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ルドルフ・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』を読む(過剰な忍耐の分散)

忍耐だけで何とかするには無理がある。忍耐に注ぐエネルギーを六つに分散してはどうだろう。言うのは簡単だが、信頼の仕方や持続の仕方を工夫すれば、忍耐に注ぐエネルギーを減らすことができるのだ。

著者は、この書物の「霊界参入が与える諸影響」pp.139-188において、十二弁の蓮華(ハートチャクラ)を形成する六つの修行に触れています。そのうち、第四の修行が、忍耐(寛容)の行としてあるのです。

第一の修行は思考の制禦(いわゆる思考内容のコントロール)である。
・・・十二弁の蓮華は思考の流れを内的に支配することを通して開発される。筋の通った論理的思考ではなく、恣意的な仕方で勝手に現れてくる鬼火のような思考のいとなみは、この蓮華の形成を害う。ひとつの思考内容が他の思考内容から論理的に展開されることによって非論理的な結びつきが排除されるようになればなる程、この感覚器官はより完全な形態を獲得するようになる。・・・――p.153-154

第二の修行は自分の行為に対しても、同じ論理的一貫性を与えることである(行動のコントロール)。行動における不安定で不調和な態度はこの蓮華を害う。何事かを行った時、そのすぐあとに続く行為がこの行為に対して論理的に一貫した関連を持つようでなければならない。昨日の行為と今日の行為とがまったく相違した性質を示しているような場合、今問題とされる感覚は決して育成されないであろう。――p.154

第三の修行は持続力の強化である。修行者は自分が正しいと考える目標から、あれこれの影響によって、自分を遠ざけるべきではない。障害はそれを克服せよという要求ではあっても、不実行の原因になってはならない。――pp.154-155

第四は人間に対する、他の生物や事物に対する忍耐(寛容)の行である。修行者は不完全なもの、邪悪なもの、不正なものに対して、不必要な批判をしない。彼のところに近づいてくるすべてのものをむしろ理解しようとする。太陽が不正なものや邪悪なものにも等しく光を投げかけるように、神秘修行者はどんなものに対しても、等しくその理解力を向けなければならない。
・・・――p.155

第五の修行は生活上のすべての出来事に対して、とらわれぬ態度をとることである。これは「信用」もしくは「信頼」の行であるともいえる。修行者はどんな人間やどんな存在に対しても、信頼をもって向い合い、信頼に基づいて行動する。何かの情報が彼に伝えられたとき、「そんなことは信じられない」、「それは理屈に合わない」とは決して考えず、むしろどんな瞬間にも、自分の見解を新しい経験に即して吟味し、矯正するよう心掛ける。
・・・――pp.155-156

第六は人生の均衡(平心)の獲得である。どんな苦しみや喜びに際しても、平静な気分を維持しつづけようと努める。「天に昇るほどの歓喜と、死ぬほどの絶望」(ゲーテの『ファウスト』)の間を動揺する習慣を捨てる。不幸や危険に対しても、幸運や成功に対すると同様に心の準備ができていなければならない。――p.156

――pp.139-188「霊界参入が与える諸影響」

これらの修行が、超感覚的世界の認識を獲得する意思がない一般人であっても、十二弁の蓮華(ハートチャクラ)の形成を促進するのです。

一方、スピリチュアルな見解を避ける世間では、ハートチャクラとは無関係に忍耐の教えが説かれています。実質的には、頭(マインド)のわがままを身体が背負い、体力が支える我慢で無理しています。

歳をとり、体力が衰えて、我慢できなくなった人が、精神的な忍耐力を効率よく育成してこなかった自分に気づくことも、多々生じています。

以上、言語学的制約から自由になるために。