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夕方の風に清酒の香り


京都の路地を歩く15:47
八坂神社を目の前に、右手に進んで適当に歩く。
京都の道はまっすぐで、それでいて静かで丁寧だから気ままに歩くのが本当に心地が良い。適当に、直感に頼って歩いていく。

緩やかな坂道には配達のトラックや、いそいそと店の準備をしているお兄さんやおじさんが出たり入ったりしていた。

16時手前ごろになると、京都の子路地には清酒が火にかけられて蒸発しているような香りがどこからかしてくる。
お蕎麦やさんや、鮨屋、割烹などこじんまりとしたちょうどいいお店がこぞって火をかけ出す頃なんだろう。
そんな、灯りと人の気配を感じながら突き当たりをまた右に進んだ。

高台寺の辺りを歩いていると、店先にある木で出来た柵の間からコーヒーを飲んでいる女性の存在が見えた。どうやらカフェのようで、私はそのカフェに入った。
アイスコーヒーとレモンタルト。
手作りのレモンタルトは酸っぱくって、ほんのり甘くって、レモンペーストが滑らかで本当に美味しかった。レモンタルト、作れるようになりたいなあと心から思っているのだけど、やっぱり私には無理だと諦める。

今日の京都は少し暑かったけど、朝晩は少し肌寒くて京都でも秋を感じた。
木々たちも、一枚ずつ色を染め始めていて京都の秋の始まりって「薫る」という言葉がぴったり。
今回の滞在で大原は訪れないけれど、きっと大原への道すがらに広がっていた田畑にはいまは稲穂が実って揺れているんだろうと想像する。

土地と季節がちょうどよく調和している京都が好きだ。
二ヶ月ほど前に訪れた京都・大原の夏が、絵に描いたようなまさに”完全なる夏”で大原の土地に惚れ込んでしまった。今度は冬に来たいねって話していて、凍えるような寒さだろうけど本当に楽しみ。
季節の中に、わたしを送り込んでわたしに季節を感じさせよう。そして浄化させようという魂胆だ。

季節を感じて「時間」を感じる。
時間を通して「わたしの存在」を感じる。
わたしの存在を感じて「ぬくもり」を感じる。

人は一人では生きていけない生き物なのだと、やっぱり実感する。

秋の虫たちが鳴きだす時間になる。
涼しく寂しい空気を吸い込んで、夜はあんかけ蕎麦を食べた。
すだちを絞って山椒をふって。熱くてとろとろしたあんは気を付けていてもどうやっても歯の裏いたをやけどしたけどすごく美味しかった。


#日記
#エッセイ



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