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レンズフレアに「ゴースト」はつきもの ② 『LENS FLARE』

日曜の夜。
初耳学に、米津さんが出演していた。
そういえばまだアルバム開封してねぇやと、テレビをつけながらダンボールの封を切る。
いやでけぇな。いつものことか。

テレビを見ながら改めて魅力に触れつつ、ライブ応募用のシリアルナンバーを打ち込む。
番組が終わった。『LENS FLARE』を聴きながら寝支度するか。サブスクで配信されてからというもの、この曲ばかりリピートしている。ライブで聴いた時はこんな感じだったっけ?と思いつつ、あの印象的な歌詞を何度も聴ける喜びが大きい。

んでもって、結局何を言ってるんだこの曲はと思い、じっくり読むことにした。



そもそもの話


「レンズフレア」って?
はいWiki参照。

レンズフレア (lens flare) は、カメラによって写真・映像(動画)を撮影する際、極めて明るい光源がレンズに向けて当てられている時や、画角内に極めて明るい光源が存在する場合に生じる、暗部への光の漏れである。

〜Wikipedia〜

よーするにこれ。

レンズフレア   たぶん

うーん。既に前知識がそんなに意味ないくらい難しそうなんだけど。まあ知らないよりは、読んでて「そういえば」ってなることもあるでしょう。てなわけで本編。


『LENS FLARE』を読む

ありのままじゃ生きられなくってさ
肌身着飾るスーパースター
何もかもにイラついてしまうから
傷つけ合うように歌を歌ったのさ
カットワン    あなたは誰   あなたは誰
カットトゥー    わたしを見て    わたしを見て

〜米津玄師『LENS FLARE』〜

弱みをさらけ出せず、気付けばどうしても着飾ったり、強がって「できる人」であろうとしてしまう。
一旦、このスーパースターを私として考えてみる。
としたら、イラついているのも私。
できる人、大人であろうとすればするほど、色んな「できていない」と感じることに苛立ってしまう。周りのことはもちろん、自分のことすらも。

だから、歌を歌った。
傷つけ合うように。さて、誰と?

この「傷つけ合う」って、米津さんの楽曲でよく聴くような。ちょっとこの部分は後回しにして進んでみる。

薄い氷の上で踊ってさ
煌びやかなLED
それがあなたと誰もが言うから
何もかもにイラついてしまうのさ

〜米津玄師『LENS FLARE』〜

「薄氷を履む」とは言うが、それどころではない。
踊るのか……。
ここでスーパースターではなく、煌びやかなLEDと言っている。薄氷の上で踊るスーパースターを照らすスポットライトのことだろうか。
そして、それが「あなた」。

……ん?
ということは、この曲に出てくる「わたし」と「あなた」はどちらも自分のことだろうか。
ちょっとそれで考えてみよう。


つまり「わたし」はスーパースター(あなた)であろうと必死だけど、それはありのままの「わたし」ではない。

「あなた」が認められることは「わたし」にとって非常に面白くない。「あなた」のイメージが先行しすぎて、「わたし」というありのまま見て欲しいのに。
という内容だろうか。

夢みたい   そんな目で見んなうざい
もっと愛されていたい    ここで消えてしまいたい
お前が勝手に選んだ舞台
歓声が鳴り息を吸う

〜米津玄師『LENS FLARE』〜

「夢みたい」↔「そんな目で見んな」
「愛されたい」↔「消えてしまいたい」
「あなた」と「わたし」が抱える相反する気持ちに何度も揺さぶられる。

この歌詞の後。
『POP SONG』というか、どこか変身するような音に聴こえて、またスーパースターになってしまったように思えた。

裸足で駆けた子供の頃は
優しくあれたスーパースター
それがどうだ眩しくてざまあねえな
もう一度問い返してみろや

カットワン   あなたは誰   あなたは誰
カットトゥー   わたしを見て   わたしを見て


夢みたい   そうこれは夢で見たい
ずっと笑顔で生きたい    キレたい   愛されたい
お前が何よりもただ必死で
そこにいたのをいつも見てたよ

〜米津玄師『LENS FLARE』〜

自分らしくいられた頃は、まだそこまでズレはなかった。でも、理想のような輝きが増すにつれ、苛立ちが抑えられない。だから、「あなた」は誰なんだ。何を言ってるんだ。お前が望んだ「わたし」じゃないか。
あぁ、こうして歌で喧嘩してるとか?

