おんなじにならない

 この話とこの話の続き。

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「下川って、6年の竹本と付き合ってんの」
 朝から腹が立って、腹が立ったのを4時間目まで引きずり回して、給食の麻婆茄子で冷静沈着を取り戻した瞬間に、正面の鶴美がゴミ箱に洟かんだ後のティッシュでも放り投げるみたいな投げやり感で呟いた。だいたい、あたしのほうを見てもない。
「竹本って、リョウのこと? あー、3回ぐらい生まれ変わって、前世の記憶が完全に消えたら、そういうこともあんのかも」
「もう別人じゃん、それ」
「正しい突っ込み」
「この前の土曜日もさ、下川ん家の肉屋のコロッケ食ってる竹本、目撃したんだけど。10回目ぐらい。二丁目の買い食い王だろ、ほぼ」
「そのあとに鶴美も母君と買いに来たと記憶してる」
「そう、並んで待ってた。そしたら4人ぐらい前が竹本で、買ったそばからがりがり食ってた。その顔が、幸せそのものだったわけ。サービスで三段積みのアイス出されたときみたいな」
「それは鶴美が食いたいだけのヤツ」
「ウエハースとポッキー載ってるパフェでもいい。でもさー、いつものコロッケ1枚でそんな嬉しそうな顔しないだろって思ってさ、私もお母さんも」
「母君を噂話に混ぜてんのか」
「だから、売り子の下川に会えて嬉しいんじゃないかって。たまに話してんじゃん、学校でも。なんか、ほら、そこらへんの道端とかでも」
「まあ、目が合ったら挨拶はする。人間の礼儀として。それだけは、死んだばあさんから学んだ」
「竹本って、あれでしょ。あんまり学校来ない感じの。でも、6年になってから、割と来てるって。下川と関係あんじゃないのって、噂」
「鶴美と母君だけの」
「だけじゃねーよ、ほかにも言ってる女子いるから。気になんなら、はっきりさせといたほうがいいよってアドバイス」
「あー。鶴美親切じゃん」
「微妙なタレントの名前みたいな呼び方すんな」
「麻婆茄子、うまい」
「そう? からいよ、ちょっと」

 鶴美に言われて、なるほどなーって思ったから、さっさと白黒つけることにした。
 昼休み、6年2組の教室に、失礼いたすって踏み込んだら、竹本リョウが寝てた。廊下側、一番後ろの席。ほかにも何人か、ぼーっとしたり話したりしてる人がいる。あたしのほうを、気にしたり気にしなかったり。
 リョウのそばに近づいて、おっす、って声かけた。
「あのさー、リョウ」
「…、あ。ん、誰」
「5年1組13番、下川ラン」
「そこまで聞いてないし…。あ、下川。なんか用」
「うん。リョウってさ、あたしのこと好きなん?」
 沈黙。教室中が静かになった。みんな、こっちを見てる、たぶん。
 リョウは、本気で寝起きらしくて、まだ半分目が閉じてる。「…、なんて?」
「だから、リョウはあたしが好きなんすか」
「…、え、なに、なんの話?」
「あたしが好きだからコロッケ買いに来んのか? って聞いてんの」
「なにそれ…、え、いや、なんてゆーか。うーん、…。俺が下川を好きかって話? あと2回ぐらい生まれ変わったら、そういうこともあるかも」
「惜しい。あたしは3回」
「なにがだよ」
「違う人間になったらお互い気が変わるかもなって話」
「それもう別人同士だろ」
「正しい突っ込み」
「なにこれ、漫才の練習? ほんとわけわかんないよ、下川って」
「いや、あたしはすっきりしたからオーケー。そんじゃ」
 用は済んだから回れ右したら、あ、待って待ってってリョウに呼び止められた。「コロッケがどうとか言ってたよな」
「ああ、そっちの解決忘れてた」
「適当すぎじゃね? コロッケは下川が…。なんて言うの、下川ん家のコロッケがうまいのは、マジな話で。で、それを下川が売ってるから面白いわけで。だから、まあ、セットみたいな感じかも」
「リョウのウケ狙いでコロッケ売ってるわけじゃねーぞ、コラ」
「知ってるよ、お母さんの代わりにやってんだろ、すごいよおまえは」
「ぴぴー。おまえ呼ばわり1回目でイエローカード。2回目で累積警告退場」
「何年そのネタ続けてんだよ、年々カードの基準下がってるし。…、じゃなくて、おまえ呼びはすいません。でもさ、下川がエプロンと三角巾でお店に立ってる絵面がさ、強いんだよ。インパクトあんの。まあ…、それ含めて好きっちゃ好きだよ。コロッケ&下川が」
「セット販売してねーから。でも、またのご来店お待ちしてます」
 リョウにぺこりと頭を下げて、今度こそあたしは6年の教室を出た。お客様は神様だ、大事にしないといけない。マナーと礼節を守る限り。
 5年の教室に戻ったら、鶴美があからさまな暇つぶしに自由帳に落書きしてた。ぼさぼさ頭のメガネが空を飛んでる。その遥か下に、ぼーっと突っ立ってる男子がいる。誰と誰を描いてんだ。
「竹本、どうだった?」
 全部分かってたみたいな顔してる鶴美は、頬杖ついて、心底どうでもよさそう。
「リョウは、コロッケとあたしのセット販売がいいんだって」
「うわ、気持ち悪」
 そう呟いて、描いたばかりの落書きを、びりびりにはがして破いた。

