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行ってきた感想。

  アニメ背景に描かれる都市を通して、これからの都市のあり方を考えてみようとする展示会ということで、石川は金沢市谷口吉生吉郎記念館に足を運ぶことにしてみた、なかなか行く機会に恵まれなかったけれど、この日この展覧会のクロージングトークのような映画上映会があって、合わせていくことでようやく重い腰をあげることが出来た。この展覧会の参考図書のような書籍である、「アニメ建築ー傑作背景美術の制作プロセスー」という本を元々持っていたものあってそれも行けなかった原因でもある。

  さて、この展覧会の感想を書いてみようと筆を取っているわけであるけれど、率直な感想としてアートワーク自体にすごく感動して、その想像力や、描きたい都市のあり方がプロセスや解説文を通して理解することが出来る。

  ただ個人的な感想としては、これらアートワークはあくまでもその世界観を描くことに成功しているが、建築からは、あるいは現実からは酷く遠く離れた行為をしているなという思いが拭えないでいるな。というのがますます強くなったと言える。これらの背景美術の元ネタが、東京計画1960であったり、特に多かったのは1982年上映のブレードランナーであったことは非常に興味深いと思う。どの映画も似たような年代に制作されている分、参考元が似ていた。
  アニメの美術背景を描くことは、アニメ、牽いては映画の登場人物の取り巻く環境や世界観を間接的に伝えるための表現手段である領域からはどの作品も出ていない。尋常とは思えない背景の緻密さは各映画のコンセプトとしている概念や思いがあってこそそれらは描かれる必要のあったものであるから、それらの力学的特性や、現実に建つというようなことを想定されていない。あくまでもそのコンセプトを伝える手段としての背景である。こんな世界線の中生きている人間たちは自分たちをこういう風に考えるでしょうね。と文字に寄らない言語によってかなり説明的である事を注目しなければならないと思う。

  だから建築を建てる側の私にとってこの展示会を通して、美術背景を描き出すことがあるいは建築を絵に起こすという行為そのものが酷く遠くにある行為であるのだなと感じるきっかけになってしまったというのが感想である。制作される意図や背景が全く異なっている。それは当たり前であったことなのだけれど、いざ目の前に出された時の衝撃はかなりあったように思う。

  またアニメに描かれる背景を描き出す線はかなり簡素であったことも起因している。建物のディテールを詰める必要は無い。それらのディテールがないからと言って全体的に崩壊するような事もない。

 描かれる造形も主に表現として直ぐに理解出来る造形を採用しているし、とにかく1発で瞬間的に理解出来る形に落とし込まなくてはならない。虚構は虚構でも、それ相応の振る舞いが必要であることにも気づく。美術監督がOtto Wagnerなどを参考にしている事も何となく理解ができたし、ポストモダンのような摩天楼を書いたところで、逆に簡素すぎて、世界観を提示するのに向いていない事に気づいていたり、興味深いことを言っていた。

 纏めると、アニメ背景を通して描く建築や都市はそれらを建てていく行為とは掛け離れていたとと言うのが率直な感想だった。つまらなかった訳ではなく、例えば社会心理学的にだったり、絵画的にだったり、あるいは政治的な面白さが散りばめられているので、あ、あと都市論的な解釈も非常に面白くなる展示だと感じている。ひとつまた世界の神秘が解き明かされたような気分でした。

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