Note 45: いいことを言ってる人が、いいことを言ってるとは限らない

初めてnoteになってから世相を斬る。

偶然、「持続可能性を考えるブログ」というサイトを見た。
持続可能性は大切なことで、市民がそれを考えるのはいいことだから、記事を見てみたら、「シャッター商店街を救うイベントをする」みたいな話が載っていた。
ううーん、どうなんだろ。
シャッター商店街に代表される、いわゆる危機を迎えている個人商店、パパママストアというのは、存続した方が地球環境に対する負荷は少ないのだろうか?
逆に、大商店、ショッピング・モールは環境破壊なんだろうか。

無洗米というのがある。
お米を買ってきて、袋から出すと、研がずにすぐ使える。
あれは便利だ。
出たとき感動した。
エンドユーザーがご飯を炊くとき研がずに済んでラクだねって言う他に、環境にもいいらしい。
各家庭が生活排水で米ぬかを下水に流すよりも、米を洗うなら米を洗う、と決めた大工場でやった方が、確実に米ぬかを処理できるし、リサイクルできると言う。

ところが、この話にも、中小のお米屋さんからの反論がある。
このように、環境の話は難しい。
定量的な議論をして、大掛かりな測定をしなければ決着がつかないが、その上に「研ぎだてのお米から立ちのぼる香りが家庭から失われるのは寂しい気がします」「洗米工場は大資本しか持てない、中小の問屋や小売屋を締め出してもいいんでしょうか」みたいな話が乗っかる。
そっちはそっちで気持ちは分かるけど、環境とはあまり関係ないんじゃないだろうか。

大橋巨泉が昔テレビで言っていた(と思う)んだけど、日本の小売店というのは環境破壊だ、と言う。
間に問屋という本来不要な(?ぼくは良く知らないけど?)システムを挟んで、小型トラックでちまちま輸送する。
コストも高くつくし、道路は渋滞するし、狭い道にトラックが入ってきたら危ない。
ドンとスーパーにまとめたほうが、社会のシステムを最適化できるからダンドリがいい、と言う。
一理ある。

地球環境を守って行きましょう、大量生産/大量消費/大量投棄の経済はやめましょう、少ない富で心の豊かさを大事に生きましょう、というのは正論だ。
そして「いい話」である。
そして、大きなスーパーが、おじいちゃんおばあちゃんが細々と続けてきたお店を潰している、便利なばっかり、安いばっかりでいいんですか、というのも「いい話」だ。
問題は2つの「いい話」が対立しているということだ、

今年はスウェーデンの少女、グレタ・トゥーンベリさんが注目された。

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地球温暖化を食い止めるために、二酸化炭素排出量の少ない暮らしを訴えて、学校ストライキを行い、SNSで話題を呼んで、最終的には国連で演説した。
環境負荷が大きな飛行機を使わないために、ヨーロッパを横断するのに鉄道を使い、アメリカに渡るために船に載った。
彼女の影響で、飛行機に乗らないで鉄道を使う人がすごく増えているそうだ。

地球温暖化は喫緊の課題であり、人類の二酸化炭素が有罪であることはもう議論が終わっている。
そして悪影響はもう出始めているのだ。
ぼくは彼女を支持する。

オトナの中には口汚く彼女を批判したり、しまいには彼女を模した人形を吊ったりする人もいるという。
どうかしている。

しかし、一方で、「地球温暖化」というと、日本では確実に原発推進派に利用される、とも心配になる。
実際、東北大震災以前は、原子力は温暖化に対抗する有効な手段であると喧伝された。
小学生が原発を推進する標語を作ったり、ポスターを描いたりしていたのである。
福島県双葉町の大沼雄二さんの話が有名だ。
大沼さんは小学校六年生のときに、標語を作るように宿題が出た。
「原発は明るい未来のエネルギー」と書いて提出したら、採用され、商店街の入口を飾る看板になった。
それが、あんな事故になって、福島が取材されるたびに看板が大写しになった。

大沼さんは、最初は撤去して欲しいと思っていたそうだが、そのうちそれを逆転して訴えに使うことを考えた。
防護服を来て、看板の一部の前に紙を掲げて「脱原発明るい未来のエネルギー」などと改変した標語になるようにし、それを奥さんが写真に取ったものを、ネットで発信した。

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後に大沼さんは歴史の記憶に留めるために看板を残すことを求めたが、双葉町は「老朽して危険だから」と撤去してしまった。
でも、大沼さんの、言い方は悪いけど面白い話が広まったので、小学生に標語を書かせて原発を推進していた教育のあり方を考える機会があって良かった。

トゥーンベリさんを支持する人で、科学を研究している人は「脱炭素社会と脱原発社会は矛盾しない」と言う。
そのとおりだと思う。
産業を抑制すればいいのだ。
いや、産業のあり方を変えればいいのである。

日本人は東北大震災のとき、凄まじい「節電力」を発揮した。
夕方18時から19時まで電気を使わない、草の根の「ヤシマ作戦」というのもあった。
それがどこまで奏効したか分からないが、予定された計画停電の多くはは結局しないで済んだ。
しなくて良かった。
電気がないと死んでしまう、人工呼吸器を付けた病人や、手術を受けている病人もいるからだ。

日本は科学先進国の中では石炭火力発電を新設していることで悪名を轟かせている。
恥ずべきことだ。
産業が環境に負荷を書けるのは、科学が悪いのではなく、科学の足りなさが悪いのである。
日本は新エネルギー成金、廃炉技術成金、節電成金になればいいと思う。
日本人は科学力で原発なしで産業を振興することに成功した。
そういう名前を轟かせればいい。
自然を保護することは産業を振興することと矛盾しない。
自然保護で儲ければいいのである。

むかしテレビで映画を見ていると、母が途中で混乱して、キャラクターの1人を指差しては、「この人イイモノ? ワルモノ?」と聞いてきた。
子供の頃はいちいち教えていたが、小学3年生ぐらいになって「お母さん、世の中にイイモノもワルモノもいないんだよ」と言った。
「そういう話じゃないのよ!」と母は言っていたけど、果たしてこちらの真意が伝わっていたんだろうか。

意見は対立する。
そのとき、我々は「いい話」を求め、この人はイイモノ、この人はワルモノに分別しがちである。
でも、本当に大切なのは世の中を良くすることで、ワルモノをやっつけることじゃない。
そして、世の中を良くしようと思うなら、対立する意見を注意深く吟味し、定量的な議論を地道に積み重ねるしかないのである。

(この項終わり)


会社員兼業ライターの深沢千尋です。いろいろ綴っていきますのでよろしくです。FaceBook、Twitterもやってますのでからんでください。 https://www.amazon.co.jp/l/B005CI82FA