「はい、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、こちら数えて46年、中町の酸いも甘いも噛み締めて、眺めてきたのは約半世紀、時代を流して流されて、揚げてきたのは自慢のコロッケ、いもにかぼちゃに挽き肉詰めて、今日も誰かの胃袋に収まる、肉の下川の始まりだー」
 あたしは親父のほうのばあさんを好きでもなんでもなかったけど、お母さんが嫌でも真似できなかった口上を自然と覚えた。
 あたしの記憶装置が起動する前にじいさんがいなくなって、親父がなんの相談もなく肉屋を継いで、それからばあさんもいなくなって、お母さんがだんだん動けなくなった。
 親父という名のおっさんは、お母さんのことを省みない、ろくでもない人間だ。世界で一番軽蔑しとかなきゃいけない男だ。でも、そういうおっさんのつくったコロッケを売らなきゃ生きてけないなら、あたしはバカになろうがバカに見えようがコロッケを売る。それはお母さんのためだ。
「ちわーす、かぼちゃ3個でいいすか」
 毎週土曜日にこんなことしてたら、普通に客の顔とオーダーが頭に入ってくるから、注文が決まったら後ろで作業してる親父に振り向かないで伝える。親父は注文を復唱して最後に「どーも」って添えながら、紙袋かパックに商品を詰める。その間にあたしはメモ帳に正の字で売れた数を書き足して、客から代金を受け取っておつりを渡す。親父から商品が届くまでの間に、次の客のオーダーもとっとく。客入りが一番多い土曜日の昼は、そういう分担になった。
「あーいどうもー、次の方どうぞー」
「コンビニのレジかよ」
 並んでもない列の向こう側で、自転車にまたがったリョウが見えた。なんだ、客じゃねーのかよ。
「客じゃねーのかよ、冷やかしか」
「本音がだだ洩れしてんだろ。これから並ぶって。自転車邪魔だし」
「いらっしゃいませー、さくふわ2個でいいすかー」
「人の話聞けよ…、いいけど…」
 ぶつぶつ言ってるリョウの姿が見えなくなって、あたしはまた店回しに戻って、列が短くなってきたところで正面見たら、リョウが立ってた。
「あ、まだいた」
「並ぶって言ったじゃん。やっぱ話聞いてないよな、下川…」
「同じこと繰り返すのは意味ないと思ってるだけ。時間は有限。人生は無限」
「うまいこと言ってごまかすなよ。じゃあ、いつもので宜しく」
「自分がいつも何注文してるか憶えられてると思ってんのか」
「お得意様って捉えてくれてんじゃないの?」
「どてかぼちゃコロッケ1つで宜しいですかー」
「そんな名前だったっけ…」
「ただ今、牛肉とじゃがいものさくふわコロッケもお勧めしてまーす」
「じゃあ、どでかぼちゃとさくふわ1個ずつで」
「あざーす」
 後ろの親父にオーダー通して、渡された500円玉をおつりに替えてリョウに返す。
「今日は、家に持って帰って食べるから、パックで」
「もう紙に包んだから、このまま持ってけ。熱いんでお気をつけて。ありがとございましたー、また会う日まで」
「タメ口と敬語混ざりすぎてんだろ。接客が雑」
「接客料はウチの定価に含まれてない。次の方どうぞー」
 まだ列は続いてるし、リョウだけ相手してる暇はないんで、適当に送り出す。
「下川」
「なんだ、あたしは忙しい」
「知ってる。また来週な」
「おう。どっかで」
「どっか?」
「此所か学校か商店街のどっかで」
「そうだよな…、またどっかで」
「次の方どうぞー」
「切り上げんのが早いって」
 ほんとにリョウだけ相手してる暇とかないから、さっさと退場させとく。手を振ったリョウが自転車をどうしたのかとか、歩いて帰るのかとか、そんなことなんにも知らなくて、知っててもあたしの人生には変わりがないし、おんなじである必要性なんて感じなかった。どっかで生きてて、どっかでまた会うっていう、それが今なんだって思ってた。

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