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猫(後編)

拾った猫が腎不全で亡くなるまでのエッセイです。

 平成が飛ぶように過ぎ、令和になった。猫は十二歳(人間でいうところの六十四歳くらい)になった。私は年をとり、カナヘビを捕るのが学校一上手だった息子は大学生になった。
 猫は十歳を過ぎるとあまり遊ばなくなり、ひとところに寝ていることが多くなった。年とったなあと思っていた。時々吐くことがあったが、それも年のせいだと思っていた。
 しかしそれにしても、よく吐くようになった。吐く以外は全く普通だったので、よく吐くなあと思っていたくらいだった。
 五月。ゴールデンウイークの直前、猫は一日中吐きまくり、ぐったりして動かなくなってしまった。

「腎不全の思いやつです」と医者が言った。
 他にも悪いところがたくさんあると言った。手遅れかもしれない。治療法はない。よくはならない。嫌な言葉が耳にぎゅうぎゅうと押し込まれる。
「もう死んでしまうということですか」
 私が聞いた。涙が出てしまって、うまく聞けなかった。
「やれるだけやってみましょう。傷ついた腎臓は元には戻らないのです。正常な部分がどれぐらい残っているか」
 医者は、だめかもしれないというようなことを何度も言った。血液検査の結果がかなり悪かったらしい。点滴に通ってもらっていい。いつでも対応しましょうと言ってくれた。

 猫が死ぬ。
 それはだめ。
 お願い、それはだめなの。
 ただ涙があふれるばかり。

 翌日、猫はまた大量に吐いた。何も食べない。もうだめだと思う。
 点滴をしてもらいに、また病院へ行く。
 入院の話が出た。栄養をとれるように何時間かおきに食べさせるとのこと。点滴や、鼻からチューブで栄養を入れる話も出た。少しでも元気になるかもしれない。
 猫はその日そのまま入院した。
 何日入院になるか分からなかったが、顔を見に来てもいいとのことで、翌日また病院に行く。
 猫はエリザベスカラーをして、小さなゲージの隅の方で小さくなっていた。病院が大嫌いな猫だった。知らないところへ閉じ込められて、嫌なことばかりされたのだ。
 もう連れて帰りたいと思う。
 医者は言った。
「どうもだめですね。全部吐いてしまいます。治療は見込めないようです」
 家へ帰って死を待つだけでもいい。連れて帰る。
 とにかく連れて帰る。
 私は猫を受け取ると、「さあ帰ろう!」と大きな声で言った。
 その夜、猫は大量に吐いた。
 あと何日生きるのか。
 どうか一日でも長く。
 少しでも長く。

 一日、二日、猫は家で過ごすうちにだんだんいい顔になって、よたよた歩きまわるようになった。心なしか元気。自分で水道から水を飲んだ。ご飯は注射器の先を切ったもので口に入れてやった。
 そんなふうに少しだけ日は過ぎた。
猫は家の中を歩き回るし、口から流動食を流し込んでやれば食べるし、水も飲む。いい顔をしている。
このまま元気になるのではないかと思ったとたん、確か四日目の夜中、猫は布団の上に大量に吐いた。
 やっぱりだめなんだ。元気になんかならない。
 がっかりして、心がからだから落ちていく感じがした。
 猫は軽くなった。上から見るとあばら骨が浮き出ている。
 その後も、無理やり食べさせる、何日がして吐くを繰り返した。もうからだが食べ物の消化機能をなくしているのかもしれないと思ったりした。食べようとしないのは、そのせいかと。でも食べさせなければ餓死してしまう。死んでしまうのが怖くてしかたない。ご飯を口に入れて、生きられるだけ生きてほしい。飼い主のエゴだろうか。猫を苦しめているだけだろうか。自問が続いていた。

 五月の終わりごろだった。ふと思い立って、「猫のかつおぶし」というのを買ってみた。かつおぶしを好きだったのを思い出したのだ。食卓に並ぶおかずにかつおぶしがふってあると、よくつまみ食いをして叱られていた。
「猫のかつおぶし」という商品が神に見えた。そして猫はそれを食べた。
 何週間か、自分からは全く何も食べようとしなかった猫が食べたのだ。私は、「おおー! 食べてる」と言って、家族に言いに回ったぐらいだ。
 それ以来、猫はいつも食べていたカリカリ(キャットフード)を少しだけだが自分から食べるようになった。
 私は、猫が昔のようにカリカリとご飯を食べるのを胸躍る気持ちでずっと見ていた。猫はご飯入れに顔をうずめるようにして、カリカリと食べていた。
 人生にはたまに幸せな瞬間があるが、あの時はまさにそれだったと思う。
 が、しかし何日かして、猫は食べたものをすべて吐いてしまった。そして机の奥の方に入り込んで出てこなくなった。
 そういう時は必ず、もうだめかもと思う。やっぱりだめなんだ。死んでしまうんだ。
 しかし次の日はまた出てきて、カリカリを食べるのだ。
 その繰り返しだ。
 元気な様子でお気に入りの場所をあちこち移動して過ごす。カリカリを食べる。私は喜ぶ。何日か後に吐く。机の下に入り込んで出てこなくなり、もうだめかと思う。
 繰り返し。繰り返し。
 そうして時は過ぎ、六月になった。
 生きられないでしょうと言われ、一か月が過ぎた。
まだ生きている。

