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田舎から都会へ引っ越して残念だったこと~タントラマンへの道(第30話)

カルチャーショック

引っ越しは小学4年の夏休み中に実施された。
新しい家は父の会社の社宅だったのだが、これまでの社宅は鉄筋コンクリート造りのアパートだったのに対し、今度のものは木造平屋であった。
しかも、相当古いようで、なんとトイレは汲み取り式だった。
まぁ、田舎の小学校のトイレも汲み取り式だったのだが、小学生男子あるあるだと思うが、大便を学校でするのは絶対に避けたかったので汲み取り式便所は使ったことがなかった。
なので、毎日使う家のトイレが汲み取り式というのはなかなかのショックだった。
まさか、田舎から都会に引っ越したのに、トイレに関しては後退してしまうとは!
というわけで、これがカルチャーショック第一弾。

第2弾は、転校生として臨んだ2学期の初日のことだった。
朝礼が行われたのだが、既存の生徒とは別に転校生だけが並ばされる列があったのだが、その数の多いこと!
あまり正確には覚えていないのだが、軽く何十人かはいたと思う。
自分が所属することになったクラスにも、自分を含めて3人が転校生として加わった。学校の規模はほぼ2倍なので、とにかく人数の多さに圧倒された。
神戸という土地柄のせいなのか、外人の子(ナマの外人を見るのは初めてだった!)もいた。

第3弾は関西弁。それまで使っていた北関東の方言とはイントネーションも語尾の変化も全然違っていた。
ただ、言葉に関してはそれほど苦労した記憶は無く、すぐに関西弁を使えるようになったのは子供ならではの言語習得能力がまだかろうじて残っていたおかげなのだろう。

第4弾は、子供の様子の違い。
例えば、友達はすぐに出来たのだが、放課後に一緒に遊んでいたとしても、
「塾に行く時間だから」等と言う子が多かった。
それに、みんな腕時計をしていた。
田舎の小学校では、まさに、『夕焼け小焼け』の歌そのままのごとく、
みんな日が暮れるまで遊んでいた。誰も時計など持っておらず太陽が時計代わりだった。
塾は、あったとしても「そろばん」くらい。それも、先生が近所ののお寺にやってきて教えてくれるようなスタイルだったし、通っている子はそれほど多くなかった。

眼鏡をかけている生徒がかなりたくさんいるのにも驚いた。
田舎の学校では、全校生徒600人以上はいたと思われるが、ぞの中で眼鏡をかけているのは生まれつき視力が弱いらしい女の子たったの一人だけだったのだ。

とまぁ、こんな感じで多岐にわたってカルチャーショックを受けたのだが、
最も馴染めなかったのは、女の子が可愛くないということだった。
今か思えば、Kちゃんのことが忘れられないでいたのも大きな原因だと思われるのだが、都会の女の子はどうもませすぎているというか、どこかしら冷たい印象を受けたのだった。

まぁ、それにも次第に慣れて行ったのだが、好きで好きでどうしようも無いと感じる子は卒業まで現れることは無かったのだった。

(つづく)


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