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人生短いから掃除しよ、と思った話

ある時突如としてカチッと音を立てて入るスイッチがある。私の場合、それは「掃除スイッチ」である。

子供を寝かしつけようかという折、何か憑りつかれたかのように洗面台の鏡を磨きだす。右端から左端へ雑巾を滑らせたら少し下にずらしてまた右端へ…ときっちり四角のつづら折りに降りていき、今度は同じ要領で縦方向に間隙なく拭く。最後にぐるりと鏡の周囲を拭いて完了である。これを真ん中の大きな鏡のほかに、左右に備わる二面の鏡についても同様に行う。
「今このタイミングじゃない」掃除を無言で始めた妻を尻目に、諦観の境地の夫は、これまた無言で子を寝室に連れて行き、寝かしつけの準備にはいっていた。

こうなるともう止まらない。
掃除用のスポンジに泡状のハンドソープを付け、洗面ボウルの中を洗い出す。1日2日洗わなかっただけで洗面ボウルの中は得体のしれない細かいカリカリしたものがくっつきザラついている。ボウル自体が傷つかないように丹念にそれらをこすり落としていく。
水で流すと、先刻までぼんやり膜を張ったようだった洗面ボウルは、つややかに光り輝き、水すらはじくようだった。

次にボウルの外も雑巾で拭いていく。デンタルフロスの入ったアタ籠を持ち上げ下を拭き、ハンドソープのポンプを持ち上げ下を拭く。埃や髪の毛がどこからともなく湧き出てくる。ポンプの下は想像以上にぬるつきがあり黄ばむほどだったので、特別丁寧に拭き上げていく。

洗面所がきれいになると、次は台所である。
スパイス棚の中を検分したところ、2022年が賞味期限のスパイスがゴロゴロでてきた。なお、現在は2024年であり、これらはかつて「はじめてのインド料理 ミラ・メータ著」掲載のレシピを作って夫に振舞うことを覚えた頃の名残である。最近は毎日目まぐるしく、スパイスからカレーを作ろうなんて頭をよぎることもないこの頃なので、心を無にして処分することとする。

袋に内容物をどさどさ出していくと、インド旅の様子が目の前に断片的に想起された。香りと記憶は結びつきやすいという話を思い出す。フィルムやラベルは流水をかけながら外すとするりと剥けた。棚の中も隅まできっちり拭いた。

このように普段やらないような掃除をコマネズミのようにこなす間、頭の片隅では冷静に、予想している自分がいる。
「これはなにか起こるな」

掃除をすると運気が上がる、と言われるが、それは卵が先か鶏が先かの類の話かもしれない。
つまり普段やろうやろうと思いつつなかなか手が回らなかった掃除をこなせるほど、気力体力共に充実したタイミングで、ふとチャンスが舞い込めば、それをみすみす逃すわけがないのである。

事実、この掃除フィーバーのまさに翌日、敬愛するお友達と会う機会があったのだが、お友達の「何か書きたいんだよねnoteは登録した」という話を聞きつけ、なにそれ楽しそう私もやる、というわけで、今ここにいる。
「掃除したい」という内なる欲求は、「いい波来てますさかい、乗れるよう準備しとき~」というサインなのかもしれない。なお、この大阪弁が正しいかどうかは不明である。

自室の中というのは自分の頭の中のようでもある。不用品をどっさり仕分け、ゴミとして家から出すと、頭の中がすっきりして、自分が好きなこと、したいことがより鮮明に浮かび上がってくる気がする。暮らしやすくなるし、家の中の空気も清浄になるし、何やらいい話も舞い込んでくるし、誠に掃除はいいことづくめである。

そういえば先日喫茶店に入ったら、隣の席がおじじ様おばば様方の男女2組4人連れだった。座り位置からして恐らくご夫婦2人組だと思われる。
すぐ目に入る位置には、レースのあしらわれた白い上着を羽織り、サングラスを小粋につけたおばば様が座していた。男性方もパリッとしたポロシャツを身に着け、表参道という地名から想起される人そのものの姿形だった。

そんな表参道の権化・4人組の話は、聞くでもなしに耳に流れ込んでくる。何やら海外旅行の話をしていたかと思えば、往年の女優が上品だったかどうかという話に移ろっていく。

そのうち1人のおじじ様がそれまでと変わらず明るい口調でこう述べた、「いやぁ、もう平均寿命からいったらね、あなたら女でもあと5年。我々男ときたら、もってあと2年ってもんですよ」

衝撃だった。この健康そのもので矍鑠とした、有り余る気力を張りのある声に乗せておしゃべりに興じる、すぐ隣に座る人々が、あと5年も経ったらみるみる老いさらばえこの世に別れをつげるのかと。または2年!このうだるような暑さをあと2回、経験するかしないかで、今生にさようならするのかと。

クルーズ船に乗っている光景が想起されるような方々だったから、今生ではさぞ充実された日々を送られたのだと思う。それでも終わりの時は万人に平等にやってくる。
我々も日常のあれやこれやこなす内に、あっという間におじじ様おばば様の年齢に至るのだろう。それもうまい塩梅にことが進んだらの話で、ひょっとすると明日にもなにかの打ちどころが悪くて天に召す事態になるかもしれない。人の一生はなんと短いものかと、改めてハッとさせられた。

思うに、今の自分に不要なもので埋め尽くされた空間で過ごしたり、本当はしたくないとおもっていることをしたり、会いたくない人に会ったりする余地は、この短い貴重な人生のなかには恐らく寸分も残されていない。

好きなものと心地よさで、この人生を満たしていくんだ、という方針を胸に、今日も私は洗面所の鏡を磨く。




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