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田坂広志『死は存在しない』にて(「私」とは、宇宙意識の見る「夢」)

今回の記事は、過去の記事「田坂広志『死は存在しない』にて(自我から真我へ)」のつづきです。この書物についてのまとめとします。

私自身は印象に残る霊体験を年に数回程度します。それでも、死後の世界があることは知っていますし、地球意識からの言葉を自身の内側から聴き取ることもあります。そんな私が、この書物に触れると、冷めた感じで「・・・ふ~ん・・・」ってなるところがいくつか見られます。

しかし、第一二話の四つ目の小見出しを見てください。

「私」とは、宇宙意識の見る「夢」

――p.310 第一二話 あなたが「夢」から覚めるとき

その簡潔な一文に到達するまでに、どれほどの体験を私たちは必要としたでしょうか? 日本語を今日まで運んできたすべての日本語生活者たちの存在も併せて考えると感動しませんか? その感動は、人間として生まれたことがない高次の電磁的知性体にはわからない感動ですよ。

 しかし、もし、あなたが、「私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、この『宇宙意識』そのものに他ならない」ことに気がついたならば、「死」は存在しない。「死」というものは、存在しない。
 
 なぜなら、この現実世界を生き、「肉体」に拘束され、「自我意識」に拘束された「個的意識としての私」は、この「宇宙意識」が、一三八億年の悠久の旅路の中で見ている、「一瞬の夢」に他ならないからである。
 そして、その「一瞬の夢」から覚めたとき、「私」は、自分自身が「宇宙意識」に他ならないことを、知る。
 
 このことを述べるとき、筆者は、ある神秘主義者の言葉を、思い起こす。
 
「あなたが死ぬとき、もう一人のあなたが目覚める」
 
 たしかに、そうなのであろう。
 
 肉体としての「私」が、自我意識としての「私」が、死を迎えるとき、もう一人の「私」、「真の私」、すなわち「宇宙意識」が、一つの夢から覚めるのであろう。
「宇宙意識」が、無数に見続けている夢の、一つの夢から覚めるのであろう。
 
 そして、そのとき、「私」は気がつく。
「私」とは、「宇宙意識」そのものであったことに、気がつく。
 そして、「宇宙意識」としての「私」が、「夢」という形で、一つの旅を終えたことに、気がつく。
 
 それは、「人生」という旅。
 それは、「一瞬」の旅。
 されど、それは、「永遠の一瞬」と呼ぶべき旅。

――pp.312-313 第一二話 あなたが「夢」から覚めるとき

以上、言語学的制約から自由になるために。