自己紹介、人生の鬱を識るあなたへ、 ギフにテッドタイム
ご訪問ありがとうございます。加藤広康と申します。現在、文系の大学院に通っているアラサーの院生です。
ブログ(note)のタイトルは、和ぬかさんの楽曲、ギフにテッドからいただきました。アニメ『変人のサラダボウル』の主題歌で、本家の楽曲には、ギフニテッド(天才)対無能という意味が込められています。
この記事では、gifted time(天や周りの人から与えて貰った時間)という意味を強調してタイトルに採用しました。
かつて、天動説、地動説論争がありました。そう、学校で習ったガリレオとコペルニクスで有名なやつです。
人間関係の重心は地球(自分)を中心に回っているのか、それとも宇宙(周りの人々)を中心として回して貰っているのか。はたまた、私たちは孤独な流星やデブリ(宇宙ゴミ)でしょうか。
否、それでも地球は周っている。
このnoteでは、鬱と大切な人間関係の喪失を経て、人生は、周りから与えられた時間=ギフにテッドタイムであると気づき、私が天動説から、デブリ期間を経て、地動説へと転向したキッカケとそこから得た経験について発信し、一緒に考えていければなと考えています。
経歴 公務員志望から、モラトリアム大学院生、そして鬱の乗り越え 目指せ哲学ドクター
中学校からの内部推薦で同志社大学の法学部に入学しました。法学部に入った理由は響きがカッコいいから、行政法を専攻したのは、父が公務員で毎日、定時帰りだったからという理由でした。
何をやってもすぐ投げ出すことから、三日坊主のやすという不名誉なあだ名を拝命しました。
研究を始めたキッカケは、当時好きだった女の子に、勉強を教えてあげた際に、褒められたからという絵にも描けない「the俗物」です。
大学時代から現在まで10年ほど年間、300~400冊程度、様々なジャンルの本を読んできてきました。noteではこの間から現在の(継続力を身につけた)私に起こった変化も発信したいです。
しかし、そんな脱三日坊主化した私(ライザップのテーマ)、コロナ期間には、研究を7時間やった後に、囲碁の勉強を5時間やり、休憩時間に筋トレをするという人間研究マシーン化していた私に人間関係の大きな試練が訪れました。
この、第3の変革期が現在です。
関心、発信したいこと
コロナ後に、人間関係のもつれが発端の鬱になり、心療内科で薬を5種類出されるという経験をしました。10年間、時間がある限り、朝から晩まで、呼吸をするように読んでいた研究書が1ページも読めなくなりました。
当時は、動悸や身体の振戦で、電車に乗ったり、外出して美容院で髪を切ることさえ困難になりました。人も離れました。
そのとき、星はすべて消えました。
自己紹介で語れる経験ではないので、noteの記事の中で、掘り下げていければと思います。
前述したように、年300冊以上の本を読んできた経験と、深く考えることが得意なので、印象に残った本の内容とも絡めつつ、私が「消失」、「沈潜」期を経て、自称ギフにテッドから、ギフにテッドタイムへと信念転換したプロセスや経験をお伝えできればと思います。
昔付き合っていた彼女が「来る者拒まず、去る者追わず」という言葉を座右の銘としてSNSに書いており、恋愛体質で常に恋人や好きな相手がいることをモチベーションに生きてきた自分は率直に、羨ましく感じていました。
「鬱」は心の癌と呼ばれます。その治療や過程の苦しさ、虚無や絶望のみを切り取れば、癌といって本当に、差し支えないと思います。
親しかった友達が離れていったり、助けられたり、人生で初めての親友や恋人との絶縁も経験しました。恋愛はもちろん、人間関係や日常の生活に対する考え方が180度転換するような経験をしました。
現在は、研究も再開し、元々好きだった歌の上達を目的に、アカペラサークルに入り、薦めてもらったインスタグラムを開設したり、週に1回程度のイベントスタッフのアルバイトを始めたりと充実した時間を過ごせています。
こうした経緯には、人生の時間に対する意識の変化がありました。これらは以前なら、研究に役立たない(歌)、時給1000円程度=タイパが悪いと研究の為、切り捨ててきた経験ですが、鬱により、自分の中心にある時間への向き合い方も大きく変化しました。そうした記事も発信していきたいです。
同じように、恋人や家族、友人との適切な距離感や時間の有意義な過ごし方、人生への向き合い方に悩んでいる人、一緒に考えていきましょう。
まだ何ものにもなれていない私からあなたへ
文系大学院は片道切符、入院と揶揄される人材の墓場と言われています。私は、その世界に入院する重度の熱病に侵された患者です。
院進する目的は様々ですが、私にとって、研究は血や酸素のようなものです。夢を追い続ける芸人さんやミュージシャンを想像してください。
周囲には道化を演じていますが、両親からの就職や結婚への圧力、就職し、家庭をもつ同級生との距離感、夢を諦めて、大学を去っていく同志たちへの想い、「社会」の外の塀の中、特有の様々な葛藤があります。
少し前に、「鈍感力」という言葉が流行りました。大学院という場所では、塀の外に世界があることを知りつつ、棺桶に片足をツッコんでいることを自覚することが求められます。
足を棺に繋がれている自分を半目で見つつ、ただ、やるべき研究を継続することが求められる場所です。
イチロー選手の名言に、
「小さいことを積み重ねるのがとんでもないところへ行くただ一つの道だと思っています。」
という言葉があります。
常に、挑戦し続ける人生が最も、幸せな人生かは私には分かりません。ただ本当に、難しいのは、人生では、足場を叩くことで、自分が進むべき先の途の形が、瞬間、瞬間に変化することです。
その恐怖から、就職や恋愛など人生の岐路での諦めという感情や選択が生まれるのではないでしょうか。最近、Z世代を中心に使われる「コスパ」や「タイパ」という言葉があります。
一度、パフォーマンスが0ベースになった自分からすると、ものすごく違和感のある言葉です。定規に見合った対価という基準が壊れて、人生が崩落し、歩き方を失ったからこそ、初めて、目を向けることが出来た世界があります。
「負けヒロインを覗く時、負けヒロインもまたあなたを覗いているのだ」
(『負けヒロインが多すぎる』アニメ4話より)
このnoteをキッカケに、人生や人間関係に悩んでいる皆さんと、悩みを共有しつつ、一緒に小さいことを積み重ねて進んでいければと考えています。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?