六月中頃、猫は下痢をするようになった。しょっちゅうくさい下痢をする。廊下に。たれ流しだ。
夫は、くさいなあと嫌がった。吐いたと言えば手伝って、下痢をしたといえば手伝ってと二人で後始末をしていたせいか、多少うんざりしていたのかもしれない。夫は私が猫に注射器でごはんをやっていると、「ごくろうさんだね」と嫌味を言うようになった。もう生きられないと言われたのに、無理やりそんなことをという言い方だ。がりがりに痩せた猫を見て、もう解放してやればという言い方だ。
猫が死んでしまうのが恐いのだ。恐くて仕方がないのだ。
翌日も猫は下痢便をした。廊下のあちこちが便で汚れた。
くさい。

悪夢を見た。イヤホンをつけて歩いていたら、おじいさんにイヤホンをつかまれてついてこられる夢だ。大きな声を出さなきゃと思ったが、なかなか声が出ない。それでも思い切り、「あー!」と叫んだ。その声が部屋中に響き、目が覚めた。
夫が横で、「夢みてたね」と言った。
心がしんどいと悪夢を見る。
猫の体調は、明らかに悪化していた。 
その日は大量のうんちを廊下や居間にしたのだった。そして吐いた。だめかもしれないと、もう何十回目かそう思った。猫は骨ばかりになってしまった。抱っこすると軽い。綿のようだ。
骨格にさわれる。
ずっと玄関の靴箱の下にいるようになった。一日中隠れるように、その暗い所にいる。

  *
夏が過ぎた。
 猫は夏を越せないと思っていた。だが生きた。猫はまだ生きている。
 息子が昼ごはんに三百円もする刺身を買ってきて、パックご飯と刺身を食べていた。三百円もするおかずをとあきれたが、どうも猫にあげる用に買って残りを自分が食べていたようだ。もう自分からは何も食べなくなっていた猫が刺身をぱくぱくと食べていた。
 猫の最後の晩餐に、息子からとってもいいものをもらえた。よかった。
 
 残暑が厳しい九月だった。刺身はその後もひんぱんに食卓にのぼり、猫の残りを家族が食べるという図式になっていた。
 猫はますます弱ってきて、足元もおぼつかない様子である。せっかくの刺身も、噛むのだが飲みこまずに食べ散らしていた。もう胃が受け付けないのかもしれない。
体をなめる元気もない。注射器で口に入れていたキャットフードが口の周りや体についてカピカピになっている。お尻にはうんちをつけたまま。
その日は注射器を口に持っていっても、ガンとして口を開かなかった。

  *
明け方、猫が布団の上でおしっこをしたので、夫と片づけていた。
 猫は立ち上がって、そしてそのままバタンと横倒しになった。横になったまま立ち上がれないでいる。ふらふら立つと、またバタンと倒れてしまう。
 だめかも。今度こそだめかも。
 たぶん夫もそう思った。
 おしっこの片づけをすると、私はビニールシートにバスタオル二枚を敷いて居間に猫を連れていった。猫は寝たままでいる。目は開いている。こんなときでもかわいい顔をしている。
 猫はおじいさんになっても、目が大きくてとてもかわいい顔をしていた。
「かわいいなあ」
 ひとりごとを言っていた。もう死ぬのに、かわいいなあ。
 その時、猫が激しくけいれんした。
 カシッカシッと大きな声を出して目をむき、手足をばたつかせている。
 けいれんは一分以上続いた。
 死んでいく、と思った。
 静かになった。
 
 しかし猫はまだ息をしていた。目も動くし顔も動く。呼吸しているのが分かる。痩せているからお腹が上下するのだ。
 朝食の準備のため、私は猫を台所に連れていった。そこで猫は寝ている。
 黄色い液体がたくさん出た。おしっこだ。猫はおしっこの後、両手でかくような仕草をした。砂をかけているつもりだろうか。
 サラダのハムを少しあげてみた。いつも盗み食いをして叱られていた大好きなハム。猫はちょっとだけ反応する。でも食べず。
 台所にサラダを置いておくと、いつもハムをつまみ食いしては怒られていた。もう猫に警戒することなく台所のドアを開けておける。家じゅうどこのドアを開けておいてもいい。それがこんなに悲しいなんて。
 九時ごろ、ひととおり家事を終わり、また居間に猫を連れていき、横で休憩する。
 息子が来た。
「冷たい」と言っている。猫の足が冷たくなっていた。 
 だんだんからだが固まっていく。手が伸び切って曲がらない。ベロを出す。口に入れても出す。ハムの小さい破片が出てきた。ベロは口の横に長く出た。
 息が荒くなった。
 コッコッという音が口からしている。そしてそのまま口を開けて固まってしまったようだった。最後にからだが反り返った。ぐーんとそる。
 呼吸が止まったようだった。
 今度こそ本当に死んでしまった。
 体が冷たい。死後硬直が始まった。
 
 その日私は一日中猫の隣にいた。息をしていようが息をしていなかろうが隣にいてくれたら寂しくないような気がしていた。
 足は伸びたまま固まっているけれど、硬直できつい顔になっているけれど、大きい目は開いていて、かわいい。
 
 翌日、八事霊園のペット火葬場に猫を持っていった。
 もう一生ミューとは会えない。

                           

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