フラのクラス:インベーダーゲームから最新三次元ゲームへ
前に子供たちに混じってフラを学んでいるという記事を書いた。
子どもたちのかわいさとクラスのゆるさのお陰で、初心者でも割と気楽にクラスを続けることができていた。ただあまりにゆるくて、2月から習い始めた曲が5月になっても終わらず、多少物足りなさも感じていた。
そんなある日、クラスの終わりに先生に声をかけられた。
「リリコイ、大人のクラスに移ってこない?基本がもうできているから大丈夫だと思うわ。」
「えー!嬉しい!でも私のレベルでもついてけますか???」と聞くと、とりあえず1回、クラスにいらっしゃいと言われた。
翌週、「ともかくみんなの後ろでこっそり踊っていよう」と思いながらクラスに向かった。ところが生徒は私を含めて3人!隠れるところがないではないか!
先生はもしかしたら人数合わせに私を呼んだかもしれないという卑屈な考えも頭に浮かんだが、できることをするしかない。ドキドキしてクラスが始まるのを待った。
最初は基本のステップを練習するが、同じステップでも子供のクラスとは微妙に違うものがある。さらに新しく学ぶ複雑なステップや手の振りが加わるとついていけない。
それでもクラスは進む。次は列になって先生に言われたステップを踏みながら、一人ずつ前に進んでいく。できないのが丸わかりだ。
私は一番最後だったがもう部屋の反対側に着いた先輩が、私が困っているとステップと手の振りを何気なく見せてくれる。その優しさが心細く進む私の胸に沁みる。
やっと恥ずかしさから解放されると、新しい曲の振り付けを学ぶこととなった。多分、私のことを考えてかなりゆっくり目の曲を選んでくれたのだと思う。それでも踊りは子どものクラスで学んだものとはレベルが全く違う。
子どものクラスでは二つの超簡単なステップを交互にやりながらそれに手の振りをつけるだけだ。右に2ステップ行ったら、左に2ステップ戻るという単調なものだった。
ところが大人のクラスでは、さまざまなステップが混じり合う。さらに前に出たと思ったら後ろに下がり、腰を落としたと思ったら上に向かい、ぐるっと丸く円を描くように歩いたりする。
二次元の世界にいたのが、急に三次元に来たような感じで体も頭もついていかない。この変化をどんな比喩で表現したらいいか考えていた。片手で弾いていたピアノを両手で弾くようになった?いや急にエレクトーンになって足でも弾かないといけなくなった?今ひとつピンとこない。
しばらく考えて、あっと思いついた。
それは子どものクラスの踊りが80年代に流行ったインベーダーゲームの世界みたいだということだ。だって左右に平面的に移動するだけだから。
それに比べて大人のクラスは最新の三次元バーチャルビデオゲームの世界だ。ちなみに私はビデオゲームをしたことがないのでこれは勝手な想像だ。
フラでは自然への愛を表現するからこんな闘いの対極の世界のものだが、インベーダーゲームからこの世界に入ったら、急に情報量が増えてしまってあたふたする感じはご理解いただけるのではないか?
さて昨日は大人のクラスも4回目だった。まだ諦めずに続けている。前に進んで前のめりになる振り付けがあった。先生の動きはとても優雅なのに私のはへっぴり腰にしか見えない。そしてそれをどうしたら優雅にできるかわからない。先は長そうだ。
でも一瞬でも音楽と私の踊りが一致する時、楽しい、もっとこの世界に留まっていたいと思う。もしかするとこれがフラにハマるということかもしれない。
ちなみにこれが今踊っている曲。美しい曲で歌手の声も優しくて素敵なので是非、聴いてほしい。
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