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イ形容詞とナ形容詞の哲学的な違い

イ形容詞とナ形容詞の違いを哲学的に説き明かそう。

外国人のための日本語教育(日本人のための国語教育)では、イ形容詞(形容詞)とナ形容詞(形容動詞)という区別があります。

日本語教育での表面的な説明では、イ形容詞とは「い」で終わる形容詞、ナ形容詞とは「な」で終わる形容詞です。初学者には分かりやすい。

もちろん、それだけで分かったつもりになると、面白い言葉遣いが飛び出します。たとえば、「違い」という言葉をイ形容詞に見立てて、「違くない」「違かった」などと応用(誤用)してしまうのです。

そこに哲学はありません。初学者は文法に基づいて推測したのです。

さて、イ形容詞は認知にかかわり、ナ形容詞は直感にかかわります。

次の図のように、言語意識を四つの領域に分けると、下側に知覚〈形容詞〉の領域があります。左側が認知〈名詞〉、右側は直感〈動詞〉です。

この図は独学の具体例の一つにすぎません。

私たちが身体を通して知覚する自然現象は、相対的に比較して気づける変化に限られます。その知覚内容に、認知する程度の違いが介入するとイ形容詞になり、直感する状態の違いが介入するとナ形容詞になります。

いや、より厳密には、そうなる傾向があるのであって、例外については、それぞれ個別に、深く考えずに、覚えるしかありません。

ところで、国語教育では、「大き」「暖か」「柔らか」などを形容詞に分類しますが、「大き」「暖か」「柔らか」などは、形容動詞ではなく、連体詞に分類します。それが、何だというのだろう。

連体詞は、活用しない自立語で、体言をふくむ文節を修飾するとか。

私が知りたいことはそういうことではありません。確かに、日本語を母国語とする人なら、その説明通りに話している自分に気づいて驚くこともあり得ます。しかし、日本語を知らない外国人は納得できません。

認知を揺さ振るなら「大き」と表現すれば良いのです。
それが、説明の仕方、社会的責任や論理のあり方へ、波及します。

直感を揺さ振るなら「大き」と表現すれば良いのです。
それが、解釈の仕方、社会的役割や象徴のあり方へ、波及します。

認知と直感に気づいて、知覚の純粋さを取り戻せると良いのだが。

以上、言語学的制約から自由になるために。