人は多面的で、1面ではない。
でもそんな他所の面ばかり見ていないで、今の面を、「わたし」を見てよ。そんな願望。
理想はあくまで理想で、本当の自分でいたい。

だけど。
「お前が何よりもただ必死で    そこにいたのをいつも見てたよ」は、今までと少し違う感じがする。
独り歩きする「あなた」のことも、私の1面ではあるからねというような、あくまですべてを否定はしたくないような、そんな風に聴こえる。

カットワン    あなたは誰   あなたは誰
カットトゥー    わたしを見て    わたしを見て

〜米津玄師『LENS FLARE』〜

被写体は同じ。
1カメ     こいつは、誰だ。
2カメ     これだよ。俺だよ。

最後にまた、変身するような音。



レンズフレアに「ゴースト」は憑き物

そういえば。
結局、「レンズフレア」は眩しくなりすぎた「あなた」という名の私の虚像ってことかな〜。
とか思いながら検索していると、

「レンズフレア    ゴースト」

というサジェストが出てきた。
ゴースト?なんだこれ。
調べてみると、これがゴーストらしい。

もしかして、ゴーストが「わたし」?
幽霊のゴーストとかけて、「わたしを見て」……?
さすがにね。考えすぎだね。怖いね。いや夏だね。



米津さんの想い&個人的な感想

さておき。
歌詞をこんな風に読む時、やはり自分の経験を当てはめてしまう。だってその視点が1番クリアだから。
だから歌詞を考察するというのは、ある意味自分を曝け出しているような感覚になる。

てなわけで答え合わせ〜じゃないけど、実際、米津さん自身はどんなつもりでこの曲を作ったのだろうか。インタビューをあさる。
って、Spotifyで語ってるらしい。
いざ無料会員登録、はいつのことだかしてたみたいで、早速聞いてみる。
3分くらいのインタビューなので、皆さんもぜひ。


なるほど。実像と虚像。
私自身、読んでいた時は2通り浮かんでいた。
ひとつは「自分の理想(完璧)」と「素の自分」の差異。
もうひとつは、自分についての勝手なイメージとの差異。
自身の体験的には1つ目だけど、米津さん的には2つ目だろうか。特にこれだけ有名になったアーティストである米津さんの状況で考えると、一言一言に大きな影響力があって、メディアからは「カリスマ」だなんて呼ばれて。発信者しだいで、伝言ゲームのように広まれば脚色されたりと、思いもよらぬ方向へといくこともあるだろう。
ということは、まさしく「あなたは誰」なんだろうな。
自分が想像もしていなかったことが、あたかも自分であるように言われる。
そしてそれは世の中の構造的にしょうがないと。
てか、みんな同じくらい知っていたらそれはもう人間じゃないしな。

そんでもって、私が考える意味でも、世の中に言える気がする。
色んな目が厳しくなっているこの世界で、自分は大人であろうとすればするほど、気付けば厳しくなっていて。
まてまてまて主語でかすぎぃ!

……そう!これ!この自分で言っておきながら「いや勝手に一緒にしたら気に障る人もいるよ?」と1歩引く感じ。
私にとっては、これが「わたし」と「あなた」なんだよな。まるで別人同士が脳内で言い合っていて。自意識が高いんだから。まったくもう。


米津さんは暗い部分を表現するから、共感するファンも多いと思う。でも、だからこそ心酔して、崇め奉るような方も多く感じる。それはそれで凄いなと思う。私には出来ない楽しみ方で、実はちょっと羨ましい。ただ、この世の中いたるところで「この人が右と言えば左も右!」みたいに見える状況がある。それは確かに面白くなくて。


そんな私にとって、"推し"という感覚はあまりピンと来ていない。米津さんのこともそう。ハチさんの名で活動していた頃から好きではあるけど、推しとかって感じじゃなくて、なんというか「まーた面白いことやってるよこの兄ちゃん」みたいな存在。でも、MVやライブ、テレビで見るとやっぱり目が離せなくて。

それはやっぱり、私が好きな言葉選びをしているからだと思う。行きづらいと感じた時、逆に勇気を持てた時、確かにそこにあったから。
今回の『LENS FLARE』だと、私は有名でもないし、匿名アカウントも極力作りたくない人なんだけど。それとは別に、私が殴り合って疲れ果てたような感情を、曲が表現してくれている気になって好きなんだよな。

なるほど。結局人って、何か好きな物に救われるようにしながら生きていて、それが一種の「推し」というものになってしまうのかもしれない。そうしてバイアスがかかる確率が高くなってーーー。

バランス感覚ってのは難しいね。
てなわけで、今日もバランスボールに座って書いてたら疲れたのでこの辺にしとこう。
なんか、びっくりするくらい書こうと思えばいくらでも書けそうだから、やめる。


次はどの曲にしようか。
その前に、バランスとかなんとか言ってないで椅子を買いなさい。
うるせぇ!自分に合う椅子って探すの難しいんだよ!

\\   ギャーギャー   //

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