

あと、細かい所では、コンビニのサンドイッチが高いというくだり。
そこから世間一般の価値観を知り、世間を知り始めるという流れ。
でもその場所がコスプレ喫茶。
コスプレカフェ? どっちでもええわ。
このアンダーグラウンドの空間で社会不適応者であった人間が、世間の価値観、コミュニケーションを知るというくだりはボクにはリアリティを感じさせてくれ、この映画に愛着を持つに至るシーンとなった。

二人ともタイプは異なるが社会から逸脱した社会不適応者。その二人が暗殺で得た金では生活できるが、一般の生活をしていくためにバイトから始めようとするがことごとく不採用となり、今まで以上に居場所確保に困難さを感じる。現代社会の居場所づくり問題を浮き彫りにしているが、最終的に彼女たちは自ら決断し、我が道を決めるが、そこに至るまで彼女たちなりの努力や積み重ねはあったわけで、そこは映画にはなっていない。

この映画に愛着を感じた人は、映画になっていない努力された部分にこそ目を向けるべきだ。斜に構えて言えば、俳優魂をそこに見るべきだ。
高速パンチを連続10回打つためにどれだけの練習を積んできたかだ。

映画はいいところ、出来上がったところしか見せない。
我々ファンは好きになったら、その過程を想像してみてみよう。

まだⅡは観てないし、どうやらテレビシリーズにもなったそう。
(怪しい雲行き)
願わくば、しっかりと企画を溜めて掘り下げていってほしいところ。
期待します!

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