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私が病院という箱から飛び出し開業した理由

コンディショニングサロンHarmonia(ハルモニア)の四分一です。

今回は、私がなぜ、病院・クリニックという箱から飛び出し開業を選択したのかということを話していきたいと思います。

正直、ポジティブな理由はそんなに多くなく、ネガティブな理由が多いとおもいます(笑)
独立したい人の参考にはならないかもしれません💦

管理職という職種への疲弊

私は、最初の職場で主任補佐・主任として科長の下で中間管理職的なことを7年程度、2つ目の職場で主任兼管理者を約2年程度やってきました。理学療法士となって2020年で13年目ですが、半分以上を管理する側の仕事をやっていました。

まだまだ甘ちゃんだろうという人もいるかもしれませんが…。

その中で、いろんなプライベートなイベントごとも重なってか、次第に管理職という立場が私には大変重荷になり、負担となりました。

私なりに管理職をするなかで、感じることがありましたので挙げてみます。

・管理職が『得意な人』と『苦手な人』がいる
 管理職として人々を導く能力・まとめる能力は必須だと思います。ですが、なかなかすぐに身に着けられるものではありません。正直管理者研修にでて組織づくりやマネジメントの研修を受けましたが、私はそれを実行するまでには至れませんでした。管理者になって変革を起こすのはなかなかにリスクがあるのです。賛否両論を否があっても突き進めるのなら話は別ですが、私は否を訴える人と協調を図る手段が見つかりませんでした。

・プレイングマネージャーでは長く続かない
 長いこと1日22単位平均(1単位20分)で仕事をこなしながら、学生指導をして、後輩教育をして、その後自分の仕事をして、それが終わって初めて管理業務(勤務表等)といった仕事をしていました。正直、管理業務始める頃には20時を超えることも多く、段々とモチベーションの低下、業務遂行能力の低下に陥りました。正直、始めは「主任になったからにはやってやるぞ!」と思って動いていましたが、最終的にはその気持も維持できなくなり疲弊していきました。

・職場の人間が全員同じように動くとは限らない
 前ならえで自分が思った通りの方向にみんなが向くと思いがちですが、自己研鑽などへのやる気・モチベーションに関しては、その人それぞれのペースがあり、やりたいタイミングや興味は全然異なります。
 最近知りましたが、『262の法則』というものがあり、「どのような組織でも、2割の人間が優秀な働きをし、6割の人間が普通の働きをし、2割の人間がよくない働きをするという法則(経験則)」という意味があります。これには私もピンとくるものがあり確かになとも思いました。2割の人間が良くない働きをするというところが、私にはかなりの重荷になりました。
なぜ、面倒なことを起こす人たちを優先して物事を考えなければいけないのか…
優秀な2と普通の6に時間を避けなくなるのです。
考えは人それぞれで、各々の文句が各々への問題へと発展していき、それを対処するのは管理者の仕事と、ぜんぜん違うところで尻拭いをしなければならないことがあったり。
上層部には、聞き入れてもらえなかったり。私には、これらを同時にこなす技量がなく、対処する能力をつけたいとも思いませんでした。

・自分がやる必要のない仕事は時間がかかってもいいから後輩に振らないとと自滅する
 管理業務もある中で、雑務を如何に他の人に振れるかが鍵であり、それはたとえその人の仕事スピードが遅くても任せる必要があります。私は、自分が書類作成から計画管理から管理職になる前から他の人よりこなしていたため、自分が管理職になってからも自分がやった方が早いと抱え込んでやっていましたが、それが次に挙げたことにつながってしまいました。正直、掲示物の作成とか注意事項・連絡事項の掲示とかお願いしておけばよかったと今は思います。

・自分のやりたいことに割く時間が無い
 そんなこんなで仕事を振れないと積もり積もって自分の時間が持てなくなり、何に興味を持って仕事をしていたのかわからなくなるといったことが置き始めたりしました。

上記したことがまずは一つの要因です。
管理職という立場にいればいるほど、心のエネルギーは消耗し、枯渇していき、最終的には、
「夜寝られない」
「朝金縛り用の酷い倦怠感」
「激太り」
「浪費」
という結果に陥りました。

