考えすぎがそんなにいけないことか。

こんにちは。みさとです。

人と会話をする際、

「みさとって考えすぎだよね」 と言われる。

長所でもありつつ、短所でもあるこの性質。
人に言われれば言われるほどマイナスに捉えてしまう。
それか、「考えてない貴方達が、よく考えてからその言葉発言してくれ」と捻くれて思ってしまう。

私の中でこの「考えすぎ」は、周りの顔色を伺いすぎて生まれたり、過去の行動を繰り返さないように生まれたりしたと思う。周りに迷惑がかからないようにと、自分を犠牲にしたり、自分を守ったり。
リスクを取らないためにも、自分が満足するまで、相手が納得してもらえるように考える。

ただこの間、今後の学校生活について考えすぎて頭が真っ白になって、明確なものが見えなくなってしまった。
こうなりたいという理想や、目標、今置かれている現状なども何が何だかわからない。消えたいとか、罪悪感とか、やる気とかも何も感じなかった。

普段だったら、明確なものが見えなくなった時ふた通りの行動パターンがある。

ひとつ目は、どうしようと焦り散らかした後に消えたいと落っこちてしまう。とにかく感情が優位になる。落ち着いた時、「私はやっぱりこれがしたいんだ」と感覚が戻ってくる。

ふたつ目は、なんで分からなくなった?と過去残しておいたまとめ紙やメモを見れば感覚が戻って原点を確認する。とにかく自分の目的やそこに込めた思いを振り返り感覚を戻していく。

今回はどちらでもない。なんならふたつ目をやればある程度良くなる感覚が良くならない。
今も戻ってこない。


母や兄と話をした時、兄から

「ごちゃごちゃ考えないで、
    ストッパー外して動いてみなよ」と言われた。

「無駄な他人のことまで考えるから、コケるんじゃん。何も考えずに行動すればいいんだよ。自分には無理って考えながら、他人について考えてたら何もならないでしょー。自分で限界突破してかなきゃ何も前に進まないよ。」と。

私はこの時、「はぁ?」としかならず。
限界突破とは。起死概念が出てくるまで自分なりにぶつかりながら、考えながら、行動しながらやってきた。

私のやってきたことだったり、考えてきたことに対して思いっきり蓋をされた気分になった。
母も兄の話を聞いて、「やっぱりそうだよ」と言っていた。なんなんだかなぁ。

「休学」という選択が、「逃げ」「普通じゃない」という認識でしかないから余計、私のいいところを見るのではなく嫌なところばかり突っついてくる。

自分の余裕がない中で、キャパを超えるほど考えた後。
「逃げるな、頑張れ」としか言われない家族に対して、自分が本当にしたいと思っている「休学」したいことを伝えることは、間違えなのではないかとしか思えなくなってしまう。

そのくせ「みさとの人生みさとしかできないのだから、みさとのしたいことをするしかない」とか言ってくる。

もうよくわかんない。苦しい。
「休学」しか頭にないとしか思われないのもいかがなものか。自分を貫けない私が悪いのか。

明確ではないことが、明確になったところで、歯剥けない家族に自分が伝えられないのだから。
本当にこれでいいのか。

わからない。
わからないけど今日はswとの話。
最寄り着く。とりあえずここまで。

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