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同居1ヶ月半のあれこれ【齢83ばぁちゃん母と還暦間近娘のドタバタ生活 ⑵ 】

また記事が随分と空いてしまいました。

今回は同居を初めて一区切りとなった1ヶ月半のお話です

もうこの1ヶ月半というもの
私は体にムチを打って動き続けました

朝・昼・夕の3度の食事の準備
母の薬の世話
母の着替え
もちろん粗相は続いていましたから
バケツさんとはすっかり仲良しになり
浸け置き洗いの毎日

自分はと言えば
これまた
やっとお洒落が出来る環境になった事が嬉しく
洗顔から始まりスキンケアをまめまめしくして
コンタクトレンズも買ってもらい
買い出しの度にお洒落をして出掛ける楽しさ
そんなことで自分を満たしていました

それでも歪みは如実に現れてきます

同居開始から2~3日
私は以前住んでいた時のトラウマからか
床下からドリルで穴を空けられる音が聞こえたり
女の人の気持ち悪いお色気ムンムンの声で起こされたり(←これはお向いさんのばぁさんの夜中酔っ払って帰ってきた時の声らしい)
兎に角落ち着いて寝ることが出来なくて
思わず母の部屋に布団ごと大移動
その日から同じ部屋で寝起きを共にするようになった

この時の母の言った言葉が今も忘れられない

「そうしてよ、そしたら私も寂しくないもん」

四年もの間「平気、平気」と言いながらも
私が全く帰っていかなかった間
(やっぱり寂しかったんだな)
と、今更ながら思うのであった

それでも現実は過酷を極めていった

夜中寝ていると
トイレに行こうとしている母が
何故か私に向かって突進して上に乗っかってきたり
私のロングの髪を踏んずけて横断したり

目の不自由な上に、寝ぼけて部屋の中を彷徨う母
その度に起こされ
「どうした、どうした」
とトイレに誘導したり
ロングの私の髪の毛の上を行ったり来たりで
「ぎゃぁ〜!!痛いーーーー!!それ髪の毛!!」
と叫んだり
夜中もなんもあったもんじゃない

あれだけ数字に強かった母が
お薬の数を数えられなくなってしまっている
これには流石の私もうろたえた
絶えず母の傍に居て見ていないと
とんでもないことが始まってしまう

この頃1度だけ
「紙パンツ使ってみようか」
と提案したのだが
(ゔぅ〜〜〜)
と今にも声を出しそうな悲しそうな顔をするので
「嫌なの?」と聞くと
こくんと頷く母を見て
(う〜ん、まだ時期尚早だったか)
と悟る私なのであった

この『紙パンツ問題』は時持せずして
「私も履くから、一緒に履こうか!」
と言ったら元気に
「うん!」
と言ったので、母の目が不自由なことを利用して
「あっ、これいいねぇ〜、少しごわつくかな?」
などと言いながら
「そんなことない、私は大丈夫だよ」
と言う母に少しほっとしたのであった

それでも日々の積み重ねで
私の体力も精神も限界を迎えていたようで

母の着替えをしていると足がつって身動きが取れなくなったり
(↑この時は『神様〜どうか私を助けて下さい』と文字通り神頼みしましたよ)
お昼に届くお弁当を受け取る為に鍵を開けないといけないのだが
不眠症の上、夜中の母の迷子とで
明らかに眠れない私を容赦なく起こしてくる母

そんな時だったそんな生活が1ヶ月半も続けば
鬱でなくても心身は崩壊する

昼間は私の霊力を使って自分の体や兄弟の状況を改善するべく、ひぃじいちゃんと繋がり施術してくれとせがむ
ひぃじいちゃんは私の力は使うなと言った、私も使うつもりは無かったのだが、どうしてもひぃじいちゃんの施術に集中してしまい、そこでエネルギーが消耗されていたようだ

限界を超えてしまっていたのだ

夜中また突進してきた母に向かって私は爆発した
「もうなんなの!いい加減にしてよ!!」
「全然寝れんやないの!!」と

何を隠そうこの人の娘になってから、こんな暴言を吐いたのは60年近く生きてきて初めての事であった

「ごめんなさい、ごめんなさい」
「怖いよぉ〜、怖いよぉ〜」
幼子のように怯える母

「もう、陽ちゃんのところに行きたいよぉ〜」
と泣きながら言う
生後40日で天国へ旅だった私の妹のことを言ってくる、いつもなにか事が起こると出るセリフにウンザリして
「泣きたいのはこっちの方やわ!!」
と私も今回ばかりは引き下がらない

不思議なことにこの夜
母は一度も迷うこと無くトイレにいったようであった

甘えていたのはわかっていた
甘えん坊で、寂しがり屋の母に変わって、兄弟の面倒を見てきたのは紛れもなく私だった
夜眠れないと泣きながら私の部屋に来る兄弟を自分の布団に入れ、寝かしつけた。母の所へ行っても鬱陶しがられて追い返されることがわかっているのだ。
何か困ったり嫌なことがあった時も、いつも私の所へやってくる。熱があって学校を休んでも母はパートへ行くため、一人で寝ている兄弟の事が気になり学校から家まで全速力で帰っていた。

それが今度は逆転しただけで、この甘えようだ
どうしても腑に落ちなかったのだと今になって思う

この日を境に
母は私の事を「さん」付けで呼び始めた
話す言葉も全て敬語

そんな生活が1ヶ月続く事となる

30年一緒に住んでいなかったからすっかり忘れていた

この母親の
『凄まじき執念深さ』


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