自分がやりたいことが何なのかを考えた結果

 上記の管理職への疲弊があったことで、自分自身が何をしたかったのか路頭に迷い始めます。
患者を笑顔にするために自己研鑽をし、仕事をこなし、残業しても次に繋がるからと苦なくこなしていたのに、段々と作業効率が落ち、次第に「なんで自分はこんなことをしているんだろう」と思い始めるようになりました。
 1回目の転職は、管理職から降り、気持ちをリセットするという意味で行いました。メンタル面もある程度落ち着き、自分のやりたいことを見つけたり探したりする時間が避けるようになり楽しく過ごせていたと思います。

そんな中…

急な科長の退職(事実上の更迭)。私は急に主任となり、管理業務をしなければならなくなりました。
だめですね、こういうときってトラウマなんでしょう。
そこを境にして仕事に対してのモチベーションはあがらなくなりました。

これでは管理職にうんざりしていたことの繰り返しになってしまう。
そう、私は昔の私より良い管理者になるという考えは生まれなかったのです。
そう考えること自体が、かなりのストレスでした。

そこで私は、もう管理職はやらないようにしよう。
そう決めました。

妻の結婚直後の精神疾患発症と内科的な問題での入院

 2箇所目の職場に転職して1年ちょっとして妻と結婚しました。妻は1箇所目の職場の後輩で、よく仕事の相談に乗っていました。結婚して1ヶ月で妻が精神疾患を発症し、家のことを心配しながら管理職をしなけれな行けない状態になりました。
往復3時間の通勤をしながら家事をこなしていましたが、家につく頃には8時を超え、そこから自炊する気力もなく、帰ると妻が布団で泣いていて…という、自分が思い描いていた結婚生活とはかなりかけ離れた生活が始まりました。しかもこれが、前述した2つ目の職場の管理職になるという時期とほぼ同時期だったのです。

正直、そんなこんなこともあり、結婚式どころか写真撮りもしていませんし、新婚旅行すら行っていません。
私は、ちゃんと妻を幸せにできていないと今でも思っています…。

話が脱線しましたが…
そんなこんなある状態では、現在の通勤時間はかなりしんどく、職場の管理も家の管理も同時にできる自分の気力ももう無い状態でした。

そこで、追い打ちをかけるように起こったのが、妻の入院。
10日間ですが、妻が入院したのです。

その時は、もう無理でした。
妻のことで精一杯だったのです。
早退して病院にお見舞いに行ったり、過剰な反応だったのかもしれませんが、妻がいなくなってしまうかもしれないとか思った自分がいたのです。

それからというもの、職場の誰とも話したくないレベルにまで気持ちがふさぎ込んでいました。
客観的に自分のことを捉えたとき、私がこのままこの職場で管理職にいては環境を悪くしてしまうだけだと思い、潔く退職を決めました。

独立を決めた最後の理由

 さて、私として独立をするぞ!と決めた最後の理由が「予防が必要な人たちに直接的に訴えかける行動がしたい」でした。病院が守られた組織であり、給料もしっかりと患者をこなしていればもらえます。正直、妻の体調不良のことを考えると安定した収入があった方がいいじゃないかという人たちも多いと思います。
ですが、それでは結局、どの職場に行っても「管理職を経験している・管理職をする年代になってきている」ので管理者になる可能性がある。
それは私は『リスク』という判断をしました。

自分が幸せになるにはどうしたらいいんだろう。
それを考えたとき、私は

・誰にも左右されず、自分だけのことを考えて仕事がしたい
・妻のことをいつでもすぐ気にかけられる環境で仕事がしたい
・店舗営業に限らず、外部に出て、自分のからだの自己管理を伝える活動をしたい

という結果に行き着きました。
そのため、しんどいことがあったとしても、「私がやりたいことをして仕事をするんだ」というのを優先したのです。

まとめ

いかがだったでしょうか。
なかなかにたくさんに人が経験してきてないことを経験しているんじゃないかなと思っています(笑)
現状、独立して開業したお店は、まだまだオープンしたてでお客様ががたくさんいるわけでもなく、生活は厳しい状態ですが、病院やクリニックに所属していたときと違って、気持ちは充実しています😊

ここから楽しく、幸せな暮らしにしていくのは自分自身なので『自分のために頑張る』のみです❗

正直、自分が幸せじゃなければ、施術や体操指導といったサービスを提供するのには向いていませんからね💦

では、また違う記事にてお会いしましょう❗

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